第58話:片付け
賑やかな夕食の余韻が座敷に残る中、名方が腕時計に目をやり、静かに切り出した。
「では……まだまだ話したいことがありますが、明日は早朝から出ますので、このあたりで」
「はーい」
美藍と里奈が声を揃えて返事をすると、名方は苦笑いを浮かべながら立ち上がった。
「明日は本当に、剣山ですものね。お先に休ませていただきます」
「ゆっくり休んでください、名方さん」
美藍がそう声をかけると、名方は軽く一礼して、あてがわれた部屋へと下がっていった。
食卓に残った美藍と里奈は、顔を見合わせると、示し合わせたように立ち上がった。
「おばあちゃん、片付けするね」
二人の声が重なる。祖母は驚いたように手を振った。
「もう、そんなんせんでよかって」
「いいのいいの」
美藍は空いた皿を重ねながら、笑顔で続けた。
「うちではお母さんと弟に任せっきりだから」
「来人も手伝うんかえ」
祖母が意外そうに尋ねると、美藍は頷いた。
「うん。料理が好きなんだって」
「へぇ、それは知らんかった」
「来人は大阪の大学に行ってるから、なかなか来れないけど……また連れてくるね」
美藍がそう言うと、祖母は嬉しそうに顔をほころばせた。
「そりゃあ、楽しみじゃのぉ」
美藍はくすりと笑いながら、皿を重ねる手を止めた。
「いつまでもお年玉もらってるくせにね」
「あはは、それは言うたらいかんばい」
里奈が吹き出すと、祖母も一緒になって笑い声を上げた。
祖母はそれでも二人に任せることにしたのか、腰を上げるのをやめて座り直した。
「ほんなら、お言葉に甘えようかね」
台所からは、皿の触れ合う音と、美藍と里奈の弾んだ話し声が、しばらくの間、賑やかに響いていた。窓の外には、明日登ることになる剣山の稜線が、夜の闇にひっそりと沈んでいた。
片付けが一段落したところで、祖母がふと、何かを思い出したように顔を上げた。
「あぁ、そういえば……井戸に、スイカ冷やしとったんじゃった」
「わぁ、やったー!」
「スイカ!」
美藍と里奈の声が、ぴたりと重なった。祖母は目を細めながら、裏庭の方へ向かい、ひんやりと冷えた大玉のスイカを抱えて戻ってきた。
「縁側ででも食べんさい」
祖父が包丁を手に、手際よく大きく切り分けてくれた。
美藍と里奈は、スイカを皿に乗せて、縁側へと腰を下ろした。夜風が、ほどよく火照った身体を涼しく撫でていく。
「んー、冷たい! 美味しい!」
里奈が一口かじり、満足そうに声を上げた。美藍も隣で、種を上手に飛ばしながら頬張る。
「ふふっ、懐かしいなぁ、こうやって縁側で食べるの」
「うちの田舎でも、よう縁側でスイカ食べよったばい」
二人は、縁側に並んで座りながら、ぷっ、ぷっ、と種を庭先へ飛ばし合い、たわいもない笑い声を上げた。
ふと、美藍が思い出したように立ち上がりかけた。
「あ、名方さんにも、持っていってあげようかな」
そう言いかけて、美藍は、ふと手を止めた。
(もう、休むって言ってたし……。今日も、色々考えることが多かっただろうし)
名方が最後に見せた、どこか疲れたような横顔が、ふと頭をよぎる。
「……ううん、やっぱりいいや」
「どうしたと?」
里奈が首を傾げると、美藍は小さく首を振った。
「ううん、なんでもない。……また今度、一緒に食べよう」
美藍はそう呟くと、再び縁側に腰を下ろし、残りのスイカを口に運んだ。夜空には、星が一つ、また一つと瞬き始めていた。
片付けを終えると、美藍と里奈は、同じ部屋に敷いてもらった布団に、並んで潜り込んだ。
「いよいよ、明日登るのか」
里奈がしみじみと呟く。美藍はスマホでルートを確認しながら答えた。
「だね。まず、伊射奈美神社と上一宮大粟神社っていう、二つの神社に寄ってから、見ノ越っていう登山口に向かうの。そこで剣神社にお参りして……そこから観光リフトに乗って、西島駅まで。そこから先は、大剣神社を通って、山頂を目指すの」
美藍はスマホの画面を里奈の方へ向けた。
「伊射奈美神社は、イザナミノミコト――国を生んだ神様を祀ってる神社。上一宮大粟神社は、大気都比売神っていう、穀物の女神様が祀られてるの」
「へぇ……穀物の女神様?」
里奈が興味深そうに繰り返す。
「うん。せっかくだから、剣山に登る前に、ちゃんと手を合わせてから行きたいなって」
「見ノ越の剣神社も、安徳天皇が山頂に宝剣を納める前に、身を清めたって言われてる場所なんだって」
「へぇ……最初にちゃんと、お清めするんやね」
「じゃあ、明日はまずそこに寄ってから、見ノ越に向かうんやね」
「うん」
「大剣神社の近くには、御塔石っていう、すごく大きな岩もあるみたい。天地の悪縁を切って、良縁を結ぶ神社なんだって」
里奈は天井を見つめながら、小さく息をついた。
「悪縁を切って、良縁を結ぶ、か……なんか、今のうちらにぴったりの言葉やね」
「そうだね」
美藍はスマホを閉じ、灯りを落とした。部屋の窓から差し込む月明かりが、二人の布団をぼんやりと照らし出す。
「明日……いよいよ、山頂だね」
「うん」
しばらくの沈黙の後、里奈の寝息が静かに聞こえ始めた。美藍はしばらく天井を見つめながら、これまでの旅で積み重ねてきた、数えきれないほどの符合と発見を、静かに反芻していた。




