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第67話:星を待つ

 宝蔵石神社を後にし、三人はヒュッテの食堂へと戻った。店内はエアコンが効いており、標高の高さゆえの外の涼しさに加えて、少し肌寒いくらいだった。湯気の立つ飲み物が、余計に恋しくなる。

「なんか、ちょっと寒いばい」

里奈が両腕をさすりながら、メニューを覗き込んだ。美藍も頷いた。

「私もココアにしようかな」

「私もそれで」

二人がココアを注文する横で、名方はメニューの一角を指差した。

「私は、あめ湯にしよう」

「あめ湯?」

里奈が首を傾げると、名方は小さく笑った。

「生姜と水飴で作る、昔ながらの飲み物だ。山小屋らしいだろう」

しばらくして、湯気の立つ三つのカップがテーブルに運ばれてきた。ココアの甘い香りと、あめ湯のほのかな生姜の香りが、食堂の中に漂う。

「んー、あったまるばい」

里奈がカップを両手で包み込みながら、幸せそうに息をついた。美藍も一口すすり、ほっと肩の力を抜いた。

窓の外はすでに薄暗くなり始めており、ヒュッテの明かりが、ガラス越しに柔らかく灯っていた。

「さて」

名方が鼈甲色に澄んだあめ湯を一口飲んでから、静かに切り出した。

「今日一日、色々あったな。少し、おさらいしておこうか」

美藍はカップを両手で持ったまま、頷いた。

「そうですね。伊射奈美神社から始まって……」

「イザナミの、国生みの母神」

「うん。次が、上一宮大粟神社。オオゲツヒメ――お父さんの旧姓、粟飯原にも繋がる、穀物の女神様」

里奈がココアを飲みながら、指を折って数え始めた。

「それから、剣神社でお清めして、大剣神社で御塔石を見て……悪縁を切って、良縁を結ぶ、いう話やったね」

「うん。そして、ここ――宝蔵石神社」

美藍は湯気の立つ、褐色のココアを見つめながら、静かに続けた。

「安徳天皇が、宝剣を納めたっていう伝説の場所」

名方はあめ湯のカップを両手で包み込んだまま、窓の外に目をやった。

「イザナミの母性、オオゲツヒメの生命、剣神社と大剣神社の身清めと結び……そして、ここに眠るとされる、剣」

「一つひとつの点が、線になって繋がっていくみたい」

美藍がそう呟くと、里奈も真剣な面持ちで頷いた。

「なんか、今日一日だけで、これまでの旅の縮図を辿ったみたいな感じばい」

「そうだな」

名方は静かにそう答えると、少しの間、あめ湯の琥珀色の水面をじっと見つめていた。その横顔には、いつもの飄々とした表情の奥に、何か深く考え込むような色が浮かんでいる。

しばらくの沈黙の後、名方はふと思い出したように、スマホの画面を美藍たちに見せた。

「そういえば、風呂のルールを確認してきた」

「ルール?」

「ここは標高が高くて、水が貴重らしい。だから、普通の入浴とは違って、いろいろ制限があるそうだ」

名方は画面を読み上げた。

「湯船には浸からず、かけ湯のみ。しかも、洗面器で一人五杯まで。石鹸やシャンプーの使用も、一切禁止だと」

「ええっ!」

里奈が思わず声を上げた。

「俺はまあいいが……お前さんら、大丈夫か?」

名方が少し心配そうに二人を見ると、美藍と里奈は顔を見合わせた。

「へぇー、仕方ないね」

美藍が苦笑いを浮かべながら答えると、里奈も肩をすくめた。

「昨日は、おばあちゃんとこでゆっくり入れたし。一晩くらい、大丈夫やろ」

「うん。それに、標高高いから、あんまり汗もかいてないしね」

二人はあっさりと納得した様子で、それぞれのカップに口をつけた。名方はそんな二人の様子に、少し拍子抜けしたように苦笑いを浮かべた。

「もっと不満が出るかと思ったが……」

「山に来たら、そういうものだって分かってるばい」

里奈がそう言って笑うと、名方も釣られるように、静かに笑みを浮かべた。

食堂での話を終えた後、三人はそれぞれ、簡単な入浴を済ませることにした。ルール通り、かけ湯だけの簡素な入浴だったが、それでも一日の汗と疲れを多少なりとも洗い流せたことに、美藍は小さな満足感を覚えていた。

着替えの荷物を広げた美藍は、リュックの中から、あの藍染めのワンピースを取り出した。善造の工房で購入した、あの一着だった。袖を通し、鏡に映る自分の姿を見つめる。藍色の生地が、山小屋の柔らかな灯りを受けて、深く、静かな色合いを見せていた。

美藍はふと、傍らに置いていた、あの藍染めのチューリップハットに目を留めた。祖母から借り受けたものを、そのままリュックに入れて持ってきていた。そっと頭に乗せてみる。鏡の中の自分は、ワンピースと帽子、どちらも同じ藍色に包まれていた。

着替えを済ませ、再び食堂へと戻ると、時刻はすでに十九時を回っていた。それでも窓の外には、まだ淡い明るさが残っている。

里奈が美藍の姿を見て、目を輝かせた。

「わぁ、その服、めっちゃ似合っとるばい! 藍染工房で買ったやつ?」

「うん。……なんとなく、今日はこれを着たい気分だったの」

「あ、その帽子も! おばあちゃんに借りたやつやんね。ワンピースと、色がぴったり揃っとる」

里奈が嬉しそうに指摘すると、美藍も改めて、自分の装いを見下ろした。

「うん、実はそれも狙って合わせたの」

「せっかくやし、帽子もちゃんと被った方がいいばい。夜、外に出る時、肌寒いかもしれんし」

里奈にそう勧められ、美藍は素直に頷きながら、帽子を深く被り直した。

名方が腕時計を確認しながら、軽く手を叩いた。

「まぁ、とりあえず……飯にするか」

「あ、そうやね! お腹すいたばい」

里奈がすぐに反応し、メニューを取り上げた。

「お昼、あんまり量なかったですもんね」

美藍もその空気に釣られるように、小さく笑った。

「うどん一杯だったからね。今日は、たくさん歩いたし……しっかり食べておこうか」

名方が受付で確認したところ、宿泊プランは素泊まりではなく、あらかじめ食事付きになっていたとのことだった。

「もう、夕食の準備もできているそうだ」

名方がそう言うと、里奈が嬉しそうに声を上げた。

「わぁ、注文せんでいいんや! 楽ちんばい」

食堂の奥から、湯気の立つお盆が運ばれてくる。皿の上には、こんがりと揚がった川魚の唐揚げが、湯気とともに香ばしい匂いを漂わせていた。

「わぁ、美味しそう!」

里奈が目を輝かせながら、箸を手に取った。窓の外は、いよいよ夕闇が濃さを増し、山頂の空気が、静かに夜へと移り変わろうとしていた。

三人は箸を進めながら、それぞれの皿を空にしていった。窓の外には、星が一つ、また一つと瞬き始めている。

名方がふと箸を置き、静かに美藍に尋ねた。

「美藍は、どうだ。教授を説得できる材料は、揃えられたか?」

美藍は少し考え込むように、箸を置いた。

「うーん……私の頭の中では、何となく答えは見つかったんだけど」

「見つかった?」

「それが、想像の域を出ないのかなとも思って」

美藍は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。

「忌部とか、三木とか、これまで見てきた符合は、確かに一つの筋道になってると思う。でも……証拠って言えるような、動かしようのないものは、まだ何もない。全部、私がそう思う、っていうだけで」

里奈が箸を止め、真剣な表情で美藍を見つめた。

「でも、それでも、教授にぶつけてみるしかないんじゃない?」

「うん……そうなんだけどね」

美藍は小さくため息をつき、窓の外の暗闇に目をやった。

「それでも、まだ何か足りない気がするの。全部繋がってる感じはするのに、決定的な何かが、まだ見つかってない」

食堂の中に、しばらくの静寂が流れた。窓の外では、星がいよいよ数を増し、山頂の夜空を、静かに彩り始めていた。

「ふー……」

美藍は、大きく息を吐き出した。

「落ち着いた」

「よかったばい。あんまり根詰めすぎると、身体に毒ばい」

里奈がそう言いながら、優しく美藍の肩をぽんと叩いた。

名方はしばらく黙っていたが、やがて窓の外に目をやりながら、静かに切り出した。

「そういえば……ここは、星が綺麗に見えるそうだ」

「星?」

「ヒュッテのスタッフが言っていた。標高が高いし、今夜は雲もほとんどない。……後で、少し見に行かないか」

美藍は窓の外を見つめた。すでに濃紺に染まった空に、いくつもの星が、瞬き始めている。

「行きたい! うち、こんなに空気澄んだところで星見るの、初めてかもしれんばい」

里奈が真っ先に反応すると、美藍も頷いた。

「うん、行きましょう」

三人はしばらく、夕食の後片付けをしながら、夜の訪れを待つように、穏やかな時間を過ごしていた。

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