第80話:その先に(エピローグ)
美藍と里奈は、卒業を間近に控えたある日、二人で豆八を訪れていた。美藍がかつてバイトをしていた、あの馴染みの店だった。
「こことも、もうすぐお別れかー」
美藍が、店内をしみじみと見渡しながら呟いた。
「阿波おどりの時の忙しさも、いい思い出だわ」
「ここで、名方さんとも知り合ったんだよね」
里奈がそう言うと、美藍は懐かしそうに頷いた。
「うんうん」
「最初から、怪しかった(笑)」
美藍がそう言うと、里奈もくすくすと笑った。
「さぁ、焼けたぞ」
店主の威勢のいい声とともに、湯気の立つ豆天玉が、それぞれの鉄板の上に、並んで置かれた。
「うわー、美味しそう」
「いただきます」
里奈は、待ちきれないとばかりに、コテを手に取り、さっそく頬張り始めた。
「美味しい」
「ほふほふ」
一方、美藍は、自分の皿の豆天玉を、じっと見つめていた。ふちの方に、香ばしい焦げ目がついている。
「……ねえ、里奈」
「ん? なに?」
「剣山の山頂ってさ、熊笹が、びっしりだったよね」
「うん。どこまでも、緑やったね」
「これ見てたら、ふと思ったの」
美藍は、コテの先で、焦げ目をちょんと突いた。
「山って、焼くと、笹が増えるって聞いたことがあるの。草や木が燃えたあとに、真っ先に生えてくるのが笹だって」
「それが、どうしたと?」
「焼山寺ってあるでしょ。四国八十八ヶ所の、十二番」
「ああ、お遍路の。大蛇が山を焼いたけん、焼山寺って」
「そう。でも、もし逆だったら?」
「逆?」
「何かを隠したあとで、山を焼いた。大蛇退治っていう名目でね」
「大蛇退治?」
「山を焼いて、大蛇を退治する。そのとき、燃え上がる炎が、天に昇っていく大蛇みたいに見えたんじゃないかな」
里奈は、頬張ったまま、動きを止めた。
「……大蛇は、火のことやったと?」
「山を這うみたいに燃え広がって、ごうごう唸りながら、空へ昇っていく火。昔の人なら、大蛇って呼んでもおかしくないでしょ」
美藍は、鉄板の上の焦げ目を、コテの先でちょんと突いた。
「その火の記憶だけが、何百年も語り継がれて……ずっと後の時代に、大師様の伝説に重なっていったんじゃないかな」
「お大師様より、ずっと前の話ってこと?」
「うん。大師様が来た頃には、もう『山を焼いた大蛇』の昔話だけが残ってたのかも」
「退治の名目で、隠した跡を、消すために焼いて……」
「リフトを降りたあたりにね、昔、人が住んでた時代があったんじゃないかなって」
「あんな高かとこに?」
「だから、隠せたの。宝を隠して、山ごと焼いて、その上から熊笹で蓋をした」
「……蓋」
美藍は、卓の上の青海苔の小瓶を手に取ると、豆天玉の上から、ぱらぱらと振りかけた。香ばしい焦げ目が、みるみる緑に覆われていく。
「こうやって、全部、緑で隠しちゃう」
「あ、うちにも」
里奈が皿を差し出すと、美藍はそこにも青海苔を振りかけた。
「焼けた山には笹が茂って、人が入りにくくなる。そうやって、千年以上、誰も開けなかった蓋」
「ほら、剣山も、そう」
「証拠は、なかとよ?」
「ないよ。ただ、焼けた豆天玉を見てて、ふと思っただけ」
美藍が、へへっと笑った。
「でね」
「ん?」
美藍は、鉄板の上の豆の配置を、指でなぞりながら示した。
「豆の位置を、神社に見立てるとね」
「ここが、天石門別八倉比売神社」
「ここが、磐境神明神社」
「ここが、忌部神社」
「そして、ここが……剣山山頂」
「あ……ほんとだ」
里奈が、箸を止め、身を乗り出して覗き込んだ。
「里奈、本当は――分散じゃなくて」
「どこか一ヶ所に、隠されてるのかもね」
「今さら、それ言う?」
里奈が呆れたように笑うと、美藍もくすりと笑った。
「あるとしたら、どこだと思ってるの?」
美藍は、少し勿体ぶるように、間を置いた。
「……ここだ」
そう言うと、青海苔の蓋をかぶった自分の豆天玉を、コテでぱかっと割った。
「ほら、イカが(笑)」
「もーう」
「だって、ほら」
美藍は、くすくす笑いながら、入口の方へ、ひょいと首を振った。
そこには――名方がいた。
ガラス戸の向こう、決まり悪そうな顔で、こちらをじっと見つめている。
「あー! 早く入ってきたらー!」
里奈が大声で呼びかけると、名方は苦笑いを浮かべながら、ようやく戸を開けて店内へと入ってきた。
「いや……盛り上がっているところを、邪魔しては悪いと思って」
里奈が、にやにやしながら、名方の顔を覗き込んだ。
「美藍がどこを指すか、見てたんでしょ」
「もう、諦めが悪いんだから」
名方は、決まり悪そうに、頭をかいた。それから、とぼけたように尋ねる。
「で……どこなの?」
「もう」
美藍は、イカを頬張った自分の頬を、ぷにっと指差した。
「ここ」
その仕草に、三人は顔を見合わせ、揃って笑い出した。
窓の外を、春風が吹き抜けていく。
藍と朱の約束は、時代を超えて、これからも続いていく。




