第78話:明かされる真実
翌朝、リフトが動き出す時間に合わせて、教団の三人がヒュッテを出発した。
名方が、その背中を、静かに見送っていた。美藍、里奈、正則、そして教授も、それぞれ荷物をまとめ、朝の澄んだ空気の中、ヒュッテのスタッフに丁寧に礼を言うと、リフト乗り場へと足を向けた。
木道を歩く途中、美藍がふと、思い出したように声を上げた。
「あっ……昨夜は、色々ありすぎて、忘れてたけど」
「うん?」
「どうして、お父さんと忌部教授が、一緒に山頂にいたの?」
正則は、小さく笑った。
「ああ、それはな。お父さんが学生の頃、教授は当時、准教授でな。一緒に研究旅行で、この辺りを散策していたんだ」
「えっ、そうだったの」
美藍は、思わず声を上げた。
「だから、教授に、お父さんの旧姓を言ったとき、少し間があったんだ」
「それはいいとして……どうして、山頂に?」
今度は、教授が答えた。
「それは、佐伯君から連絡をもらっててな。私が、粟飯原君を誘ったんだ」
「えっ、何で里奈が」
里奈が、少しばつが悪そうに、笑った。
「えへ……実は、教授から、美藍を監視するように、命を受けてたの(笑)」
「えっ」
美藍が、目を丸くする。
「危ない目に合わないよう、そして――研究が頓挫しないよう、アクセル役も担ってもらってたんだ」
教授がそう言うと、美藍は呆然と立ち尽くした。
「そうだったのー……気が付かなかった」
「里奈が、守ってくれてるのは、気が付いたけど……まさか、教授が頼んでくれてたとは」
「私の研究の邪魔をするのかと思ってたのに(笑)」
「何を言うか(笑)」
教授が、苦笑いを浮かべた。
「途中で、投げ出すと思ってたが」
「思い込んだら、どこまでも行きよって」
「母親似らしいな」
美藍は、ふふっと笑った。
「あは……似てるのかな」
美藍はそう言うと、ふと、名方の方を振り返った。
「あ、それと」
「うちの家に、脅迫文入れたのは――」
「名方さんでしょ」
「え」
名方の足が、思わず止まった。
「それは……気が付いていたのか」
「当たり前でしょ」
「切手もない封筒」
「あ……」
名方は、言葉を失ったように、立ち尽くしていた。
名方は、しばらく俯いたまま、言葉を探していた。やがて、静かに、その口を開いた。
「……君たちに、自分を信用させるためだった」
「信用……?」
美藍が、静かに問い返す。名方は、遠くの山並みを見つめながら、続けた。
「脅迫文が届いた後、私が『心配だから』と、君たちに近づいていけば……布都家にとって、私は『頼りになる味方』に見えるはずだった」
「恐怖を与えておいて、自分がそれを取り除くふりをする。……卑劣なやり方だったと、今なら分かります」
名方は、深く頭を下げた。
沈黙が、しばらくの間、その場を支配した。朝の風が、静かに、木道を吹き抜けていく。
やがて、美藍が、小さく息をついた。
「……もう、いいよ」
「美藍さん」
「怒ってないって言ったら、嘘になるけど。……でも、名方さんが、最後にちゃんと、私たちの側に立ってくれたのは、本当のことだから」
美藍は、そう言うと、少し無理をしたような、けれど確かな笑顔を見せた。名方は、その言葉に、深く、深く頭を下げた。
「ありがとう……」
その声は、これまでにないほど、静かで、真摯なものだった。
名方は、しばらく黙り込んでいたが、やがて、静かに口を開いた。
「……もう一つ、話しておかなければならないことがある」
「え?」
美藍が、名方の顔を見つめた。
「三木源治さんのことだ」
その名前に、美藍の息が止まった。
「三十年前――私は、源治さんと、取材を通じて知り合った。仲良くなるうちに、源治さんが、日ユ同祖論に興味を持たれて……自分のルーツを、知りたがるようになったんだ」
美藍は、言葉を発することもできず、ただ、名方の話に耳を傾けていた。
「そして、三木家に伝わる文書を、お持ちになった。私はその頃、まだ教団には入っておらず……日ユ同祖論を掲げる『キリストの福音』に、源治さんと共に、あの文書を持ち込んだんだ」
「その後、二人して入信したんだが……源治さんは、そのまま教団の施設に身を置いて、アーク探しに没頭された。家には『剣山に登る』と、言い残して」
名方の声が、わずかに沈んだ。
「それから、十年後に……病で、亡くなられた」
美藍の胸に、深い静けさが広がっていった。祖母の言葉――「今でも、あの山のどこかに眠っとるんじゃろうなぁ」という、あの呟きが、また蘇る。だが、実際の真実は、もっと静かで、もっと切ないものだった。
「持ち込まれた文書は……教団で保管されているはずだが」
名方は、最後に、静かに付け加えた。
「未だに、神代文字は、読める者がおらず、未読のままだ」
夜風が、木道の上を、静かに吹き抜けていった。美藍は、しばらくの間、言葉を失ったまま、ただ遠く、剣山の稜線を見つめ続けていた。
「……そうだったんですね」
ようやく、美藍が、絞り出すように呟いた。
名方は、静かに、けれど確かな決意を込めて言った。
「帰ったら……おばあさんに、私から、お伝えする」
「名方さんが……?」
「ああ。三十年、ずっと胸に抱えたままだった。……もう、けじめをつけないと」
その言葉には、これまでの罪悪感を、自らの手で清算しようとする、静かな覚悟が滲んでいた。
そのとき、遠く徳島の実家で、みやこが、大きなくしゃみをした。
「ヘックション! ……もう、昨日から、一体何なのかしら」
みやこは呆れたように呟きながら、それでも少し楽しそうに、鼻をこすった。誰かが、自分のことを、こんなにも話題にしているとは、今日もまだ、知る由もないままだった。




