第62話:西島駅へ
見ノ越の駐車場は、思った以上に賑わっていた。三十台近い車がずらりと並び、その多くが他府県ナンバーであることに、美藍はふと目を留めた。
「結構、車あるばい」
里奈が辺りを見渡しながら言う。ワゴン車、家族連れらしきミニバン、スポーツカーやセダンが、朝の日差しを受けて整然と並んでいた。
「夏休みだからな。剣山は西日本でも有数の登山スポットだ。県外からも、かなりの人が訪れる」
名方がそう説明しながら、駐車場を横切っていく。
観光リフト乗り場には、朝の涼しい風が吹き抜けていた。切符売り場の小さな窓口で、名方が三人分のチケットを購入する。
「片道と往復、どちらにしますか?」
窓口の係員に尋ねられ、名方は少し考えてから答えた。
「往復で、三枚お願いします」
「下山も、ここを使うつもりですか?」
美藍が尋ねると、名方は頷いた。
「登山は下りの方が危険だからな。帰りもリフトにしよう」
チケットを受け取り、三人はリフト乗り場の列に並んだ。目の前には、単座式のリフトが、ゆっくりとした速度で山肌を登っていく様子が見えている。
三人の後ろにも、登山用のリュックを背負った数人の登山者たちが、順番を待つように列を作っていた。家族連れらしき一団や、年配のグループが、涼しげな山の空気の中、思い思いに会話を交わしている。
「一人ずつ乗るんですね」
「ああ。少し勇気がいるかもしれないが、慣れれば大丈夫だ」
名方がそう言うと、係員の合図に合わせて、まず里奈が慎重にリフトへと腰を下ろした。
「うわ、思ったより高い……!」
リフトがゆっくりと動き出すと、里奈の声が徐々に遠ざかっていく。次に美藍が乗り込み、続いて名方が続いた。
初めて乗るリフトに、里奈はすっかり興奮した様子で、足をブラブラと揺らし始めた。
「わー! 空飛んどるみたいばい!」
すると、里奈の乗るリフトの揺れが、後ろに続く名方のリフトにまで伝わったのか、名方が慌てたような声を上げた。
「こら、やめんか! 揺れるだろう!」
「あはは、名方さん、ビビっとうと?」
里奈が笑いながら振り返ると、名方はリフトの支柱を掴む手に、力を込めていた。
「馬鹿を言うな……。ただ、安全のために言っているだけだ」
その声は、いつもよりわずかに上ずっているように、美藍には聞こえた。
リフトが山の斜面を登り始めると、視界が一気に開けた。眼下には、鬱蒼と茂る木々の緑と、その向こうに幾重にも連なる阿波の山並みが広がっている。空はどこまでも青く澄み渡り、時折吹き抜ける風が、火照った頬を心地よく撫でていった。
「すごい……」
美藍は思わず声を漏らした。これまで巡ってきた神社や史跡が、まるで地図の上の点のように、遠く眼下に広がる景色のどこかに存在しているのだと思うと、不思議な感慨が込み上げてくる。
前方のリフトに乗る里奈が、大きく手を振りながら振り返った。
「美藍ー! めっちゃ気持ちいいばい!」
「気をつけてね、落ちないでよ!」
美藍が声を張り上げると、里奈の笑い声が風に乗って返ってきた。
後方のリフトからは、名方が静かに山頂の方角を見つめているのが、時折振り返る美藍の目に映った。その横顔には、これまでの飄々とした雰囲気とは違う、どこか張り詰めたものが浮かんでいるように見えた。
十五分ほどの空中散歩を経て、リフトが無事到着し、三人は木製の乗り場に降り立った。標高千七百五十メートル――麓とは比べ物にならない涼しさが、三人を包み込む。
「はぁー、生きた心地がせんかったばい……でも、最高やった!」
里奈がリフトを降りるなり、興奮した様子で振り返った。
西島駅の周辺には、すでに何組もの登山客が休憩を取っており、売店の軒先からは、かき氷ののぼりが涼しげに揺れている。
「かき氷! 食べたいばい!」
里奈が目を輝かせて売店を指さすと、名方が苦笑いを浮かべた。
「気持ちは分かるが、まずは登山道の確認が先だ。帰りに寄れたら寄ろう」
「はーい」
里奈は名残惜しそうにしながらも、素直に頷いた。
美藍は駅舎に掲示された登山地図に目を通しながら、これから進む道のりを確認した。
「西島駅から、大剣神社まで、大体三十分くらいみたいですね」
「そこから山頂までは?」
「地図だと、さらに四十分くらい……」
名方は頷き、腕時計で時間を確認した。
「順調に進めば、昼過ぎには山頂に着けそうだな」
三人は水分補給を済ませると、大剣神社への登山道へと足を踏み入れた。木々に囲まれた道は、リフトから見た景色とはまた違う、しっとりとした森の匂いに満ちている。
「さあ、いよいよだね」
美藍がそう呟くと、里奈が力強く頷いた。
「うん! 頑張るばい!」
名方もリュックを背負い直し、静かに、しかし確かな足取りで、二人の後に続いた。
三人の足音が、山道の静けさに、リズムよく響き始めた。




