第40話:正しい血筋
しばらくすると、店の扉が開き、汗をハンカチタオルで拭きながら、名方が姿を現した。
「悪い、待たせたか」
「いえ、全然大丈夫です」
名方は美藍たちのテーブルに近づくと、少し息を切らしながら席についた。
「今日はまた、格別暑いな……」
そう言いながら、卓上の呼び出しボタンを押すと、駆けつけた店員に向かって早口で告げた。
「アイスコーヒーを――」
言いかけたところで、ふと言葉を止めた。
「……いや、待った。レモンスカッシュにしてくれ」
「え、名方さん、いつもコーヒー派じゃないですか」
美藍が思わず突っ込むと、名方は苦笑いを浮かべながら、額の汗を拭った。
「今日はどうにも、コーヒーの気分じゃなくてな。この暑さだ、たまにはさっぱりしたのもいいだろう」
店員が下がっていくと、名方は一息ついてから、改めて二人の顔を見た。
「それで、大事な話っていうのは?」
美藍は姿勢を正すと、これまでの経緯を話し始めた。
「名方さん、前に、三木家の当主の方から古文書を託されたって話、してくれましたよね」
「ああ、覚えてる」
「その三木家のことなんですけど……。実は、私のおばあちゃん――お父さん側のおばあちゃんの旧姓が、三木なんです」
名方は、その瞬間、レモンスカッシュのグラスを持つ手を、ぴたりと止めた。
「……なんだって?」
「数日前に分かったんです。昨日は、父にも読み方を確認できて。今まで、そこまで詳しく聞いたことなくて」
美藍は、少し慎重な口調で続けた。
「もちろん、三木っていう名字自体は、徳島にいくらでもあるだろうから、それだけで名方さんの言う三木家と同じだって決めつけるのは、まだ早いと思うんですけど……」
「……三木、か」
名方は、しばらく黙り込んでから、静かに言った。
「偶然とは、思えんな」
「え……」
美藍は、思わず息を呑んだ。
「どうして、そう思うんですか?」
名方はグラスを置くと、しばらくの間、窓の外に視線を逸らした。夏の日差しが、テーブルの上に強い陰影を落としている。
「実はな……。俺が三十年前に古文書を見せてもらった時、その人から、一つだけ聞かされたことがあるんだ」
「何をですか?」
「『もし自分たちの身に何かあった時は、いずれ、この文書は正しい血筋の者の手に戻る』――そう言っていた」
美藍と里奈は、思わず顔を見合わせた。
「正しい血筋の者……」
「その時は、意味がよく分からなかった。だが、今のお前さんの話を聞いて、少し、腑に落ちる気がする」
名方は、真っ直ぐに美藍を見つめた。
「お前さんは、その三木家の血筋に連なっている可能性がある。……そう考えても、おかしくはない」
美藍は、その言葉の重みに、しばらくの間、何も言えなかった。
「里奈、聞いた? これ、めちゃくちゃ大きい話やない?」
里奈が興奮した様子で美藍の腕を掴んだが、美藍自身は、まだ現実感を持てずにいた。
「私が……。三木家の血筋……」
「まだ確証があるわけじゃない」
名方は冷静に付け加えた。
「だが、可能性としては、十分にある。あの文書に何が書かれていたのか、正しく読み解けるのは、あるいはお前さんかもしれないな」
美藍は、膝の上で拳を握りしめた。教授の秘密、そして自分自身の血筋――二つの謎が、今、一つの線として繋がろうとしていた。
「名方さん。その文書、今、どこにあるんですか? 見せてもらうことは……」
美藍が身を乗り出して尋ねると、名方は、一瞬だけ、目を伏せた。
「……それが、今は俺の手元にないんだ」
「え?」
「昔、ある筋に、調査の協力を条件に、預けてしまってな。今すぐには、取り戻せない」
美藍は、少し肩を落とした。
「そう、なんですか……。じゃあ、名方さんは、その文書の中身、ちゃんと見たことあるんですか?」
「……見るには見たさ。だが」
名方は少し言葉を選ぶように答えた。
「あの文書、普通の古文とは違ってな。見たこともないような、暗号めいた記号や、独特の文字が随所に混ざってるんだ。俺程度の知識じゃ、とても解読しきれなかった」
「暗号……?」
「ああ。だから、専門家の手に委ねることにした」
「その専門家って、誰ですか?」
「……それは、まだ言えない。すまん」
名方は、そう言うと、視線を逸らした。
「必ず、いずれ話す。だが、今はまだ、時期じゃないんだ」
美藍は、しばらくの間、名方の顔を見つめていた。教授と同じように、名方もまた、何かを隠している――そんな微かな違和感が、胸の奥に生まれていた。
「……分かりました」
美藍はそれ以上追及せず、静かに頷いた。
「でも、いつか、ちゃんと教えてくださいね」
「ああ、約束する」
名方はそう言うと、少しだけ、ほっとしたような表情を浮かべた。
美藍は静かに頷いた。窓の外では、夏の日差しが、変わらず街を照らし続けていた。




