第51話:白人神社の白い鳩
磐境神明神社への道は、忌部神社よりもさらに山深い場所にあった。舗装された道が途切れ、砂利道に変わる。
「このあたりで合ってるはずなんですが……」
名方がスマホの地図と実際の風景を見比べながら、車を慎重に進める。やがて木々の合間に、簡素な鳥居が見えてきた。
「ここです」
車を降りると、蝉の声が一段と大きく響いた。鳥居をくぐってすぐのところに、小さな社――白人神社が、静かに佇んでいる。
「ここが、白人神社……」
美藍は社の前で足を止め、リュックから、大学で複写してきた資料を取り出した。
「以前来た時は、ここから先の磐境ばかり気にしてて、この白人神社自体は、あまりちゃんと見てなかったんだけど……。今回、改めて資料で調べてきたの」
「どうしたと?」
里奈が覗き込むと、美藍はその文字を指でなぞった。
「この神社には、こんな伝承が残ってる。『昔、この地に白い鳩が飛来し、人々はそれを神の使いとして崇めた』って」
「白い鳩……」
名方が呟く。美藍が続けた。
「旧約聖書の『ノアの方舟』の話、知ってる? 大洪水の後、ノアが陸地を探すために放った鳩が、オリーブの葉をくわえて戻ってくる。それが『地上に安住の地が見つかった』っていう啓示になるの」
「聞いたことあるばい。世界中に似たような洪水伝説があるって、前にテレビで見た」
「そう。でもね、単なる洪水伝説なら、鳩じゃなくてもいい。カラスでも鷹でもいいはずでしょう? わざわざ『白い鳩』っていう、聖書と全く同じモチーフがこんな山奥の神社の伝承に残ってるのは、偶然にしては出来過ぎてる」
名方が社に向かって手を合わせながら、低く言った。
「じゃあ、これも――」
「うん。ユダヤの民が、自分たちの信仰の記憶を、この土地の伝承に置き換えて残した可能性がある」
三人は白人神社に短く手を合わせると、社の裏手から続く、記憶にある山道へと足を踏み入れた。
「さあ、ここから、もう一度、あの磐境へ」
美藍がそう言うと、里奈が懐かしそうに辺りを見渡した。
「久しぶりやね、この道」
山道を登り切ると、以前も目にしたはずのあの石垣の囲いが、同じ場所に佇んでいた。けれど、今日の美藍の目には、その配置がまるで違って見えた。
「ねえ、この石組み……前に来た時も見てるはずなのに」
美藍がリュックからノートを取り出し、事前に書き写してきた図面を広げた。
「あの時は、ただの古い祭祀場だと思って、ちゃんと採寸もしてなかった。でも今回、図書館で資料を調べてきて……これ、旧約聖書に出てくる『幕屋』――つまり、後にソロモン神殿の原型になった、移動式の礼拝所の寸法図。長さ、幅、そして至聖所の位置。この磐境の石組みと、比率がほとんど一致するの」
名方が図面と実際の石組みを見比べ、息を呑んだ。
「本当だ……。この奥の一段高くなった場所が、図面で言う『至聖所』の位置と重なる」
「そう。ここは、ただの磐境――古代の祭祀場じゃない。おそらく、ユダヤの民がこの地に幕屋の記憶を再現しようとした、そのものなの」
里奈が石組みの周りをぐるりと歩きながら、腕を組んだ。
「でも美藍、なんでわざわざ徳島の山奥に、そんな大事なもんば作らないかんかったと?」
美藍はしばらく黙って石組みを見つめた後、ふと、由緒書きに記された「磐境」という文字に、改めて目を留めた。
「――そうか。『磐境』……『境』の字」
「境?」
「うん。この神社の名前、ただの偶然じゃない気がする。……陸の忌部、水の阿曇。船盡比賣神社の一族。魂は阿波に、政治は大和に。ここが、まさにその境目だったんだと思う」
美藍は、そう続けながら、静かに石組みを見つめ直した。
「隠すためよ、里奈。誰にも見つからない場所に、本物の記憶を移すため。表向きは、麓の白人神社を『日本の古い神様のお社』として置いて、でも本当は、自分たちの信仰の核心を、さらに奥――ここに刻み込んだ」
蝉の声の合間に、風が木々を揺らす音が響いた。名方は石組みに向かって静かに手を合わせている。その横顔を、美藍はほんの一瞬、いつもと違う表情で見つめた。
「さて」と美藍が資料をリュックにしまいながら言う。「次は忌部神社。ここでの発見を踏まえて、もう一度あの神社を見てみたい」
三人は磐境神明神社を後にし、再び車に乗り込んだ。剣山への道は、まだ続いていく。




