不安な夜
体育祭前日の土曜日。
今日は学校が休みで、午後からあるドーナツ屋のバイト前に、バイクの給油のため、近所にあるガソリンスタンドまで来ていた。
少しでもバイクの運転に慣れておきたいと思い、早朝からバイクを走らせ今に至る。
休日、時間のある時にバイクに跨り、やっとタイヤの皮むきが終わったぐらいで、自分の運転技術には些か不安は残る。
陽代美はまだ覚えているのだろうか。
数週間前にバイクに乗せて欲しいと言われたが、あれからバイクについての話はしていない。このまま忘れていてくれた方が、俺としてはありがたい。
立ち寄ったガソリンスタンドはセルフ式のため、慣れない手つきで給油をしていく。
天気の神様もなかなかに悪戯好きで、バイトがある時に限って空模様を快晴にする。もう少しバイクを走らせていたかったが、仕方がない。バイトを頑張ることにしよう。
「おい、おまえっ。確かこの前、陽代美ちゃんといた男だよな」
びくりと背筋が凍る。
給油を終えた俺に声をかけてきたのは、予行練習中に陽代美に絡んできた男連中三人組。
体操着は着ていなくともガラの悪い喋りと、派手な私服を見てすぐにアイツらだと思い当たった。
嫌な汗が流れる。今後の展開を予想するだけでも、いい予感はしない。
「そうだけど、なにか」
「なにかじゃねえよ。この前は邪魔者扱いしてくれたじゃん? 俺らは陽代美ちゃんと仲良くしようとしただけなのによお」
「そうそう、王子様のつもりかよ。きっもいわあ」
「しかもなにそのバイク。ボロくせえのに乗ってやがんな、貧乏人かよ」
男連中はそう言いながら俺とバイクを取り囲む。
逃げ場がない。昔なら走って逃げることもできたが、今はバイクを置き去りになんてできない。
俺はどうなっても構わない。自分のとった行動に後悔など無い。
しかし、父と兄から譲られたバイクだけは見逃してもらえないだろうか。
「へへっ、ホントだっせえなこのバイク」
「おいっ、触るなっ」
「ああ? なに? お前、俺らに喧嘩うってんの?」
そんなつもりはない。
だが、無遠慮にバイクに触れようとした男に向かってつい声をあげてしまった。
手に持っていたヘルメットに思わず力が入る。
これだから不良は苦手なんだ。
自分勝手で、わがままで。気に入らないとすぐに喧嘩だとなんだとのたうち回り暴力を振るう。
同じクラスの東と西尾は陽代美の影響か、いじめをする輩ではない。けれど、目の前にいる男たちは中学にいた頃の不良と同類だ。
「おおい、菊地くんだよねえ。そのバイク菊地くんの?」
そこでまたも別の男の声がして、振り返れば先日話した守邦高校の仕切り役と呼ばれる柴原先輩が近寄ってきていた。
制服を着ている柴原先輩が近寄るのに合わせ、絡んできた男連中が道を開けるように一歩下がる。
「へええ、なかなか年代物だねえ。レトロな感じがしてめっちゃ渋いわあ。俺こういうの大好きなんだよ。ところで周りにいる人らは菊地くんのお友達?」
「ああ、いや、俺たちは守邦高校二年の――」
男たちが自己紹介をしかけたところでさらに一人の大男が姿を現す。
顔に古傷があり、身長は見上げるほどに高い。髪は黒くて短髪、耳にはギラリと光るピアスをつけている強面のお兄さん。クラスメイトである大秋の彼氏である阿久津先輩だ。
「シバが名前を覚えてねぇんならどうでもいいな。おい、お前ら。今から菊地と俺らは話をするんだが、その邪魔をしようってわけじゃねえよな?」
「も、勿論ですよ。失礼しましたッ」
そして、俺を取り囲んでいた男連中は足早にその場から去っていった。
思いもよらない展開に呆然としていると、柴原先輩は阿久津先輩に向かって不満をもらす。
「ちょっと、阿久津よお。またそうやって後輩たちをビビらせようとするんだから。もっとこう、みんなで仲良くって感じにできない訳ぇ?」
「めんどくせえよ。第一、シバが名前を覚えてない時点で大した連中でもねえだろ」
「うわ、ひどくねえ? 俺のことを忘れっぽい爺さん扱いすんなっての」
訳も分からず展開される二人の先輩の会話。
話が一段落したのか、柴原先輩はしゃがみ込み俺のバイクを見る。そんな姿を見て俺は咄嗟に声をかけた。
「あの、ありがとうございました」
「んん、なにが? それよりさ、これ菊地くんのバイクなんよね? 幾らしたの?」
「これは、父ちゃんから譲ってもらったもので、最近レストアが終わったばかりなんです」
「へええ、いいじゃん。親から譲ってもらったバイクに乗るって。阿久津もさ、こういう感じのバイク好きだろ?」
「ああ、タンクが日焼けしているが、手入れが行き届いているのは見てわかるわな。メーターも……交換済みか?」
「はい、兄が乗っていた時に交換をしてもらったみたいで。実走距離はもうわからないです」
「うっひょう、いったいこのバイク何十万キロ走ってんの。すっげええ」
二人の先輩がバイクをあちこちと覗きながら互いに感想をもらす。
その姿に、思わず泣きそうになってしまう。
父と兄が大切にしていたバイクを褒めてもらうことが、こんなに嬉しいとは思ってもみなかった。
「あれ、どしたん菊地くん?」
立ち上がった柴原先輩に心配をされ、急いで頭をふり冷静さを取り戻す。
陽代美が言っていた。守邦高校の仕切り役は生徒たちから支持された人がなるのだと。その理由が今、わかった気がする。
「いえ……なんでもないです。それより先輩たちは制服を着ていますけど、学校に行っていたんですか?」
「そうそう、俺ら就職組だからさ。学校に求人票見に行ってたんだよねえ。今月中には決めとけ、ってヒナちゃんが五月蠅くてさ。あれ? 莉愛ちゃんと同じクラスってことは菊地くんの担任になるのか、ヒナちゃんって」
「はい、そうですね。雛形先生は色々と面白くて、いい先生です」
「わーかーる。学校でも唯一俺らの味方してくれるのヒナちゃんだけだもんねえ。俺もヒナちゃんのクラスがよかったわあ」
「勘弁してくれよ、シバ。毎朝タバコ吸ってねえか調べられたらたまったもんじゃねえ。本人は外でスパスパしてるくせによお」
「アハハ、それな。この前なんてコンビニの前でガタガタ脚震わせながらタバコ吸ってたもん。あれはウケたわあ」
そう言いながら柴原先輩は腹を抱えて笑い出す。
目の前にいる二人の先輩も、世間からすれば不良に分類されるのだろう。しかし、先ほどの男たちに比べれば不快な感じは微塵も感じない。いい先輩たちだと俺は思う。
「そういやさ、菊地くんは莉愛ちゃんと一年の頃から仲良かったん?」
「え? 話し始めたのは、今年の五月の大型連休が終わったあたりからですけど」
「ふんふん、なるほどねえ」
正確に言えば、小学生の頃に子供食堂で遊んだりした仲だが、俺はそんな彼女との思い出をつい最近までは忘れていた。陽代美は覚えてくれていたのだから悪いことをした。
そして、俺の言葉にうんうんと頷く糸目の柴原先輩。
「あの、それがなにか?」
「いやね、少し前までは先代の仕切り役や、俺らによく相談をしにきてたんだよ、莉愛ちゃんが。でも最近ぱったりと来なくなっちゃったからさ、心配してたんだよね」
「陽代美って、そんなにトラブルを抱えていたんですか?」
「まあねえ、ほら、莉愛ちゃんってば美人さんじゃん? 同じ学校ならともかく、他の学校の連中や大学生、オッサンからも言い寄られたりしててさ、よく追い払うのに駆り出されてたのよ俺たち」
「そう、だったんですか」
「でもよかったよ、こうして信頼できる人に守ってもらえるようになったんだからさ」
「……俺は、そういうのではありませんよ」
「またまたあ、隠すなって。可愛い女の子のナイト様なんて光栄じゃん?」
常時笑みを絶やさない柴原先輩からは、なにか勘違いをされているようだ。
本当に違う、俺は彼女の友達に最近なったばかりだ。
あるべきではない。不要なんだ、俺の中には。
「おい、シバ。そろそろバイトの時間じゃねえのか?」
「うわっ、ヤバっ。菊地くん、俺バイトに行くからまた今度話そうよ、じゃあね」
「はい、バイト、頑張ってください」
言い終わる前に、バタバタと走り去った柴原先輩を見送り、呆れた表情の阿久津先輩も巨体を揺らしながらゆっくりと柴原先輩の後を追う。
すると、数歩進んだ阿久津先輩が振り返る。
「そうだ。おい、菊地」
「は、はい」
「バルバトスちゃんの画像、ありがとな」
「……はい」
阿久津先輩、見た目にそぐわずお茶目だったりするのだろうか。
姿の見えなくなった二人を見送り、俺もバイトに向かうためにバイクに跨る。
バイト中は上の空だった。
仕事に専念しなければと思いつつも、どうしても一人の少女のことを考えてしまう。
疑問だった。どうして陽代美はあそこまでして、クラスの問題を解決しようとするのかを。
最初は、彼女の願いであるクラスの皆で仲良くといった願望が行動原理だと思っていた。しかし、柴原先輩に会い、昔から彼の世話になっていたとあれば陽代美の行動は、恐らく真似事だ。
尊敬できる先輩が周囲を助けているのだから、自分もそうしよう。そんな風に彼女は考えたのではないだろうか。
バイトが終わり、帰宅して夕食を済ませて、風呂から上がれば午後十時を過ぎていた。
本来なら寝る時間だが、明日は新聞配達がない。
机に向かい、残っていた宿題を片付けつつ、昼間の会話を思い返す。
柴原先輩は就職組だと言っていた。
守邦高校では一年、二年の間にクラス替えはない。しかし、三年になれば進学組と就職組に別れクラス替えが行われる。
つまり、陽代美のクラスの皆で仲良くなりたいという願いは、あと一年足らずの猶予しかない。だが、今の二年C組の雰囲気はとてもいいように思える。親友からのお墨付きだ。
もう彼女の願いは叶っていると考えてもいいのではないだろうか。
宿題を終わらせ、そろそろ寝ようかとしているころに部屋の扉からカリカリと音がする。
扉を開けば、飼い猫であるバルバトスが仏頂面のまま部屋に入ってきた。
「バルバトス、今日はお前のおかげで助かったよ」
「アアン?」
「今日は、俺の部屋で寝るのか?」
「ナア」
まるで会話でもしているかのように、バルバトスは俺のベッドの隅で丸くなる。
部屋の電気を消し、布団に潜り天井を見上げる。
いよいよ明日は体育祭当日。
俺はまた、大勢の人の前で走ることになる。
所詮はただの体育祭。お遊びみたいなものだと自分に言い聞かせる。
怖くない、大丈夫。俺が走っても、誰からも文句を言われることはない。同級生からも、先輩からも、教師からも。
そしてふと思う。俺は孤独になることを選んだはずなのに、最近はいつのまにか周囲に人がいる。
不思議だ。願ってもいないのに、陽代美と関わるようになってから周囲が一変した。
「おやすみ、バルバトス」
既に寝息を立てている猫を一つ撫で、瞼を閉じて眠りに入る。
体調は万全だ。リレーのメンバーとして走っても問題はないだろう。
しかし、柴原先輩から聞いた就職という言葉を聞いて心が落ち着かない。来年は俺も自分が進む道を決めなければならない。誰もが考える事柄のはずだ。気にしないことにしよう。
それにしても、どうしてこんなにも不安を感じる夜なのだろうか。
明日は何事もなければいい、そんなことを考えながら眠りに落ちていった。




