第35話:二度目のモカ
次の日、名方から連絡があった。
「美藍ちゃん、例の手紙のことで、少し分かったことがある。今から時間あるか? 里奈ちゃんも含めて、三人で話せないかと思ってるんだが」
「はい、大丈夫です! 里奈にも聞いてみますね」
美藍は通話を切ると、すぐに里奈に電話をかけた。
「もしもし、里奈? 名方さんが、三人でどこかで話したいって。今から名方さんの車で迎えに行くから、一緒に来ない?」
『行く行く』
里奈は二つ返事で快諾した。
「了解、じゃあ後で迎えに行くね」
美藍は通話を切ると、外出の準備を始めた。
夕方になると、名方の車が美藍の家の前に停まった。
「乗ってくれ。さっき、カフェに電話して席を予約しておいた」
「わざわざ予約なんて、律儀ですね」
美藍が助手席に乗り込みながら、シートベルトを締めた。
「まあ、念のためだ。……それより、名方さん、里奈も行けるみたいなので、寄ってもらっていいですか?」
「おう、オーケー。じゃあ、そっちに向かうか」
車は里奈のアパートへと向かった。
しばらく走り、到着すると、里奈がすでに外で待っていた。
「お待たせ、里奈」
「ううん、ちょうど今出てきたとこ」
里奈は後部座席に乗り込みながら、少し声を弾ませた。
「ところで、これからどこ行くと?」
「名方さんが、カフェにでも行こうって」
美藍がそう答えると、里奈は途端に声を弾ませた。
「カフェ! いいね」
「うちの実家の方に、あんまりカフェらしいカフェってなかとよ。せっかくだし、楽しみにしとく」
「名方さん、ホントにカフェなんですよね?」
美藍が念を押すように、運転席の名方に声をかけた。
「当たり前だろう。何度も同じこと聞くな」
名方は涼しい顔で、車を発進させた。美藍はそれ以上何も言わず、少しだけ意味深な笑みを浮かべていた。
「……何、その顔」
里奈が不思議そうに首を傾げたが、美藍は「ううん、何でもない」とだけ答え、窓の外に視線を移した。
車がしばらく走り、やがて停まった先を見て、里奈は目を輝かせた。
「あ、ここ?」
だが、看板を見た瞬間、里奈の表情が固まった。
「……『喫茶 モカ』?」
「だから、カフェだろう」
「これ、思いっきり喫茶店やん!」
里奈が思わず声を上げると、美藍がこらえきれずに吹き出した。
「あはは、里奈も引っかかった! 私も最初、全く同じ反応したから」
「え、これ、いつものパターンなん!?」
「名方さんの言う『カフェ』は、大体いつもここに行き着くんだよね」
美藍が楽しそうに説明すると、里奈はがっくりと肩を落とした。
「……分かった。もう、期待するのをやめる」
「まあまあ、ここのナポリタン、結構美味しいから」
「せめて先に言ってよ、美藍」
「言ったら面白くないでしょ」
美藍がいたずらっぽく笑うと、名方は素知らぬ顔で、先に店の扉を開けていた。
「ほら、いつまでも外で話してないで、入るぞ」
三人はカランとベルを鳴らしながら、喫茶「モカ」の中へと入っていった。
店内を見渡すと、夕食時ということもあってか、何組かの客で席が埋まっている。奥のテーブルには家族連れ、カウンター席には常連らしき老夫婦が座り、賑やかな話し声が店中に響いていた。
「名方様、お待ちしておりました。ご予約のお席へどうぞ」
エプロン姿のウェイトレスに案内されたのは、店の奥まった一角にある席だった。すぐ背中合わせの位置には、スーツ姿の男性が三人、静かに向かい合って座っている。仕事帰りの打ち合わせらしく、時折低い声でぼそぼそと話し込んでいた。
「よし、座るか」
名方がそう言って腰を下ろすと、美藍と里奈もそれに続いた。
まずは飲み物だけを、と、名方はアイスコーヒー、美藍はレモンスカッシュ、里奈はアイスレモンティーを頼んだ。ウェイトレスが注文を取っていくと、三人はそれぞれの飲み物だけを告げ、料理は後で改めて考えることにした。
しばらくして、それぞれの飲み物が運ばれてきた。
「ねぇねぇ、名方さん」
里奈は運ばれてきたアイスレモンティーに口をつけながら、切り出した。
「おすすめのナポリタン、食べてもいいですか?」
「ああ、頼め頼め。ここのは絶品だぞ」
「やった。実は、一人暮らしで食費、結構切り詰めてるとよ。だから、こういう時は遠慮なく甘えさせてもらおうかなって」
里奈は少し照れくさそうに笑うと、ウェイトレスを呼んでナポリタンを注文した。美藍もそれにつられて、同じものを頼むことにした。
「私も同じのにしよう」
「俺は……。まあ、後で軽くサンドイッチでも頼むか」
名方はそう言いながら、少し苦笑した。
注文の品が運ばれてくると、名方は声を落として切り出した。
「まず、手紙の方だが……。指紋は検出できなかった。プリンターも、市販の一般的な機種で、特定は難しいそうだ」
「そうですか……」
美藍は肩を落とした。
「そっちの方は、まだこれといった手がかりはなさそうだな。……それより」
名方は少し話題を変えるように続けた。
「美藍ちゃん、教授との一件から、色々あっただろう。今、どこまで調べが進んでるんだ?」
「あ、はい……」
美藍は姿勢を正すと、これまでの経緯を一つ一つ話し始めた。忌部氏の系譜を辿った時のこと、明治以降の記録が不自然に途切れていたこと、教授に直接尋ねたこと、そして図書館の資料が抜き取られていたこと。
「教授、はぐらかしてはいましたけど、あの態度は、絶対何か知ってる人の反応でした」
美藍は熱を込めて話した。里奈も、時折頷きながら補足を加える。
「わたしも同じ場にいましたけど、教授、最後の方、明らかに動揺しとったとよ」
名方は静かに相槌を打ちながら、美藍の話に耳を傾けていた。
「なるほどな。……それで、図書館の件は、まだ何も分かってないのか」
「はい。司書さんが調べてくれるとは言ってましたけど、まだ連絡はないです」
名方はしばらく黙り込んだ後、少し身を乗り出すようにして続けた。
「美藍ちゃん。もし本当に、教授が阿波忌部氏と繋がりがあるとしたら……。一つ、気になることがあるんだが」
「何ですか?」
「アークの在りかは、代々、忌部一族が知っていて、守ってきたはずなんだ。もし教授が本当にその一族に連なる人間なら……。教授自身も、アークの在りかを知ってる可能性が高いってことにならないか」
美藍は、その言葉に一瞬、息を呑んだ。
「……確かに、言われてみれば、そうですよね」
「教授と話した時、アークとか、剣山そのものについて、何か具体的なことは言ってなかったか? どんな些細なことでもいい」
名方の声には、これまでにない真剣さが滲んでいた。
「うーん……。特に、そこまで具体的な話は……。ただ、剣山の方角を、窓から見てたことはありました」
「窓から、剣山の方角を……」
名方はその言葉を、噛みしめるように繰り返した。
「他には? 何か、書類とか、資料とか、そういうものは見なかったか」
「えー、私も知りたーい」
里奈が興味津々といった様子で、身を乗り出した。
「教授の研究室、そんなにすごい秘密隠しとるとかな。わたしも、今度一緒についていってよかと?」
「里奈も気になる?」
「そりゃそうやろ、こんな面白い話、聞いたら気にならんはずなかとよ」
美藍も釣られて、少し興奮した様子で頷いた。
「うーん、書類とか資料は、特にパッと見た感じでは……。あ、でも、机の脇に、古い写真立てがあったんです。藍畑を背景にした、着物姿の老人の写真で」
「藍畑の写真、か」
名方はその情報を、頭の中に刻み込むように呟いた。
「あとは、洋書も一冊、書棚にありました。何かの拍子に見えたんですけど、タイトルが英語で、確か……。失われた部族と、聖櫃、みたいな意味だったと思います」
「失われた部族と聖櫃……」
名方の表情が、わずかに強張ったように見えた。だが、美藍はそれに気づく様子もなく、話を続けていた。
「まあ、そんな感じです。他には、これといって……」
「なあ、美藍ちゃん」
名方はふと、真っ直ぐに美藍を見つめて尋ねた。
「美藍ちゃんは、どう見てるんだ。教授は、本当に阿波忌部氏と繋がりがあると思うか」
美藍は少し考え込むように、視線を落とした。
「うーん……。証拠と呼べるようなものは、正直、まだ何もないんです。手袋とか、写真とか、洋書とか……。一つ一つは、こじつけようと思えば、いくらでもこじつけられるレベルの話で」
「それでも?」
「それでも……。私の勘が、そう言ってるんです」
美藍はきっぱりと、そう答えた。
「理屈じゃなくて、感覚的に。教授は、絶対何か知ってる。私は、そう確信してます」
名方は、しばらくの間、無言で美藍の顔を見つめていた。その眼差しには、何か複雑な色が浮かんでいたが、美藍はそれに気づかなかった。
「……そうか」
名方はそう言うと、コーヒーを一口飲んで、話を締めくくった。
「そうか。……いや、参考になった。ありがとうな」
しばらく話し込んだ後、三人は席を立ち、会計を済ませて店を出た。
「今日はありがとうございました、名方さん」
「気にするな。……ほら、乗ってくれ、送っていくから」
三人は再び名方の車に乗り込んだ。まず里奈のアパートへ向かい、里奈を降ろすと、名方は続けて美藍の家へと車を走らせた。
「里奈、また明日ね」
「うん、また明日。今日はありがとう」
里奈と別れ、車内には美藍と名方の二人だけが残った。夕暮れの街を走りながら、二人はしばらく他愛のない世間話を交わしていた。
やがて、車は美藍の家の前に着いた。
「送ってくれて、ありがとうございました」
「気にするな。今日話してくれたこと、色々参考になった」
「はい。また何か分かったら、連絡します」
美藍は車を降りると、名方に手を振った。名方も軽く手を振り返すと、車を発進させ、夕闇の中へと走り去っていった。
玄関の鍵を開けながら、美藍はふと、今日一日を振り返った。
「……あれ?」
名方は最初、「例の手紙のことで、分かったことがある」と言って、自分を呼び出したはずだった。だが、実際に話してみると、指紋やプリンターの件はほんの一言で終わり、その後はほとんど、美藍自身が教授についての近況を話す時間になっていた。
(そういえば、名方さんの話、途中で私が喋りすぎちゃったな……)
美藍は少し苦笑した。きっと名方は、自分が教授のことで前のめりに話し始めたのを見て、気を利かせて聞き役に回ってくれたのだろう。そう思うと、なんだか申し訳ないような、それでいて温かい気持ちになった。
(今度、ちゃんと名方さんの話も聞かなきゃ)
そんなことを思いながら、美藍は家の中へと入っていった。今日一日の疲れが、じんわりと肩にのしかかってくる。
夜の静けさの中、美藍はゆっくりと、玄関の戸を閉めた。




