裏の女王
月曜日の放課後。
荷物を片付けて帰宅をしようとしていた時に、二人の男女が俺の席まで訪れる。
「菊地殿、先日はありがとうございました」
「私からもありがとう、菊地くんがいてくれてよかった」
「いや、別にお礼を言われるようなことはしてないよ」
先日、イラストを描いた岡部くんと、そのモデルを担当した柳さんから礼を言われる。
本当に大したことはしていないにも関わらず、礼を言われるのも気恥ずかしい。
しかし、普段クラスではお目にかかれない柳さんの笑顔が見れて、少し得をした気分だ。
それに二人で一緒に行動しているところを見ると、俺が帰ったあとも上手く関係を築けたのだろう。師弟関係か、男女の仲までは知らないが、仲良くする二人の姿を陽代美が見れば安心してくれるだろう。
そんなことを考えていると、一人のギャルが俺たちのところに現れる。
「き、く、ち、くん。ちょっといいかしら」
「……冬樹さん、なにか用?」
「ええ、少し話したいことがあるの。すぐに終わるから」
「話ってなに?」
「ここじゃあ二人のお邪魔になりそうだから、こっちに来てもらえる?」
「別に、話をするだけならここでもできるだろ」
俺の発言にも、ニコニコとした表情を崩さない彼女を不気味に感じる。
前にいる二人も、何事かと目を白黒とさせている。
すると冬樹は俺の傍まで近寄り、耳元に顔を近づけ囁いた。
(ツラ貸せって言ってるのよ)
背筋が凍る。
聞いたことがない冬樹の低い声色。恐る恐る彼女の方を見れば、口元は笑顔のままでも目は笑っていない。
そして冬樹は俺から離れ教室の出口へ向かい、扉の前で再びこちらへ振り返る。
「き、菊地殿。なにか、あったのですかな?」
「大丈夫。それじゃあまたね、岡部くん、柳さん」
「……うん、また明日」
鞄を持って冬樹の後に続き教室を出る。
部活へ向かう生徒たちを躱しつつ、考えを巡らせる。
冬樹に対して何かしただろうか。思い当たる節がない。先日、捜索隊として同行して以来、なにか話をすることもなかった。
彼女の後に続き階段を昇っていく。その間にもギャル特有の短すぎる冬樹のスカートを見まいと視線を落として歩く。いらぬ誤解は受けたくない。
そして辿り着いたのは、封鎖されている屋上へ出る扉の前。守邦高校において地上から最も離れた場所だった。
周囲には誰もいない、これが仲睦まじい男女であれば告白の一つでも行われるような状況だが、そんな空気は一切感じられない。
「ここでいっか。それじゃあ菊地くん、単刀直入に言うわ。余計なことしないでもらえる?」
「余計って、どういう意味?」
「そのままの意味よ。菊地くん……ああもう面倒だから呼び捨てでいいわよね? 菊地がでしゃばると迷惑だって言ってんの。さっきの二人だってそう。これまで接点のなかったあの二人が、どうしてボッチだった菊地に話かけたりしているのかしら」
意味がわからない。
俺はただ陽代美から頼まれたことをしたまでだ。それがどうして冬樹に対して迷惑になるのか。
それに二人の関係は話したくない。兄の真似をする訳ではないが直感がそう告げる、この女は危険だ。
一方的な要求に苛立ちを感じつつも、冷静に言葉を選び反論をする。
「別にいいじゃないか。二人が仲良くしたって、冬樹さんに迷惑がかかることないだろ」
「あるわよ。それじゃあ別の話題に切り替えようかしら。鈴木、田中、尾田、この三人についてなにか知っていることはない?」
「――ッ。別に、なにも……」
「その反応、やっぱりね。おかしいと思ったのよ、一年以上冷戦を続けていた連中がどうして新しくグループを作ったりするのか。そして、昼休み話をする時は必ず菊地の席に近い場所。変に感じるのは当然ではなくて?」
「そんなの、偶然だろ。大体さっきから冬樹さんはなにが不満なんだよ。今名前の挙がった三人がなにかしたわけじゃないだろ?」
「いいえ、しているわ。崩れるのよ、せっかく造ったクラスの均衡が」
「造った? いったい、なにを」
「そうね、菊地はスクールカーストって言葉くらい知っているでしょ。私が造ったのよ、今の二年C組の状態を」
「……は?」
理解が追い付かない・
造った、目の前にいる人物はそう言った。
今のクラスは自然に形作られた世界ではなく、造ったと。
俺の覚えでも冬樹はスクールカースト上位の存在だ。それはつまり、意図して彼女が自分よりも下になる存在を用意したと言っているようなものだ。
頭が、少し熱くなっていく。
同学年に上下関係なんてないはずなのに、スクールカースト底辺にいるものたちは、上位の顔色を窺いながら過ごさなければならないなんて、変じゃないか。
「だからね、邪魔をしないでってさっきから言ってるの。菊地は今まで他人との接触を避けてきたくせに、今になって出てこられても迷惑なのよ。これ以上、クラスの状況を変えないでもらえる?」
「……悪いけど、俺はそれに従うつもりはないぞ」
「あら、ご不満かしら? 菊地がこれまで平穏な学校生活が送れたのも私のおかげなのに」
「そんなの、違うだろ。俺は誰の世話にもなって――」
「じゃあ訊くけど、私たちのクラスで『いじめ』って見たことある?」
「――ッ」
息を呑む。
ない。
確かに二年C組には上位に存在する人物たちがいて、底辺にいる俺のような人がいる。
しかし、誰かが誰かをいじめている現場は見たことがない。強いて言えば、ギャルグループ同士の対立くらいだが、今はそれも収まっている。
「グループを抜けて新しく寄り集まった女子三人。オタクグループの連中。クラスで孤立して本ばかり読んでいる大人しい女子。そして、教室内で一匹狼を気取っているように見えた不愛想な男子。この誰もが普通の学校ならいじめの対象にされてもおかしくない人物たちばかりよ。それが今の今まで誰からもいじめられていないことがいい証拠じゃない? 簡単に言えば私が守ってあげていただけなのよ、アナタたちみたいな弱者をね」
冬樹を前にして言葉を失った。
守られていた実感などない、けれど彼女の言う通り俺はこれまで二年C組においては平穏に暮らせていた。
「だからね、もう余計なことはしないで欲しいの。もし、別の生徒に接触するなら今後は私を通して頂戴。そうしてくれれば今後も菊地の平穏なボッチ生活を守ってあげる。どう? 悪くない取引きだと思うのだけれど」
「それ、は……」
魅力的な提案だ。
他人との距離は一定に保ちたい。中学の時みたいに仲が良かった人物たちから迫害されるなんてもう沢山だ。
でも、それでは陽代美の願いはどうなる。クラスの皆が仲良くなりたいという彼女の願望は叶うのか。
すると、階段の下から足音が聴こえ、一人の女生徒が姿を現す。
「沙織、キクに何をしているの」
「莉愛っ、どうしてここに?」
「下の階まで、声聴こえてたよ」
そう言いつつ、我らが女王様は一歩ずつ階段を昇りながら目尻が吊り上がった視線を冬樹に向ける。そして、階段を昇り俺たちと同じ場所に辿り着いた陽代美は冬樹を睨みつける。
「沙織、キクに謝って」
「はぁっ? なんで私が菊地なんかに」
「私がキクに相談をしたの。私じゃ解決できそうもなかった問題を、キクは穏便に解決してくれた。それは、沙織にも私にも解決できなかった問題ばかりなの」
「――ッ。そんなことない、私にだってどうにかできたはずよっ」
「無理だよ。沙織や亜由や優里奈やハルミィや、私でも解決できなかったと思う。だから私はキクにお願いしたの」
陽代美が腕を組み、冬樹から視線を外さない。
わけがわからない状況。それでも今、この場での主導権を握ったのは陽代美だと理解できる。
「キク、もう行こ」
「え、でも……」
「沙織、今日は別々に帰ろ。いいよね?」
「……ええ、わかったわよ」
冬樹から睨まれながらも、陽代美の後に続き俺はその場から退散をした。
前を歩く陽代美は一定の間隔でこちらに振り返り、八の字になった眉をした顔を向けてくる。
どうやら、心配をされているようだ。
靴に履き替え、校門へ向かう。
その間にも、心臓はバクバクと音をたてる。余程冬樹からの言葉が身に応えたのか、冷静さを装うのが精一杯だ。もしも陽代美を女王様とするなら、冬樹は裏の女王。
クラス内を裏で操っていたとあれば、そう呼べるのではないか。
そして前を歩く陽代美が校門を出た辺りで振り返り、俺も足を止める。
「ごめんねキク、沙織はいつもやり方が強引だから。大丈夫?」
「ああ、うん、全然。それよりよかったの? 陽代美と冬樹さんは友達なんだろ?」
「うん、そうだよ。沙織は私の大事な友達。そしてキクも大事な友達」
顔が一気に熱くなる。
言いにくいことでも軽く言い放つ、我らが女王様は相も変わらずご健在のようだ。
そして二人で並んで学校を後にする。いつもと帰る方向は微妙にずれているが、今は陽代美と離れたくない。そんな気がする。
「少し前、本当に困ってたんだ。鈴木さんと田中さんから相談をされた時、SNSや動画サイトとかあまり詳しくないから。でも偶然、キクと連絡先を交換できて本当によかった」
「それは、いいんだけど。どうして俺を頼ろうと思ったの? その、目立たない人物なら他にもいただろうし」
すると彼女は立ち止まり、住宅街の一部へ視線を向ける。その先には古ぼけた家屋があり、小学生くらいの子供が出入りしていた。
「私ね、子供の頃はあの子供食堂によく行ってたんだ。まだ親が離婚をする前の話」
夕陽に照らされた陽代美の横顔を見て、唐突に、過去の自分が脳裏に浮かぶ。
『ああ、ダメなんだ。そんなに野菜残したら大きくなれないぞ』
「当時の私は凄いワガママでさ、好き嫌いも多かったんだ。でもね、別の小学校の男子から注意をされて、食べるようになったの。そのとき、話しかけてきた男子に一つご褒美を貰う約束をしたの」
『お野菜食べたら、なにか、ご褒美くれる?』
『ああ、俺がなんでもしてやるよっ』
思い出したのは、一人の少女。
誰とも話そうとはせず、身体も他の子に比べて小さかった女の子。その面影が、目の前にいる女子高生から感じられた。
「え、でも、あれ、名前とか……」
「言ったじゃん、親が離婚したって。それに髪も染めたし、身長も凄い伸びたんだ。やっと、思い出してくれた? キク、全然気づいてくれないんだもん」
気づく訳がない。
記憶にある少女は小柄で、ぼさぼさの黒髪で、歯が所々抜けたどこにでもいる女の子。
目の前にいる可憐な少女とは似ても似つかない。唯一面影があるとすれば、通った鼻筋と眉を八の字にした柔らかな笑顔だけだ。
「だから高校で同じクラスになった時は驚いた。どうしてあんなに明るかったキクが誰とも関わろうとしないんだろうって。でも、私みたいになにか事情があるかもしれないから、キクが思い出してくれるまで黙っていようと思ってたんだ。結局一年以上かかったけど」
「……ご、ごめん」
既に、冬樹からの話は頭のどこかにいってしまった。
旧き友との再会。幼馴染とは少し違う、一つの食堂で出逢った二人の子供。
そして陽代美は数歩進み、振り返る。
「ねえ、キク」
「うん」
「私、好き嫌いせずに野菜を食べられるようになったよ」
「……うん?」
「だから、私のいうこと、なんでもしてくれるんだよね?」
俺は学習した。『なんでも』なんて言葉は簡単に使ってはいけないのだと。
目の前にいる陽代美は夕陽を背に、優しい笑みを向けてくれる。
それは慈愛に満ちた女神か、それとも悪戯好きな小悪魔かはわからない。
どうやら、本日の女王様はちょっぴりワガママなようだ。
『School caste』完




