作戦会議
「へえ、菊地くん陸上部だったんだ」
リレーのメンバーと冬樹が集まり走順を決める話し合いをすることになった。
そして現在、なぜ冬樹が俺を推薦したのか不思議に思ったサッカー部の酒井くんと、バスケ部の馬場さんからの質問に答える。すると馬場さんから提案が入る。
「でもさ、菊地くんが脚速いんならもっと他の競技にも出てもらったほうがよくない? そっちのほうがポイント稼げるじゃん」
「そ、それは……」
「作戦よ。菊地が脚速いって知ってる人はこの学校にはほとんどいないの。まあ秘密兵器みたいな感じね。だから菊地が元陸上部って話は他ではしないでね?」
「そっかあ、秘密兵器なら秘密にしとかなきゃだねえ。フフっ、秘密秘密」
俺の代わりに冬樹が答え、馬場さんが口元に人差し指を当てて楽しそうに陽代美と話す。
隣にいる酒井くんも異論はないようで、そんな二人を爽やかな笑顔で見守っている。
(冬樹、今のは?)
(私からの最大限の譲歩よ。目立ちたがらない菊地に配慮をしてあげたんだから、リレーくらい頑張りなさいよ。莉愛が今年の体育祭は勝ちたがっているみたいだから)
(……わかった)
他の三人に悟られないように冬樹と話終わり、いよいよ本格的に走順の話し合いとなる。
クラス別対抗リレーは男女混成の四人編成。陸上部にいたころはどんな風に走順を決めていたかな、と思い出しているあいだにも話は進む。
「やっぱさあ、大事なのは最初に走る人と、最後に走るアンカーの人?」
「どうだろう、俺もあまり詳しくないから経験者に聞くのが一番じゃないかな」
「そうだね、キク。どうしたらいいと思う?」
そしてその場に居た全員の視線が俺に集まる。
俺も最初に発言をした馬場さんの意見にはおおむね同意だ。しかし、四○○Mリレーと一六○○Mリレーには大きな違いが存在する。
「たぶん一番大事なのは二走、二番目に走る人だと思う」
「え? そうなの?」
「うん。皆は体育祭のしおりでリレーのルール確認はしてる?」
「いやあ、アハハ。実はまだいまいち理解できてないんだよね。リレーのメンバーになるの今回が初めてだからさ」と、馬場さんが答える。
残る三人も同様らしく、俺の言葉に得心がいかないといった顔をしている。
あまり人前で話すことは慣れていないが、できるだけわかりやすく説明をするよう心掛ける。
「まず、クラス別対抗リレーの第一走者はセパレート。体育祭当日では決められた白線内で走ることになるんだ」
「え、他は違うの?」
「うん。二走からはオープンコース。つまりトラックの中を好きに走っていいってことになるんだ」
「ああ、成程ね。二走が大事ってそういうことか」
「ちょっと、なんで酒井はもう理解しちゃってるの。私まだわかんないですけどっ」
酒井くんは俺の言いたいことを理解してくれたようだが、馬場さんはまだわからない様子。どう説明したものかと考えていると陽代美から先を促される。
「キク、どうして二番目に走る人が重要なの?」
「そうだな……例え話だけど最初に走る第一走者が全員同じタイミングでバトンを第二走者に渡したらどうなると思う?」
「ええっと、最初に走る人は走る場所が決められていて、第二走者からは好きな場所を走っていいんだから……ああっ、走る場所の奪い合いがあるんだ」と、馬場さんが納得の表所を見せる。
「そう。選手同士がぶつかり合ったりして、バトンを落としたり転倒したり。トラブルが一番発生しやすいのが第二走者なんだ」
俺の発言に関心した様子を見せる四人。
テレビなんかでもマイルが報道されることはほとんどないため、知らないのも無理はない。
「身体のぶつかり合いがあるなら、やっぱり男子の方がいいかな?」と、陽代美が提案する。
「そうだね、もし菊地くんがよければだけど俺が第二走を走ってもいいかな?」
「え、いいの?」
「うん。俺はサッカーで身体のぶつかり合いなんて慣れっこだし。それにアンカーは一番脚が速い人がいいと思ってさ」
酒井くん、頼もしい。
俺がもし女子なら、彼みたいなボーイフレンドがいいと願うだろう。しかし、アンカーは一番脚が速い人って、それはつまり。
「じゃあ私第一走者でいい? 出番が後の方だと緊張しちゃうからさ」
「うん、それじゃあ私は三走かな。アンカーはキク、お願いね」
「……わかった」
マイルリレーは陸上の華。そして最後を走るアンカーは各校の信頼される人物が担うポジションだった。
体育祭とはいえ、再びそのポジションに座ることになろうとは責任重大だと感じる。
「それじゃあリレーの走順は、第一走者馬場、第二走者酒井、第三走者莉愛、最後は菊地で登録しておくわ。それと……まだ時間はあるみたいだし、ちょっと練習しておきましょ」
「いいのか? というかD組の生徒と先生はどこにいったんだ?」
「当日私たちが待機するテントの確認よ。あとで私たちも行くから、さっさと済ませちゃいましょ。ぶっつけ本番よりもいいでしょ?」
「それはそうだけど、体育祭なのに練習って……」
「どうせなら勝ちに行くわよ。ストップウォッチも借りてきたし、ほら早く」
冬樹、案外熱血なのだろうか。
五人で運動場へ戻り、トラック内で遊んでいたクラスメイトに道を開けるよう冬樹が指示を出す。
バトンが手元にないため、替わりに近くにあったゴミ箱から空のペットボトルを持ってきて第一走者の馬場さんへと手渡される。
「菊地くんっ、白線がまだ引かれてないからわかんないんだけど。私、どのへん走ったらいいかな?」
「トラックの真ん中あたりを走ればいいと思うよ。コーナーの部分もできるだけイン側に寄らないように」
「わかったっ、酒井ィ、ちゃんと私のペットボトル落とさず受け取ってよねっ」
「ハハッ、オッケー、任せてよ」
そう言いつつ馬場さんはスタートの位置につく。
それにしても仲がいいな、うちのクラスは。これも我らが女王様と裏の女王の力によるところなのだろうか。
「よーい、ドンッ」
冬樹の合図に馬場さんが走り出す。
俺の助言通りトラックの真ん中を意識して走る馬場さん。
運動部女子を代表してきただけに、その走りは実にしっかりとしている。もしも守邦高校に陸上部があればスカウトされてもおかしくない速度を保ち、酒井くんにペットボトルが手渡される。
彼が走る姿に女子たちからの黄色い声援が飛び、他の運動部の男子からも野次が飛ぶ。
速い、素直にそう思った。
走る姿勢はとても綺麗で、体幹もしっかりしている。イケメンの彼がアンカーを走れば実に絵になる光景だろう。
しかし、すでに走順は決まっているので、俺の考えはあとの祭りというやつだ。
そして酒井くんがトラックの半分を過ぎたあたりで、俺は第三走者の陽代美に注意を促す。
「陽代美、当日は前の走者がトラックの半分に来たところでバトンを受け取る位置が変わるから、臨機応変に」
「わかった、今日はインコースにいていいかな?」
「ああ、当日も他の走者が前へ出たらどんどんイン側に寄っていいから」
陽代美が頷き、酒井くんからペットボトルを受け取り走り出す。
いつもは降ろしただけの長い髪を、今日は気合が入っているらしく、一つに纏めた髪が彼女の走りに呼応して揺れる。
ポニーテールとはよく言ったものだ。風を切るように進む姿はまさにサラブレッド、走る姿に高貴な印象を受けながら我らが女王様は疾走する。
陽代美が昔なにかの運動をしていたとは聞いたことがない。だというのに、第一走者の馬場さんにも劣らない走りに息を呑む。
これはただの練習、わかってはいるが陽代美のあんな姿を見せつけられては俺も走りで応える他あるまい。
腰を落として陽代美を待つ。そしてペットボトルを受け取り走り出す。
先ほどの代表選考で地面の感触と運動靴の感覚は掴んでいる。
第一コーナーに差し掛かり身体を左に倒し疾駆する。
地面がすぐ隣にある感覚、実に久しぶりだ。
そしてコーナーを抜けた先で、自分の視力がいいことを少しばかり後悔する。
ストップウォッチを持った冬樹がこっちをじっと睨んでいる。本気を出せ、と言いたいのだろうか。
別に手加減をしているわけではないが、昔を思い出すためにも己の最高速度に挑むのも悪くない。
呼吸を殺す。
陸上部の顧問から、俺は後半型の選手だと言われたことがある。スタートを苦手と感じたことはないが、指導者の視線からはそう映ったらしい。
トラックの後半にきて加速する。
ぐんっと狭まる己の視界。流れていく周りの景色。俺だけの世界。
この感覚に魅了され、陸上に全てを捧げていた中学時代。
あの時は、もう戻ってこないのだと感じつつ、ゴールラインをきる。
肩で大きく息をつきながらゴール付近にいた四人のところへ戻ると、啞然とした表情で出迎えられる。
「菊地くん、なんで後半のほうが速くなるのっ? 普通、疲れてきて遅くなるんじゃない?」
「それは……俺は後半に強いタイプって言われていたから、そのせいじゃないかな」
「そっかあ、でもなんかいいよね。後半にバッキューンって走れるのって」
質問をしてきた馬場さんを中心に、残る三人に笑みが零れる。
俺が走る姿がそんなに印象的だったのか、当の本人である俺にはよくわからない。
「菊地、今測ったタイムだけど『三分四十八秒』。これってどうなの?」
「――ッ。かなり、いいと、思うぞ」
「そう、それなら一位も狙えるってわけね。ふふん、優勝見えてきたんじゃない?」
俺の発言に喜ぶ四人に対し、今度は俺が唖然とした。
知らないとは、時に罪となる。そう感じた。
俺たちが走った距離は一六○○Mリレーを世界陸上で活躍する選手が走っても三分代前半だったと記憶にある。
陸上部でもない寄せ集めが走ってこのタイム。化け物か、うちのクラスは。
そして驚いているのも束の間、遠くの方から体育教師の声が聴こえ二年C組に対し集合がかけられた。
その間に冬樹に気になっていたことを訊いてみることにする。
「冬樹。少しいいか」
「なあに?」
「クラスの皆が仲良くなるように陽代美は望んでるけど、具体的にはどうやったんだ? 一年近く同じクラスに居ても、冬樹が何かしているとは思えなかったが」
「そうねえ。……例えば今日のLHRで、私は東と西尾にクラス別対抗リレーに立候補をするよう頼んだことかしら」
「あの二人が、関係あるのか?」
「ええ、緩衝材としてね。普段クラスでも目立たない菊地が、いきなりリレーのメンバーに選出されれば不満に思う男子も少なからず居るでしょう? だから男子の中心的な立場の東と西尾に認められれば他の男子も納得せざるを得ないのよ」
俺は今、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているだろう。
体育祭のリレーメンバーを決めるためだけの出来事も、裏の女王こと冬樹の思惑が張り巡らされていたという話に呆然とする。
「冬樹は、いろいろと凄いんだな」
「あら、そんなことないわよ。男子なんて身体能力さえ高ければどうとでもなるもの。とても簡潔でわかりやすいじゃない。なんなら、去年女子たちを静かにさせた方法も教えて欲しい?」
「……やめておくよ」
「ええ、そのほうが賢明よ」
そう言いながら冬樹は陽代美の隣に立ち談笑をする。
どうやら、裏の女王を怒らせてはいけないようだ。




