祭りのあと
体育祭の閉会式も終わり、グラウンド内の片付けが始まる。
クラスメイトたちの後に続き、テントを折りたたむ作業をしていた頃に冬樹から声がかかる。
「菊地、ちょっと来て」
「どうしたんだ、冬樹」
「頼みたいことがあるの。作業は他の男子に任せていいから」
冬樹に言われた通り、テントを畳む仕事を近くにいた男子に委ね、彼女の元へ向かう。
怒っているのか、不機嫌なのかわからないが、仏頂面をした冬樹の顔を見て少し気が引ける。リレーでのことを言われるのだろうか。
「……悪かったな、冬樹の言う通りにできなくて」
「別にいいわよ。私は上位に入れなければ、と言ったの。そして菊地はあの状況から上位に入れると判断をして行動を起こし、結果を出した。特に文句はないわ」
「それはよかった。それで、俺に頼みってのはなんだ?」
「ええ、これを保健室まで届けて欲しいの」
そう言いながら冬樹は長袖の体操着を俺に手渡した。
誰のだろうと体操着を拡げてみると、体操着の胸元には『陽代美』と白い刺繡が施されている。
「これは、陽代美の?」
「そうよ。莉愛は保健室にいるみたいなの。だからその体操着を莉愛に渡してきてちょうだい」
「それなら冬樹が渡しにいけばいいだろう」
「あら、ご不満? ハルミィから聞いたけど菊地って匂いフェチなんでしょ? 別にいいわよ、これから菊地が莉愛の体操着にナニしても見逃してあげるから」
「そ、そんなこと誰がするかっ」
「はいはい、それじゃあ頼んだわよ。あと、保健室にはハルミィたちもいるから適当なところで教室に戻るよう言っておいてね」
そして冬樹は手をひらひらとさせながら片付けをする生徒たちの輪に入っていった。
残された俺は、託された陽代美の体操着を綺麗に畳み保健室を目指す。
その道中、どうも気が落ち着かない。
手に持っているのは女子の体操着、我らが女王様のお召し物である。
どんな匂いがするのだろう。冬樹にそそのかされた訳ではないが女子の体操着の匂いには興味がある。しかし、ダメだ。陽代美の体操着に顔を埋めて匂いを堪能しているところを見られれば変態扱いをされる。
それにそんなことが陽代美にバレたら、彼女はきっと悲しむだろう。
ここは平民らしく、女王様のお召し物を確実に届けることに従事しよう。
そして保健室のある南棟の廊下で三人の女子と会う。
春宮、江夏、大秋の三人だ。
「あ、キクっち。その体操着はリアチィの?」
「ああ、陽代美はまだ保健室にいるのか?」
「うん、このあと病院に直行らしいよ」
「そんなに重症なのか……」
「そんなことないわよ。莉愛はわりと元気にしてる。キクっちとの約束を守るってのもあるけど、念の為ってやつね」
大秋の話を聞いて安心した。
結果的に見れば俺は陽代美に怪我をさせた張本人でもある。そこで、嫌なことを思い出してしまった。先日、江夏から受けた忠告を恐る恐る聞いてみる。
「江夏と大秋は、俺のことをぶっ飛ばすのか?」
「はあ? なんで私たちがキクっちのことをぶっ飛ばすなんて話になるのよ」
「いや、だって。結局は陽代美のことを泣かせてしまったから、その……」
歯切れの悪い返答をしていると、江夏が腹を抱えて笑い出す。
どうしたのかと考えていると、険しい顔をした大秋が苦言を呈す。
「ちょっと優里奈、アンタ私のことをどんな風に吹き込んだわけ?」
「いやあ、別にい。キクっちってば真面目過ぎるでしょ、プックックッ」
大秋から問いただされた江夏はくつくつと笑っている。
その反応を見るに、どうやら俺は江夏にからかわれていたようだ。
「あのねえキクっち。莉愛は自ら望んでリレーを走ったの。怪我はしたかもしれないけど、それは莉愛の責任よ。だからキクっちのことを責めるのはお門違い。むしろ褒めるべきよ、莉愛のために走ってくれて、ありがとね」
「あ、ああ」
大秋から言われて顔が熱くなる。
こんなにもストレートに褒められることは初めてだ。陸上部でどんなにいい記録を出しても、次はもっといい記録を求められていた時とはまるで違う。
そして照れを隠すためにも冬樹からの伝言を三人に伝える。
「そういえば、冬樹が三人に教室へ戻るように言ってたけど」
「うん、アタシたちもね、リアチィの荷物を取りに行こうとしてたんだ。それでね、保健室にはリアチィが今一人でいるから、キクっちが傍についてて欲しいんだけど」
「ああ、わかった」
ギャル三人と別れ保健室に向かう。
扉を開くと、ベッドの上に座り項垂れていた我らが女王様の姿があった。
窓からさしこむ夕陽を背に浴びる彼女は、腕や脚に絆創膏が貼られており、体操着には土埃がついた痛ましい姿をしている。
そして、来訪者である俺を見て彼女は優しい笑みを浮かべる。
「キク、どうしたの?」
「冬樹から頼まれて、体操着を届けにきた」
「そっか、ありがと」
扉を閉めて、陽代美に歩み寄り体操着を渡す。
体操着を渡したあとは少しばかりの沈黙が流れ、少々気まずい空気となる。
春宮からは傍についているように言われたが、傷ついた彼女にどう声をかけていいかわからない。
すると、陽代美は何かを思い出したかのように薄く笑い、口を開いた。
「キクは、本当に私のいうこと、なんでもしてくれるよね」
「え? 陽代美からなにか言われてたっけ?」
「ううん、なにも言ってないよ。でもリレーの最中に、私がこけて、走り出した時に願ったの。キクにバトンを渡せばなんとかしてくれるよねって。そしたらさ、キク凄いんだもん。本当に私が願った通り、頑張ってくれたから」
「それは、まあ。今さらだけど、かなり無茶なことをしたなとは思ってるし、結局は二位だったけど」
「そんなことないよ。私はキクが巻き返してくれるって信じてたから」
陽代美は先ほど走ったリレーのことを、遠い過去を思い返すように話す。
そして、俺は一つの疑問が浮かぶ。
彼女には確かに元陸上部だと話していた。だが、彼女とは違う中学に通っていたので、俺がそこまで走れる人物だとは知らなかったはずだ。
それなのに彼女は俺が走ることにおいて、信頼しているところがあるように思える。
「なあ、陽代美。どうして俺の脚をそんなに信じてくれたんだ?」
「だって、私知ってたもん。キクが凄く脚が速いこと」
「それは、変じゃないか? 学校では全力で走ったのなんて、今日が初めてのはずなんだが」
俺がそう言うと、彼女は少しばかり顔を紅潮させ再び笑みを浮かべる。
彼女は恥ずかしそうに身体を少し左右に揺らし、意を決したように話し始めた。
「私ね、一年の頃にダイエットをしていた時期があるんだ」
「陽代美がダイエット? 全然痩せてるじゃないか」
「今はね。昔、嫌なことがあってさ。むしゃくしゃして、やけ食いしてたら、今より十キロくらい太ってたの。それでね、瘦せなきゃなって思ってさ、朝ジョギングをしていた時に、キクが新聞配達してるの見つけたんだ」
「……俺が新聞配達してるの、知ってたのか?」
「うん、ていうか私の家にもキクが新聞配達してるよ。気が付かなかった?」
知らなかった。
配達先の住所は頭に叩き込んでいるものの、名前までは覚えていなかった。
「それでね、キクを見つけたときに後を追いかけて挨拶をしようとしたの、おはようって。でもさ、キク凄い速さで走り去っていくから、全然追いつけなかったんだ」
「声、かけてくれればよかったのに」
「やだよ、だってキクはまだ私のこと思い出してくれてなかったし。それからね、毎日のようにキクのこと待ち伏せて追いかけるようにしてたの。そしたらさ、いつのまにか体重も元に戻って、結構体力もついたんだ。結局、キクに追いつくことはできなかったんだけど」
陽代美の話を聞いて、状況を思い浮かべる。
新聞配達をしている俺の後ろを、必死に追いかけている陽代美の姿は、口には出せないが、なかなかに面白い絵面だなと思ってしまう。
そして、陽代美の脚が速かったのもそれが原因なのでは、と考えていると保健室の扉が開かれる。姿を現したのは、雛形先生と同年代くらいの養護の先生だ。
「陽代美さんタクシー来たわよ。えっと、君は陽代美さんの彼氏くんかな?」
「いえ、友達、クラスメイトです」
「そう、でもよかった。はいこれ、さっきそこで陽代美さんの友達から荷物を預かってきたから、これを持って裏口に来ているタクシーまで陽代美さんを連れていってもらえる? 私はヒナちゃんに話をしてから向かうから、頼んだわよ」
養護の先生は俺に陽代美の荷物を預けて、足早に廊下へ出ていった。
連れていけと言われても、少し困る。陽代美は脚を挫いているのだから、ここは手を貸しながら彼女をエスコートするべきなのだろうか。
すると陽代美は俺に向かって両手を差し伸べてくる。
「キク、おんぶ」
「……はい?」
「タクシーまで、お、ん、ぶっ」
陽代美は頬を膨らませ、おんぶを要求してきた。
本当に、不思議な女の子だ。
小学生の頃は野菜が苦手で、高校生になったらギャルになっていて、それでも俺のことを覚えていて。それでいてクラスでは色んな人から頼りにされている我らが女王様。
手を降ろそうとはしない彼女に根負けして、俺は女王様の前に立ち背を向けて跪く。
すると、本当に脚を怪我しているのかと疑う勢いで、彼女は俺の背中に飛び乗ってきた。
どうやら、我らが女王様はご機嫌のようだ。
そして、
「ねえ、キク」
「うん?」
「今度は、バイクの後ろに乗せてね」
我らが女王は、もの覚えがよろしいようで。
『mile』完
次回『Work and love』の更新日は未定です。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
ブクマ、評価、感想をくださった方、感謝申し上げます!




