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第54話:種穂忌部神社

 種穂山へと向かう道は、思った以上に早く舗装が途切れた。細い山道はやがて車一台がやっと通れるほどの幅になり、名方は慎重にハンドルを操作しながら、対向車が来ないことを祈るような表情を浮かべていた。


「山頂まではとても行けそうにないな……このあたりで停めよう」


道が少しだけ広くなった路肩を見つけ、名方は車を寄せた。麓の集落からも、まだ距離のある場所だった。


車を降りると、三人の前には、木々に覆われた山道がどこまでも続いていた。空は朝からずっと曇り、今にも雨粒が落ちてきそうな重い雲が、山の稜線を覆っている。


「本当に、ここを登るんですね……」


美藍がリュックを背負い直しながら、山肌を見上げる。名方はスマホの地図アプリを確認し、小さく頷いた。


「川田忌部山――標高三六三メートル。数字だけ見れば大した山じゃないが」


「でも、道が全然整備されてなさそうばい」


里奈が不安げに呟く。三人は互いに顔を見合わせると、意を決したように歩き出した。


登り始めてすぐ、道は予想以上に険しさを増した。木の根が張り出し、落ち葉に隠れた石がところどころで足を滑らせる。里奈が何度も「うわっ」と声を上げながら、木の幹に手をついて体勢を立て直した。


「大丈夫か、里奈」


「な、なんとか……。でも美藍、こんなに大変な参道、他にあった?」


「ないと思う。……でも、だからこそ」


美藍は息を切らしながらも、前を見据えて足を進めた。汗が額から滴り落ち、シャツが背中に張り付いていく。会話も次第に少なくなり、三人はただ黙々と、山道を上り続けた。


どれほど歩いただろうか。腕時計を見る余裕もないまま、ようやく前方に、苔むした石段が見えてきた。


「ふぅ……ふぅ……」


名方が肩で息をしながら、その石段に手をついた。


「ようやく……」


石段を上りきると、両脇に苔むした台座の上、じっとこちらを見下ろす一対の狛犬が三人を迎えた。その奥に、風格ある木造の拝殿が佇んでいる。軒先には鈴がいくつも下げられ、かすかな風にちりん、と控えめな音を立てた。


石畳や石段の隅々にまで苔がびっしりと根を張り、踏み跡らしい踏み跡もほとんど見当たらない。人の気配というものが、ここには驚くほど希薄だった。


「本当に……誰も来ないんだ、ここには」


美藍は膝に手をつき、大きく息を吐きながら呟いた。全身が汗ばみ、脚が震えていたが、その静けさが、不思議と胸の奥に染み込んでくる。


「これが、種穂忌部神社……」


由緒書きに目を通すと、そこには五柱の祭神が祀られていること、そして社殿としての歴史は西暦一七四三年にまで遡ること、県内でも数少ない古社の一つであることが記されていた。


「一七四三年……江戸時代か」


名方が呟くと、美藍は首を振った。


「ううん、たぶん、これは今の社殿が建て替えられた年。この場所そのものが信仰の対象になったのは、もっとずっと昔――卑弥呼の時代まで遡るはず。天日鷲命が最初に降臨した場所なんだから」


美藍はリュックから資料を取り出し、石段に腰を下ろした。


「それに……忌部神社論争って、私が思ってたよりずっと複雑だった」


「複雑?」


「明治時代、この種穂忌部神社と、もう一つの神社――山崎忌部神社っていう名前らしいんだけど、あの二社の間で、すごく激しい争いがあったの」


「わたしたちが行った、あの神社じゃなくて?」


里奈が首を傾げると、美藍は頷いた。


「うん、あそこは御所神社――正式には御所忌部神社っていう、また別の忌部神社。論争の当事者ではないの。でも、忌部氏の末裔を名乗る家が、あちこちにこうして別々に神社を構えてること自体が、もう……一つの手がかりだと思う」


「複雑やね」


里奈が息を詰めて呟く。美藍は資料をめくりながら続けた。


「種穂は、山の上――天日鷲命が最初に降臨した『源流』を主張した。一方の山崎は、麓にあって交通の便もよくて、昔から地域の人たちに信仰されてきた『実質的な祭祀の中心地』だって主張した。どっちも一歩も譲らなくて、収拾がつかなくなった」


「それで、どうなったと?」


里奈が息を詰めて尋ねる。美藍は資料の一点を指で示した。


「明治十四年――政府は、どっちも選ばなかった。二つの神社から遠く離れた、徳島市の眉山に、まったく新しい『忌部神社』を作って、そっちを正式な式内社に指定しちゃったの。種穂も山崎も、その新しい神社の『摂社』っていう、格下の扱いに落とされた」


美藍は顔を上げ、静まり返った境内を見渡した。


「これって……二重の防衛線だったんじゃないかって、思うの。山頂のここ、種穂が『本当の奥の院』。さっき行った御所神社が『表向きの里宮』――道理で、近代化されて手が入りすぎてるように感じたはず。そこにさらに、街中の眉山に、みんなの目を引きつける『公式のダミー』まで用意されてる。三層に分かれてるからこそ、本当に大事なもの――麁服の種、アークの記憶――は、誰の目にも触れずに、ずっと守られ続けてきた」


蝉の声も届かないほどの静寂の中、名方はしばらく無言で、苔むした境内を見つめていた。


「……見事な、隠し方だな」


その呟きには、感嘆と、もう一つ別の響きが混じっているように、美藍には聞こえた。


美藍はふと視線を落とし、考えを整理するようにゆっくりと言葉を継いだ。


「ううん、たぶん……最初から『隠すため』に三つに分けたわけじゃないと思う。もともと、この辺り一帯まるごとが、忌部氏が守ってきた土地だったんじゃないかな。何百年も経つうちに、子孫が増えて、分家がいくつもできて……それぞれの分家が、それぞれの場所で『うちこそが本家だ』って主張するようになった。結果として、まるで意図的に作られたみたいな、幾重にも重なる構造ができあがった」


「自然に、そうなった、ということか」


「うん。誰か一人が計画して作った結界っていうより……一族そのものが、長い時間をかけて、この土地全体に染み込んでいった結果、なんだと思う」


里奈がゆっくりと頷いた。


「それでも結果的に、隠されとる、いうことには変わらんとやね」


「そうだね。……意図があったかどうかは分からないけど、結果として、本当に大事なものは、今も誰にも見つからずに、ここに眠り続けてる」



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