しゃいんさん割引
体育祭の出場種目が決まった翌日。
昼休みをいつもと変わらず楽しげに過ごす二年C組の生徒たち。
彼らの話題に耳を澄ませば、体育祭の話だったり、部活が休みになりどこへ遊びに行くかの相談だったりで、テスト前の緊張感は皆無と言える。
「中間テストめんどいよねえ」
前の席に座り溜息混じりに話すのは春宮なぎさ。
最近、昼休みに春宮が俺のところへきて話をするようになった。
「春宮は勉強が苦手なのか?」
「ううん、どうかな。一応赤点は回避できてるくらい。キクっちは?」
「俺もそんな感じだな。それでも全体で言えば真ん中よりちょっと上くらいだけど」
「アハハ、そうだねえ、ある意味凄いよね。守邦高校って」
春宮が笑うのも無理はない。
守邦高校の定期考査で各教科の赤点は三十五点。そして教科によっては平均点が赤点を下回ることも珍しくない。
つまりテストで赤点以上の点数さえ取れば、中位から上位の成績が取れてしまうのが偏差値低めな守邦高校だ。
「それでもサオリンは凄いよ。毎回テストで一位とってるんだもん」
「そうだな。なんでこの高校に進学したのか不思議なくらいだ」
「たぶんだけど、リアチィと同じ学校に行きたかったからじゃないかな? 二人とも同じ中学出身だし。昔からの親友っぽいし」
なるほどな、と頷き教室内の後ろへと視線を向ける。
そこには、いつものように談笑をするギャルグループ。陽代美と冬樹を中心に女子がたむろしており、数名の男子たちが彼女たちを放課後遊びに誘っているようだ。
「春宮はここにいていいのか? なんか遊びにいく話をしているみたいだけど」
「別にいいよ。どうせ男子の狙いはリアチィかサオリンだもん。アタシが行ったところで子供扱いされるだけだから」
「春宮が子供扱い? どうして?」
「前にも言ったけどアタシってばチビじゃん? だから合コンとかに誘われても全然相手にされないんだ。だから、いいの」
「そう、か」
しょんぼりとした春宮をどうやって励ましていいのかわからない。
人間関係の問題なら陽代美や冬樹が手を貸してくれるだろうし、俺でもいいなら相談にも乗る。しかし、身体的な問題ばかりは難しい話だ。
「ねえ、キクっちはどうやったらそんなに身長伸びたん?」
「特になにもしていないな。父ちゃんも兄ちゃんも同じくらいの身長だから」
「いいなあ。アユユなんて一七〇センチ超えてるし。ユリにゃんもリアチィもサオリンも一六五センチくらいあるし。私だけ一四二センチだよ、あと十五センチくらいは欲しいよ。それにしてもキクっちは遺伝かあ、遺伝なのかあ」
遺伝かどうかは知らないが、共に行動をする友人たちの背が高ければコンプレックスを持ってしまうのも頷ける。
昔兄が『自分に無いものに焦がれるのはジャパニーズピーポーの性である』なんてことを言っていた。
「身長、伸びるといいな」
「そうだねえ、一応これでも毎日牛乳飲んで、ぶら下がり健康器にぶら下がってるんだけど」
「ぶら下がり健康器? そんなのあるんだ」
「うん、あるよ。昔お姉ちゃんが買ったやつでさ、公園とかにある鉄棒に、手に持つ部分にスポンジがついた感じの」
「ああ、それならウチにもあるかも。母ちゃんの部屋にあって大抵洗濯物が干されてる」
「アハハ、ウチもだよ。やっぱどこの家もそんな感じで使ってるんだね」
先程まで暗い顔をしていた春宮が笑顔に戻り一安心。
やっぱり春宮には笑顔がよく似合う。
ギャル五人衆の中でも春宮は特別な存在だ。クラス内外に友人を多く持ち、女子特有のグループも彼女の前ではあまり意味をなさない。
休憩時間ともなれば男子女子関わらず話しかける姿をよく目にする、そのおかげでクラスで孤立をしている俺に春宮が話しかけてきても誰も変とは思わない。
そして身振り手振りでぶら下がり健康器の説明をしてくれた春宮からは、ほのかに香る甘い匂い。
じゅるじゅるあーとならぬ、ジルスチュアートの香水を今日も使っているのであろう。
他のギャルとは違い、主張しすぎない香りには好感が持てる。
「……キクっち、今アタシの香水の匂い嗅いでたでしょ?」
「ああ、よくわかったな」
「だって、キクっちの鼻がぴくぴく動いてたもん」
「そうか……春宮は鼻フェチだったのか」
「違うからっ、アタシ鼻フェチとかじゃないからっ」
春宮と愉快な雑談をしていると、携帯端末が振動する。
それは目の前の春宮も同様のようで、画面には一つのメッセージが届いていた。
『放課後空いてる?』
陽代美からのメッセージだ。
後ろを振り向けば、変わらず談笑をしている我らが女王様とその取り巻きたち。
「ねえ、キクっち。放課後空いてる?」
「もしかして陽代美からか?」
「うん、リアチィ困ってるっぽいよ。今中間テストで部活がしばらく休みじゃん? だから運動部の男子からのお誘いがキツイんじゃないかな」
守邦高校では、中間考査の前一週間は部活動が禁止となる。
俺のアルバイトも同様でこの一週間は、確かに空いている。
「俺は大丈夫だけど」
「それじゃアタシとキクっち、二人とも大丈夫って送っておくね」
「……もしかして、合コンにでも誘われるのか?」
「違うんじゃないかな。逃げる口実が欲しいだけだよ、たぶん」
そう言いながら春宮はメッセージを送り返したらしく、『放課後 外で合流しよ』と陽代美からのメッセージが届いた。
人気者は大変なのだろう。同情するしか平民の俺にはできそうもない。
放課後になって陽代美、冬樹、春宮、俺の計四人で合流する。
集まった場所は学校近くの公園。そして陽代美と冬樹は疲れた表情を浮かべている。
「リアチィ、サオリン大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。それにしてもどうして運動部の連中ってあそこまでしつこいのかしら。優里奈や亜由がいないと不便だわ」
「今日は江夏や大秋は一緒じゃないのか?」
「うん、ユリにゃんはこっそりバイトで、アユユは彼氏さんのところだってさ」
その言葉に眉をひそめる。
試験前に隠れてバイトをしていることがばれたら停学処分のはずだ。江夏は大丈夫なのだろうか。
「それで今からどうするんだ?」
「キク、ドーナツ屋でバイトしてるってハルミィから聞いたけど」
「ああ、駅前のドーナツ屋だよ。それが?」
「うん、じゃあそこにしよ」
陽代美の提案に女子二人が頷き歩き出す。
本音を言えばあまり行きたくはない。しかし既に決まってしまった女王様による行動方針、ここは大人しくついて行くことにしよう。
駅前のドーナツ屋を前にして中を覗けば、いつものように店長とその他のスタッフが仕事に精を出している。
この時間帯であれば調理スタッフが用意した揚げたてのドーナツが食べられる時間帯ではなかろうか。
「二人は席に座ってていいよ。アタシとキクっちで注文してくるから」
「ありがと、ハルミィ。それじゃあ私はチョコファッションとアイスティーのレモンで。莉愛は?」
「うん、私も沙織と同じのにする」
春宮がぐったりとしていた二人に気を使い、レジの列に二人で並ぶ。
俺もなにを頼もうかと考え、順番が進みレジを打っていた店長と目が合った。
「あら、菊地くんがバイト以外で店に来るなんて珍しい。隣の子は彼女さん?」
「お疲れ様です。クラスメイトですよ。まだ他に二人来てます」
「ふうん、女子を連れて放課後にお茶かあ、いいなあ、青春だわあ、妬ましいわあ」
「……店長、注文をしていいですか?」
「はい、どうぞ」
俺が働くドーナツ屋の店長は三十代の女性で独身だ。ことあるごとに高校生のバイトに対して若さを呪う発言のせいで、この店で働く高校生は俺一人だったりする。
そして先に二人の注文を済ませ、隣にいる春宮を見れば財布を開き難しい顔をしている。
「春宮はなににする?」
「ううん……アタシはアイスティーだけでいいや」
「ドーナツ、食べないのか?」
「うん、今月ちょっと厳しいから」
そう言いつつ春宮は財布からドリンク代だけを取り出そうとしていた。
いい機会だ。ここは全国チェーンのドーナツ屋で働く者の権利を行使することにしよう。
昔父が『受けた恩はちゃんと返せ』と言っていた。
「店長、すみません。さっきの注文、四つずつで」
「はあい、それじゃあ菊地くんがまとめて払ってね。しゃいんさん割引が使えるから」
レジに提示された額を財布から取り出し、会計を済ませレジ横に移動する。
その間、隣の春宮からは不思議そうな顔で見つめられる。
「今日はご馳走するよ。ドリンク代もいいから」
「へ? なんで?」
「それはこの前の……お菓子の御礼だ」
「ええ、別にいいのに。んん、でも……ありがと、キクっち」
春宮には先日、香水の話を教えてもらった恩がある。
岡部くんと柳さんの件を解決できたのも彼女のおかげだと言えなくもない。それに、礼をしたい人物はまだ他にもいる。
注文した品を春宮と分担して受け取り、テーブル席へと向かう。
すると、俺たちに気づいた二人が財布を取り出していた。
「キク、いくらだった?」
「ああ、いいよ。今日は俺が出すから」
「どうして?」
「それは……これまでの御礼ってことで」
「うん?」
「あら、殊勝な心掛けじゃない。いいわよ、莉愛。今日は菊地にご馳走してもらいましょう」
腑に落ちない表情の陽代美に対して、俺の言葉を理解した冬樹に飲み物とドーナツを配る。
中学の頃とは違い、平穏な高校生活を送れていたのは彼女たちのおかげだ。直接世話になったわけではないが、安心して暮らせる環境を提供してもらったのだから、御礼をするくらい構わないだろう。
それから四人でドーナツを頬張りつつ、女子三人が雑談に花を咲かせる。
雑談の内容は昼休みに誘ってきた男子たちの話題で、主に冬樹が愚痴を溢し、陽代美がそれに同意し、春宮が二人に合わせて相槌をうつ。
しかし一応俺も男なわけで、男子たちに対する愚痴話には静観するしかない。
「菊地、さっきから黙ってないで会話に加わりなさいよ」
「そう言われてもな。結局、どうやって男子からの誘いを断ったんだ?」
「他の女子たちに押し付けてきたわ。それに、フフっ、莉愛が『今日は他の男子と遊びに行く約束があるから』って言ったのが効いたわね」
「うん、だからキク。今日は付き合ってくれてありがとね。それにドーナツもご馳走様」
「大丈夫。従業員割引きで安かったから」
「菊地、そういうことは言わない方がいいわよ。せこい男に見られるから」
俺をからかう冬樹は、笑いながらアイスティーに口をつける。
そしてやはり、陽代美はいい意味で変わっていると思う。
誘いを断るのなら、適当に嘘をついてしまえばいい。なのに実際に約束を取り付けた後に、男子からの誘いを断るあたり誠実というか、不器用と言おうか。
それでも嘘をつかない姿勢はいいと思う。
「あ、そう言えばキクっち脚速いんだね。昨日の体育の時間見てたけどビックリした」
「ええと、それは――」
「菊地は元陸上部だったらしいの。でも他の人には教えないでねハルミィ。一応、これでもウチのクラスの秘密兵器だから」
「昨日も思ったが冬樹よ、人を兵器扱いするなよ。それに秘密にするんじゃなかったのか?」
「いいのよ、ちゃんと話す相手は選んでいるから」
それは春宮が信頼の置ける人物だということだろう。
しかし、俺のことを兵器か物のように扱う裏の女王には呆れるばかりだ。
「へえ、キクっち陸上部だったんだ。アタシもさ、体育祭で一○○M走に出るんだけど速く走るコツとかってある?」
「それは、走る練習だな」
「ええ? もっとこうさ、これをすればお手軽に速くなるとかってないのかな?」
難しい質問だ。
人によっては筋力の向上、フォームの修正、スタートの改善などあるが、恐らく春宮が聞きたいのはそんな専門的な話ではない。
そこでお手軽とは言えないが、陸上部の顧問から教わった方法を伝授してみよう。
「呼吸を殺すことだな」
「こ、ころす? なにそれ物騒じゃない」
「すまん、言い方が悪かった。息を止めて走るんだ、陸上の短距離の選手は大抵息をせずに走るから」
「そうなん? でもなんで息を止めるの?」
「そうだな……春宮は昔スポーツかなにかしていたか?」
「うん、中学の頃はバドミントン部だったよ」
「そうか。じゃあ例えばだけど、バドミントンで羽根を打ち返したりする時、息を止めたりしなかったか?」
「あ、するする。スマッシュを打つ時とか無意識に息止めてたりするよ」
「うん、人間は力を最大限に発揮する時は息を止めるんだ。だからその状態を維持したまま走れば速く走れる」
「うええ、なにそれ大変そう」
だからこその練習なのだが、これ以上は俺もいい考えが浮かばない。
そこで話題は体育祭に移り、陽代美が秘めていた胸の内を明かすように話し出す。
「今年は、優勝できるといいな。今のクラス、凄くいい感じだし」
「確かにね、どこかの誰かさんのお陰で女子たちの隔たりもなくなったし、いい感じに纏まってきたわよね」
「そうそう、尾田ちゃんたち最近仲良くなったよね。一緒にダンスもやるし」
春宮の言う通り、クラスのギャルたちは応援合戦のダンスに出場する人物たちがほとんどだと記憶にある。
向かいに座っている陽代美はそんなクラス内事情に満足をしているのか、俺の隣で話す春宮の話に頷きながら目を細めている。
彼女の願いは『クラスの皆が仲良くなる』。もしも体育祭で優勝することができれば、より一層クラスの団結力は強まるだろう。
どうやら、我らが女王様の願いは体育祭に掛かっているようだ。




