絵の世界
土曜日の昼下がり、学校近くの公園で一人の女生徒を待つ。
まるでこれからデートにでも行くかのようなシチュエーションだが、残念ながら今回は訳が違う。
そして約束をしていた、制服を身に纏った文学少女が待ち合わせ場所に姿を現す。
「ごめんね、菊地くん。付き合ってもらって」
「いいよ。それじゃあ行こうか」
柳さんは午前中文芸部の活動があったらしく、活動を終えたあと、そのままモデルを依頼した岡部くんの家まで向かうことになっていた。
そして隣を歩く彼女からはふわりと甘い香りがする。大人びた彼女には少々不似合いかもしれないが、どうやら彼からの贈り物は気に入ってくれたようだ。
「文芸部ってどんな活動をするの?」
「今は文化祭に向けた部誌作りかな。部員一人につき数ページが割り当てられて、短編を書いたりお勧めの本について書いたりしているの。今日は短編を書いた人同士で回し読みをしていたんだ」
「へえ、文芸部ってそんな感じなんだ」
「うん、よかったら菊地くん文芸部に入らない? 男子が入部すると他の部員も喜ぶと思うけど」
「いやあ、やめておくよ。俺は本とか読まないし」
「フフッ、そんな顔してる」
どんな顔なのだろうか。
それにしても今日の柳さんは表情も仕草も明るく感じる。本来こういった性格なのか、それとも香水の影響なのか。
雑談をしていると、岡部くんの家に到着して呼び鈴を鳴らす。すると数秒と経たずに彼は玄関を開き俺たちを出迎えた。
「よくぞ来てくださいました、お二人ともっ」
「……岡部くん、もしかして玄関でずっと待ってた?」
「い、いや、その、あはは。ささっ、どうぞこちらへ」
「うん、お邪魔します」
玄関で用意されていたスリッパに履き替え二階へ上がる。そして彼の部屋に通されると、愕然とする。
広い、俺の部屋の倍はありそうな部屋面積。隅に置かれた本棚には、漫画やイラスト関係の書籍が所狭しと並べられていた。
ふと隣を見れば、柳さんも同様のようで部屋を爛々とした表情で見まわしている。彼女にとって岡部くんは、ある意味憧れの存在だったのだから当然といえば当然か。
そして部屋の中央には、背もたれのある椅子が一脚置かれていた。
「そこに、座っていればいいの?」
「はいっ、柳さんはいつも通りに本を読んでくだされば結構ですので」
「うん、わかった」
制服を着た彼女は俺と岡部くんの横を通り過ぎ、一冊の本を持ち椅子へと腰かける。
その姿は教室内でも何度も目にした文学少女そのものであり、彼女の周辺だけは特別な空間ができたように感じる。そして彼女が通り過ぎたあとに、ほのかに甘い香りが残る。
「菊地くんも、そちらに座椅子を用意してありますので、おくつろぎください」
「ああ、ありがとう」
指定された座椅子に腰かけ、二人を眺める。
岡部くんはパソコンを立ち上げ、ペンを走らせる。するとパソコンの画面には驚くべき速さで椅子に座る少女の輪郭が描かれはじめる。
そんな光景を確認して、特に問題はないだろうと思い、近くにあった本棚から漫画を一冊とりだし読み始める。
今回二人に提案した解決案。
それはモデルを依頼した彼が、彼女に報酬を渡すことで丸く収まった。
まずは岡部くんに報酬を支払うことを提案。現金でも構わなかったが、それでは少しばかり味気ない。そこで柳さんへ何か贈り物をすることを勧め、俺と岡部くんの二人で放課後デパートへ行き贈り物を吟味した。
そして自信が持てない柳さんへ贈る品として、彼に勧めたのは春宮が使用している香水。
ジルスチュアートリラックスオードホワイトフローラル。名前が長い。
店員に聞けば、女子高生に人気の商品らしくわりとすぐに見つかった。
身銭を切って贈り物を購入した彼と俺の二人で、再び柳さんへモデルを依頼。
そこで今回のモデルは文学少女だと明かし、可愛い子であれば誰でもいい訳ではないとも説明。ある意味失礼な物言いではあるが、彼女の誤解はここで解けた。
そして岡部くんは勇気を振り絞り、柳さんへ香水を贈った。
最初、彼女は戸惑っていたが、彼の熱意に押されモデルの件を了承してくれた。
ここで問題解決かと思いきや、二人からは俺に同席することを求められた。
互いに異性に対する免疫は低いようで、男子の家に女子が一人で赴くことを避けた形となる。しかしパソコンに向かう彼の背中を見れば、間違いを起こすことはないだろうと確信する。
一時間に一度休憩をはさみつつ、モデルの彼女が鞄から本を取り替えたりしながら時は進む。岡部くんが用意してくれていたお茶やお菓子を口に運び、窓から差し込む光が橙色に変わり始めた頃に岡部くんが立ち上がった。
「終わりましたっ、終わりましたよ柳さん」
「え? もう終わったの?」
彼の言葉に文庫本を閉じた柳さんと俺は立ち上がり、岡部くんのいるパソコンが置いてある机へ向かう。
すると画面には木造の教室で、一人読書をしている少女の姿があった。
「すごっ……岡部くん、本当に絵が上手なんだね」
「……」
放課後の古びた教室で、読書をする少女に寂しさは感じられず、物語の世界に浸る一人の女子生徒。椅子に座り静かに息をしている柳さんが、そこにいた。
隣にいる柳さんは言葉を失っており、俺たちの反応を見た岡部くんは照れたように下を向く。
「背景とか、これどうしてるの? ウチの学校じゃないよね?」
「それは、まあ慣れと言いましょうか。こちらにある資料の中から使えそうな部分を参考にしたまでです」
そう言いながら彼は机の隅に積まれた映画の情報誌や廃墟の写真集を片手に説明をしてくれた。しかし彼が描いた世界はどこにも載っておらず、慣れでここまで描けるものかと思わず声を呑む。
「ありがとう、岡部くん。こんな私を、描いてくれて」
「いえいえいえ、こちらこそ無理なお願いを聞いて頂き感謝の極みでございますっ」
「……もしよかったらなんだけど、イラストの描き方とか教えてくれない? 昔から興味はあったんだけど、どんな機材を揃えればいいのかわからなくて」
「ええっ柳さんがですかっ? も、勿論いいですとも。それではこちらのペンタブレットから――」
岡部くんのイラスト講義が始まり、柳さんが耳を傾ける。
昔兄が『自分が必要ないと感じたら、男は黙ってクールに去れ』と言っていた。
静かに部屋を出て彼の家からお暇をする。
もう大丈夫だろう、陽代美からの頼みはこれで達成することができたと思う。
自宅に帰る途中、信号待ちをしている間に我らが女王様へメッセージを送る。
『柳さんの件 解決できたよ』
『ありがとう キク お疲れ様』
別に疲れてはいないのだが。
今日なんてクラスメイトの家に行き、漫画を読んでいただけである。
柳さんの心を傾けたのも岡部くんの頑張りがあったからこそ、俺はただ掛け違ったボタンを直したまでのこと。
助かったといえば、春宮から教えてもらった香水の話。今度彼女にはお菓子でも買っていってあげようか。
信号が変わり歩き出す。
その道中、机に向かう彼の背中を思い返していく。
少し、羨ましいと思った。
イラストに情熱を注ぐ彼はカッコイイと感じた。陸上を辞めてからは何かに打ち込む事がなくなった俺にとっては眩しく見える。
しかし焦ることはない。昔父が『いつか自分が本当に好きな物、愛せる人を見つけた時に全力で走ればいい』と言っていた。
家に帰り、柳さんが使用していたSNSのアプリを端末にダウンロードをする。
アカウント作成をして、ユーザー検索の欄に文字を打ち込んでいく。
これからも彼は多くの作品をこの世に残すだろう。そんな彼の活動をこれからも見守ることができればいいなと思う。
そして俺は『オカベ―ロン』のアカウントをフォローした。
***
「なぁんか最近、クラスの様子がおかしいのよねぇ」




