第76話:星降る夜に
「あーあ、スッキリしたー」
美藍は大きく伸びをしながら、軽い足取りで、山頂の木道へと歩き出した。
「ぜーんぶ、吐き出しちゃった」
いつの間にか、空は満天の星に包まれていた。先ほどまで、まばらだった星々が、今は数え切れないほどに増え、天の川さえもくっきりと見て取れる。
「最近、寝ずに頑張ってきて……ぜーんぶ吐き出したら、なんだか、眠くなっちゃった」
美藍は、星空に向かって、両手を大きく伸ばした。
「ふわぁ……」
大きなあくびが、夜気の中に、白く溶けていく。
その瞬間――ふわっと、一陣の風が吹き抜けた。
美藍は、飛ばされそうになった藍染めの帽子を、片手で慌てて押さえた。もう片方の手は、まだ空へと伸びたまま。風に揺れる帽子の縁と、頬にかかる後れ毛――星明かりに照らされたその姿が、まるで古の巫女が結った、ひはつくっせつ(卑弥呼の髪型)のように、見えた。
「ひ……卑弥呼」
教授が、思わず声を上げた。
その場にいた誰もが、息を呑んだ。里奈も、正則も、名方も、そして力なく立ち尽くしていた教団の男たちでさえも――満天の星空を背に立つ、その姿から、目を離せずにいた。
名方の脳裏に、ふと、遠い記憶が鮮やかに蘇った。
八倉比売神社の境内で出会った、あの老婆の声だった。
「受け入れられたのじゃ」
しわがれた、けれど確かな響きを持つ、あの言葉。あの時は、意味の分からない、ただの老婆の呟きだと思っていた。だが今、目の前でこの光景を見て、その言葉が、ようやく実感を伴って迫ってくる。
(この子は……卑弥呼に、受け入れられたのか。それとも――この地そのものに、受け入れられたということなのか)
その問いに、名方自身も、確かな答えを持ち合わせてはいなかった。ただ、目の前の光景が、これまでの三十年、追い続けてきたすべての謎よりも、はるかに大きな何かを物語っているように感じられた。
夜風に揺れる藍色の衣、天へと伸ばされた手、そして帽子を押さえるその仕草。すべてが、まるで、二千年前のあの日、この地に立っていたであろう、一人の巫女の姿と重なって見えた。
「……美藍?」
里奈が、震える声で呼びかけた。だが、美藍自身は、その視線の意味に気づかぬまま、ただ星空を見上げ、幸せそうに微笑んでいた。
やがて、その静寂を破ったのは、里奈の弾んだ声だった。
「さぁ! ヤットサー!」
その一声に、誰かが、そっと足を踏み出した。それを合図にするように、また一人、また一人――いつの間にか、美藍を中心に、静かな輪ができていた。
「ヤットサー! ヤットサー!」
阿波おどりの掛け声が、夜の山頂に、静かに、けれど確かに響き始める。正則も、教授も、名方も、そして戸惑いながらも教団の男たちまでもが、その輪の中に引き込まれていく。
美藍は、目を丸くしながら、自分を取り囲む人々の輪を、ただ静かに見渡していた。
星空の下、満天の星に見守られながら、山頂に、ささやかな祝祭の輪が広がっていった。




