護衛任務
体育祭まであと三日。
どんよりとした空模様の中、体育祭の予行練習が行われていた。
生徒数の多い守邦高校では、当日のトラブルを最小限にするために全学年を通して、体育祭の流れを確認していく予行練習が行われる。
開会式から始まり、各競技の選手が入場門へ集められ、グラウンドに入り当日の流れを確認していく。
競技自体が行われる訳ではなく、淡々と教師陣の指示により生徒たちが右から左へと動いて行く。
競技のない者は待機なので、リレー以外に出場しない俺は暇な一日となる。
二年C組が体育祭当日に待機する場所では、クラスメイトの大半は携帯端末でゲームをしたり音楽を聴いたりとやりたい放題。教師陣も待機する生徒まで気が回らないらしく、グラウンドの外側に目を向ければ、待機場所から離れて闊歩する生徒が多くいる。
まさにグラウンド外は無法地帯。男女のカップルが大声でいちゃついたりして目も当てられない。
「ああ、暇だわ。菊地、なにか面白いこと言って」
「無茶言うな。俺が小粋なジョークが言える男に見えるか」
「見えないわね。早く終わらないかしら予行練習、湿気で髪がもさもさだわ」
俺の隣で体育座りをする冬樹は、自分の髪をいじりながら愚痴を溢す。
元々パーマをあてているので、俺からは変わりないように見えるが本人は気に入らないらしい。
「そういえばこの前行ったドーナツ屋。私何回か行ってるけど、菊地のこと見たことないわ」
「まあな、俺は基本裏方だから」
「でしょうね、菊地みたいな無愛想が店先に出たら客が逃げそうだもの」
「一応言っておくが俺だって接客くらいするぞ。冬樹にコーヒーのお替りを注ぎに行ったことだってある」
「うっそ、全然気づかなかった。影薄すぎでしょ」
「そうだろうな、昔兄ちゃんから教わった存在感を消す方法で近寄ったから」
「なんで忍者みたいなことしてんのよ。普通に声かけなさいよ」
それはお断りだ。
バイト中にクラスメイトから絡まれるなんて面倒でしかない。仲のいい者同士なら違うのかもしれないが、俺は真面目に素早く仕事を片付けたいのだ。
「それにしても、そんな無愛想でよく接客なんてできるわね。営業スマイルの一つでもしないとバイト先で注意されたりするんじゃない?」
「まあ、店長からは表情筋が死んでるとか言われたことはあるけど、俺だって笑えないわけじゃないぞ」
「あら、そこまで言うなら笑ってみなさいよ。ほら早く」
挑発するように笑う冬樹。
相も変わらず腹の立つ話し方だが、ここはあえて挑発にのってやろう。
俺も飲食店で働く者の端くれ、ここは一つ渾身の菊地スマイルを裏の女王にお見舞いしてくれる。
『ニコッ』
「ブアッハッハッハ、なにその変顔『カシャッ』ちょっ、ヤバいからアッハッハ『カシャッ』キモすぎだわ、ちょっとこれSNSにあげるからっ」
おれ、ふゆき、きらい。
せっかくの笑顔を変顔だの言いやがって。なんて失礼なんだ。
しかも手に持っていた端末で、無許可で撮影をするなんて非常識だ。
ひとしきり笑い終えた冬樹に呆れている間にも、予行練習は進み人の入れ替えが発生する。何人かのクラスメイトが待機場所に戻ってきて、その中には陽代美の姿があった。
「沙織、キク。飲み物買いに行かない?」
「ごめん、今から私の出番だわ。菊地、私の分も買ってきて。はい、お金。……気を付けてね」
そう言いつつ冬樹はお金を俺に投げつける。
冬樹とは協力関係ではあるが、パシリになった覚えはない。
飲み物を買いに行くこと事態に不満はないのだが。気をつけてね、とはなにやら物騒な気配に怪訝な顔をしていると、冬樹はまたも卑し気な顔になり小声で囁く。
(行けばわかるわ、莉愛の護衛。頼んだわよ)
「どうしたの? 二人とも」
「なんでもないわ。菊地、私は甘いコーヒーね。それじゃよろしく」
理由はよくわからないが、冬樹に見送られながら陽代美の後に続き自動販売機を目指す。
しかし護衛とは、陽代美は誰かから命でも狙われているのだろうか。
「キク、沙織とはどんな話をしてたの?」
「別に普通だよ。この前行ったドーナツ屋の話しとか」
「そっか。……キクと沙織が仲良くしてくれたら、私も嬉しいな」
我らが女王様よ、気味の悪いことは言わないでいただきたい。
俺に対して、本性を見せるようになった冬樹は性悪そのもの。仲良くなれる気がしない。
グラウンドを離れて校舎に近づけば、暇を持て余した生徒が至る所にたむろしている。
ガラの悪い生徒が多いとは知っているが、特にこの辺りは顕著で、なにかの集会でもしているのかと思うほどだ。
そこに、複数の男子が陽代美に近寄る。
『陽代美ちゃあん、どしたの一人で?』
『暇なら俺らと遊ばん?』
下卑た笑みを浮かべながら近寄ってきた男たちが陽代美の進路を妨害するように立ち塞がる。俺たちと同じ緑色の体操着を着ていることから、同級生だとわかるが、見たことも無い男たちだ。
話しかけられた陽代美の後ろからどう動くのか静観をしていると、彼女は何も答えずただじっとしている。
困っている。
表情は伺えないが、彼女の背中からはそう感じとれた。
ここで得心がいく。冬樹が言っていた護衛とは、こういうことなのだろう。
「陽代美、行くぞ」
強引に彼女の腕を取り、その場から離脱するように歩き去る。
後ろの方では、割って入った俺に悪態をつく男たち。しかし、そんなことは中学で慣れている。
そのまま無視をして暫く歩き、陽代美の腕を離す。
「ごめん、無理に引っ張ったりして」
「……ううん、ありがとう」
申し訳なさそうに俯いた陽代美は視線を地面に向けている。
恐らく彼女はあの手の連中からよく声をかけられるのだろう。普段は大秋や冬樹がそばにいて、言い寄ってきた男を適当にあしらったりしているのではないだろうか。
陽代美は女王様、誰にでも公平で物言いができる彼女も、好意を盾に近づかれれば邪険に扱うことが難しいと想像がつく。
陽代美と話すようになって危なっかしいと感じることが多々ある。
皆の人気者で人格者、けれど無敵ではない我らが女王様。
冬樹の指示通り、彼女がクラスの輪に戻るまでは俺が盾となろう。
「おおい、莉愛ちゃん」
そんなことを思っていると、またも別の男の声がする。
声のする方を見れば、青い体操着を着た男連中が十名ほどたむろしている。三年生の先輩たちだ。
上級生からも絡まれるのかと、気を揉んでいたが、陽代美は先ほどの男子たちとは違い、声をかけてきた人物たちのところまで迷いなく歩み寄る。
俺も慌てて彼女の後について行くと、生きた空もない状況だと知る。
そこにいた男たちは屈強な身体で、誰もが髪を染め、耳や鼻にピアスを装着している。
普段人と話をしない俺でも知っている、守邦高校でも最も凶悪だと噂される不良グループだ。
「莉愛ちゃん、そっちの彼は……彼氏くんかな?」
「……クラスメイトです。今は彼と飲み物を買いにいくところでした」
「アハハ、そっか。またトラブルにでも巻き込まれてるんじゃないかと思ってさ、つい呼んじゃったよ」
「お気遣いいただきありがとうございます」と、陽代美は頭を下げる。
陽代美に話しかけてきた男は、たむろしていた先輩たちの中で最も華奢で、髪は橙色の短髪。左耳に青い大粒のピアスをして、全体的に穏やかな優男という印象だ。
橙色の髪の男は屈強な男たちの中心に座り、陽代美と俺を交互に見比べている。
(キク、『仕切り役』の柴原先輩、挨拶して)
陽代美から小声で挨拶を促される。
仕切り役とは聞き慣れない言葉だが、陽代美の隣に立ち、軽く会釈をする。
「陽代美さんのクラスメイトの菊地です」
「へえ、菊地? もしかして、苅野工業の千堂って男知ってる?」
「あ、はい。千堂先輩とは同じ中学です」
「そっか、君が菊地くんか、なるほどね」
俺の言葉に頷く柴原先輩。
先日ゲームセンターで再会した千堂先輩を知っている様子だ。
「この前さ、千堂から連絡があって、二年の菊地を面倒見てやってくれなんて言われたんだけど、誰だかわかんなかったんだよねえ。でもまさか莉愛ちゃんと同じクラスとは、うんうん、千堂が認めているだけあってなかなかにいい男じゃん? 皆もそう思うっしょ?」
柴原先輩が周りに話しかけ、周囲にいた険しい顔をした男たちが温かい笑みをこぼす。
よくわからない状況だが、飄々とした態度の柴原先輩を中心に和やかな空気が漂うのは感じた。
「菊地くん、もしも困ったことがあったらさ、いつでも俺を頼ってきてよ。なんでも相談にのるからさ」
「はぁ……ありがとうございます」
口ではそう言いつつも、心の中では柴原先輩に対して同情のような感情を抱く。
なんでも、なんて言葉は簡単に口にするべきではない。
しかし、そこで柴原先輩の隣にいた、周りの男たちの中で最も体格がよく、顔に古傷の痕がある大男が口を開く。
「シバ、ひなちゃんがこっち見てるぜ」
「困ったなあ、別に後輩をいびってるつもりなんてないんだけど。二人とも、急に呼び止めたりしてごめんね」
「いえ、それではこれで失礼します」
「はいはあい、またねえ」
柴原先輩から見送られ、陽代美の後に続きその場を離れた。
怖そうな先輩たちから離れ、少しのあいだ無言のままでいると陽代美が笑みをこぼす。
「キク、柴原先輩に名前覚えてもらえたね」
陽代美は嬉しそうに歩いているが、俺は全く状況が呑み込めない。
そこで、隣を歩く彼女にいくつか質問をしてみる。
「なあ、陽代美。さっき言っていた『仕切り役』ってどういう意味だ?」
「ええっと、学校側が認めた権力者が生徒会長で、守邦高校の生徒が認めた権力者が仕切り役って言えばわかるかな?」
「……すまん、よくわからん」
「説明が難しいんだよね。学校の悪っぽい人たちを纏めている人で、学校や警察にも相談できないことを解決するために動いてくれる人。それがさっきの柴原先輩」
「昔風で言う、番長みたいな感じか?」
「少し違うかな、柴原先輩は力で押さえつける人じゃないから」
なんとなくだが理解はできた。
例えるなら、陽代美が小国の女王様とすれば、柴原先輩は大国の王。
多くの生徒から相談を寄せられたり、頼られる人なのだろう。
「陽代美は柴原先輩と仲がいいのか?」
「ううん、そういうわけじゃないよ。柴原先輩は誰にでも優しいから、私も昔助けてもらったんだ」
「助けてもらった?」
「うん。一年のときにね、他校の生徒からしつこく言い寄られていたときに、柴原先輩たちが追い払ってくれたんだ。それからはよく目にかけてもらっているの」
陽代美が話す光景を想像するのは容易だ。
彼女は街を歩けば誰もが振り返る美少女だ。先ほど声をかけてきた男たちと同様に絡まれたりもするだろう。そして、そんな問題を先ほどの柴原先輩たちが解決をした。そんなところではないかと推測をする。
「柴原先輩は頼りになる先輩なんだな」
「うん。ちなみに柴原先輩の隣にいて、顔に傷があった怖そうな人がいたでしょ?」
「ああ、柴原先輩に話しかけていた体格のいい人だよな」
「あの人が亜由の彼氏さんで阿久津先輩、柴原先輩の右腕って呼ばれている人なの」
「……そう、なのか」
怖い、今ここに居ない姉御の彼氏さんが怖い。
街中で阿久津先輩とすれ違えば、咄嗟に顔を伏せて道を譲るような人が大秋の彼氏さんだとは。
今後、姉御の怒りは買うまいと心に誓った瞬間でもあった。
そして、自動販売機で飲み物を買って戻る最中、柴原先輩たちがたむろしている方を見れば笑顔で手を振っている先輩の姿があった。
俺と陽代美は軽く会釈をして、その場から離れる。
最初は肝を冷やしたが、陽代美の様子を見れば先ほどに比べれば足取りが軽い。
「なあ、陽代美。変なこと訊いていいか?」
「うん、どうしたの?」
「柴原先輩のこと……好きなのか?」
「そうだなあ、異性としてって意味なら違うけど、人としては尊敬できるいい先輩だよ」
「そう、か」
「でもね、隣にいてくれる男子ならキクが一番安心できる人だよ」
「――ッ」
すまん、冬樹よ。
手に持つ甘いコーヒーの紙パックを少し変形させてしまった。
気にする訳ではないが、背筋を伸ばして陽代美の護衛任務を継続する。
どうやら、女王様からの信頼は厚いようだ。




