協力関係
「菊地、ちょっといい」
朝、教室に入るなり裏の女王こと冬樹に捕まった。
また昨日のように呼び出されるのかと警戒をしていると、冬樹は両手を挙げる。
「大丈夫よ、もう莉愛とは話がついているから」
教室を見渡すと既に登校していた陽代美を見れば、こちらに向かって頷く姿が確認できる。話し合え、そう女王様がおっしゃるのであれば従おう。
俺は頷き了解の意思を伝えると、冬樹は両手を降ろし隣に立つ。
「じゃあ、こっち来て」
そして冬樹は教室を出る。俺も鞄を机に置き、彼女の後に続けば、昨日と同じ屋上前の扉まで来ていた。
なにが目的なのか、俺の方へと振り返った彼女の思惑は読めないが、緊張感を保ちつつ言葉を待つ。
「まず、昨日のことについて強い言葉を使ったことは謝るわ。ごめんなさい」
「な、なんだよ。いきなり」
「莉愛から言われたの。最初に謝れって。それで、私のことは許してもらえるのかしら? 莉愛のお気に入りさん」
相も変わらず腹の立つ話し方だが、別に俺も冬樹の言い分に異を唱えるつもりはない。
やり方は強引かもしれない。それでもクラスに平穏をもたらしていた人物が冬樹なら、感謝の言葉を口にしなくとも、許すくらいなら問題ない。
「別に、いいよ。気にしてないから」
「それはどうも。それにしても菊地と莉愛ってどういう関係なの? 莉愛ってばそのあたり全然答えようとしないし」
「それは、ただの友達だよ」
「……ふうん、ま、いいけど」
答えたくない。
陽代美も子供の頃に交わした約束を本気にしている訳ではないだろうが、それでもこの裏の女王に知られることは避けたい。
なんでもいうことを聞く、そんな馬鹿げた約束を盾にされれば一体どんな要求をされるかわかったものではない。
「それじゃあ私から一つ提案があるわ、菊地。私と協力関係を結びなさい」
「協力って、なんの?」
「莉愛の願いは、知っているんでしょ?」
「願いって……確かクラスの皆が仲良くなる、だっけ?」
「ええ、そうよ。私はあの子の願いのために今のクラスを造ったの。でも、莉愛は気に入らないところがあったらしくてね。考えを改めることにしたわ」
合点がいった。
なぜ冬樹がここまでしてクラスの情勢を操っていたのかわからなかった。しかしそれは、友人のためだったとあれば、ある程度は納得のいく話だ。
「協力するのはいいけど、具体的には?」
「菊地にはこれまで通り莉愛から相談を受けて動いてもらって構わないわ。強いて言えば情報の共有ね、これから莉愛の頼みを聞くときは私にも教えてちょうだい。私が得意とするのは情報収集と印象操作、そして菊地は行動で莉愛の手助けをする。どう? 悪い話じゃないでしょ」
「まあ、そういうことなら。協力するよ」
「話がはやくて助かるわ。それならID教えてもらえる? 連絡する手段がないと不便だから」
「いいけど、連絡先の追加は任せていいか?」
「……不用心ね、自分の端末を他人に貸すだなんて。じゃあ端末貸して」
冬樹に携帯端末を手渡し、戻ってきた端末の画面には『沙織』の連絡先が追加されていた。
最近、どうも環境の変化がある。メッセージアプリをダウンロードしてから一年間は、一人の友人としかメッセージのやり取りをしていなかっただけに、唐突に増えた女子たちのアカウントの列に違和感を覚える。
「ねえ、菊地」
「なに?」
「アンタってば童貞でしょ?」
「ぶっ、は、え、いや、それ、なん――」
「はい確定。わっかりやすいのよねえ、童貞の反応って。ああ、でも気にしないで、私も処女だから」
「な、なにが言いたいんだよっ」
「別に確認しておきたかっただけよ。その様子だと彼女もいないようね。ええ、そうだわ。菊地に彼女ができたら私に報告するのよ。いいわね? 今後、莉愛に迷惑をかけないためにも」
どうして冬樹にそこまで管理されなければならないのか。
そして新たな疑問。腹が立つ言動を度々する冬樹だが、陽代美にも劣らず多くの人を束ねる資質、女王となる資格はあるように思える。しかし、クラス内の二人を見ていても気が付かなかったが、どうも冬樹は陽代美を持ち上げようとする言い方は気にかかる。
「冬樹さ……冬樹、一つ質問をしていいか?」
「なあに?」
「どうしてそこまでして冬樹は陽代美の願いを叶えようとしているんだ?」
「……あの子に借りがあるの、それだけよ。そして莉愛が望むのなら、この学校の頂点にまであの子を押し上げるつもりよ。そして菊地、あなたにも莉愛と肩を並べるのに相応しいポジションについてもらうから」
「なんだそれ」
「そのうちわかるわよ。それじゃあ職員室に行きましょ」
「教室に戻らないのか? そろそろHR始まるぞ」
「委員長の仕事で雛形先生から教室へ冊子を持っていくように頼まれているのよ。それとも、俺の仕事なんかじゃないと断る? それなら副委員長の莉愛に重たい荷物を運ばせることになるのだけど」
「……わかったよ。手伝う」
「ええ、素直でいいわ。これからもいい協力関係でいましょ」と、裏の女王はニタリと笑う。
冬樹の後に続いて職員室を目指す。
職員室は昇降口のある南棟の二階にあり、会議室や生徒指導室も隣接している。
一年生、二年生の教室がある東棟から二階の渡り廊下を進み、職員室の前には多くの生徒が順番待ちをしていた。
その列の最後尾に並ぶと、見知った男子から話しかけられる。
「あれ、へえちゃん。と、冬樹さん?」
「ああ、卓はD組の委員長だったな。もう一人はどうしたんだ?」
「今日風邪で休みらしくてさ、二回に分けて冊子を運んでいるんだ」
卓は小柄な体格で腕を伸ばし、二十冊ほどの冊子を抱えている。なかなかに重そうだ。
それでも爽やかな笑顔を崩さない卓は本当にいい男だ。
「大変そうだな、手伝おうか?」
「いいよ、もうこれで最後だし。それより、へえちゃん」
「ん?」
「……いや、なんでもない。またね」
そう言うと卓は足早に職員室の前から去っていった。
そして列の順番が進み、廊下の端に置かれた長机の上には大量の冊子が敷き詰められており、担当の先生にクラスを確認してもらい、二人で冊子を受け取って職員室を後にした。
二年C組の生徒数は四十人。
冬樹は冊子を五部持ち、俺は残る三十五部の冊子を持たされ、両腕にそこそこの重みがのしかかる。
「なあ、冬樹よ」
「なあに?」
「配分がおかしくないか、冊子を持つ量の」
「そうかしら。菊地は私よりも身長が高くて、腕も長くて力も強いでしょ? だったらこれは男女平等というやつよ」
男女平等という言葉に異を唱えたいところではあるが、これ以上抗議しても無駄だろう。
それにしても人の印象とはたった一日で大きく変わるものだ。
俺が昨日まで冬樹に抱いていた印象は清楚、美人、饒舌みたいな言葉が思い浮かぶ。
しかし本性を知った今では、暴君、腹黒、毒舌といったどこぞの魔王のような印象だ。
もしも冬樹の見た目に騙され、恋をしてしまう男子がいたとすればご愁傷様だと言える。
「それにしても菊地ってD組の杉山と知り合いだったの?」
「ああ、卓とは小学校からの付き合いだ」
「へえ。確か彼って卓球部だったわよね? 菊地も卓球してたの?」
「いや、俺は中学の頃は陸上部だった。途中で辞めたけど」
「そう、二年の時に問題を起こしたってのは部活が絡んでるの?」
「……陽代美から聞いたのか?」
「いいえ、言ったじゃない。私が得意なのは情報収集。でもどうしてか菊地の過去ってなかなか出てこないのよね。まるで同じ中学の連中が庇ってるみたいに」
それは違うだろう。
誤解だとしても、俺は暴力事件を起こしたと思われている人物だ。
同じ中学の面々が口を噤むのは、報復を恐れているだけだろう。勿論、話が拡がったところで俺からなにかをするつもりもない。
「それで菊地ってどんな競技をしていたの? 砲丸投げとか、幅跳びとか?」
「なあ、さっきからどうして俺への質問ばかりなんだ。冬樹が気にすることでもないだろう」
「だから情報収集よ。本人に直接訊くほうが手っ取り早いから」
「……徹底してるな。俺がやってた競技は主にトラックだよ」
「とらっく? そんな競技あったかしら」
「ああ、すまん。陸上は大まかにトラックとフィールドに分けられるんだ。トラックが主に走る競技。フィールドがさっき冬樹が言っていた投げたり跳んだりする競技だ。そして俺はトラックの短距離がメインだったな」
「わかりにくい言い方しないでよね。……ふうん、それで陸上部での成績は?」
「言ってもわからないだろう。一応県内中学の部では一番のタイムで走れていた時期もあったくらいだ」
「普通よりは上ってことね、菊地って脚速いんだ。いいこと聞けたわ」
「どうして?」
「今、持っている冊子のタイトル。読んでみなさい」
そう言われ、両手に積み重なった冊子の表紙を見る。
するとそこには『第六十七回 守邦高校体育祭』と書かれていた。




