第33話:半分だけの答え
「……布都。お前は、本当に、面白いことを聞いてくる」
教授はそう言うと、椅子に深く背を預けた。眼鏡の奥の瞳が、窓の外――遠くに霞む剣山の方角へと、一瞬だけ向けられる。
美藍は息を呑んだまま、次の言葉を待った。
「阿波忌部氏について、お前がどこまで調べたのかは知らんが」
教授は静かに、しかし重みのある声で続けた。
「日本各地に、『忌部』という苗字を持つ家系は、決して珍しくない。神事や祭祀に関わってきた家系の末裔であることを示す苗字だからな。私の家系が、その一つであるかどうか……。正直に言えば、私自身、詳しくは調べたことがない」
「それは……。本当ですか?」
美藍が思わず問い返すと、教授はわずかに目を細めた。
「疑うのか」
「い、いえ、そういうわけでは……」
里奈が横から、そっと口を挟んだ。
「教授。もし本当に無関係でしたら、それはそれでいいんです。ただ、美藍がここまで気にするのには、それなりの理由がありまして」
「理由、とは」
教授の視線が、里奈に移った。里奈は少し怯みながらも、続けた。
「教授が、四国説をあれほど強く否定される理由が、単なる学問上の見解の違いだけではないんじゃないかって……。美藍は、そう感じているんです」
教授は、しばらくの間、沈黙した。研究室の壁掛け時計が刻む音だけが、静かに響いている。
「……なるほどな」
教授はやがて、そう呟くと、静かに立ち上がった。窓際まで歩み寄り、外の景色を見つめる。
「布都。お前の直感は、鋭い。それは、認めよう」
「教授……」
「だが」
教授は振り返らないまま、続けた。
「学問というものは、直感だけで成り立つものではない。どれほど鋭い直感であろうと、それを裏付ける物証がなければ、単なる憶測に過ぎない。……私が四国説を否定するのは、あくまでその一点においてだ」
「それだけ、ですか」
美藍が思わず尋ねると、教授はゆっくりと振り返った。その表情には、いつもの鉄面皮の奥に、何か複雑な感情が滲んでいるように見えた。
「それだけだ。それ以上でも、それ以下でもない」
教授の声は静かだったが、有無を言わせぬ強さがあった。美藍は、それ以上追及する言葉を、見つけられなかった。
「今日のところは、これで良いか。私にも仕事がある」
教授はそう言うと、再び机に向かい、書類の続きに目を落とした。もはや、これ以上何を聞いても、答えは返ってこないだろうという空気が、研究室全体を包んでいた。
「……失礼しました」
美藍は深く頭を下げると、里奈と一緒に、研究室を後にした。
廊下に出ると、美藍は大きく息を吐いた。全身から、どっと力が抜けていくようだった。
「……はぐらかされたね、完全に」
里奈が小さく呟いた。
「うん……。でも」
美藍は、閉じられた研究室の扉を振り返った。
「教授、最後の方、剣山の方を見てたよね。それに、『それ以上でも、それ以下でもない』って、わざわざ強調するみたいな言い方……。あれ、絶対、何か隠してる人の反応だと思う」
「確かに、それはわたしも気になった」
里奈は腕を組みながら頷いた。
「教授があそこまで強い言葉で否定するのって、逆に不自然よね。本当に何も関係ないなら、もっとあっさり流すはずやのに」
「うん……。だから、余計に確信が強まった」
美藍は拳を握りしめた。
「教授は、絶対何か知ってる。私の四国説が、絶対に間違ってないってことも、本当は分かってるはず」
「じゃあ、これからどうするとよ」
里奈が尋ねると、美藍は少し考え込んでから、静かに答えた。
「……もう少し、証拠を集める。教授が言葉で誤魔化せないくらいの、確かな物証を」
窓の外には、夏の強い日差しの中、遠く剣山の稜線が、変わらず静かに佇んでいた。




