第32話:教授への問い
翌日、美藍は朝から大学の図書館に籠り、阿波忌部氏の歴史を調べていた。
古代からの記録を丹念に辿っていくと、忌部氏が朝廷の祭祀を司った由緒ある一族であること、麁服の調進を代々担ってきたことなど、かなり詳しいところまでの系譜を追うことができた。
「うわ、平安時代の頃の記録まで、意外とちゃんと残ってるんだ……」
美藍はノートに書き写しながら、感心したように呟いた。ところが、時代が下るにつれ、資料の密度は急激に薄くなっていく。
「あれ……。明治以降になると、急に情報が少なくなる」
美藍はいくつもの文献を並べ替え、目を凝らした。近代以降の忌部氏の動向――特に、明治維新前後の混乱期からの記録が、ぽっかりと空白になっている。
「これ、意図的に何か隠されてるのかな、それとも単に、記録が残ってないだけなのかな……」
一人で唸っていると、隣の席で自分の資料を読んでいた里奈が、呆れたように顔を上げた。
「また一人で唸っとるね。何、行き詰まっとると?」
美藍は事情を説明した。忌部氏の系譜が、明治以降でぷつりと途切れてしまっていること。そして、それが忌部教授本人と、どう繋がっているのかが、依然として分からないままであること。
「……これ以上、文献を漁ってても、埒が明かない気がする」
美藍はペンを置き、深いため息をついた。
「じゃあ、どうするとよ」
「里奈……。ちょっと、一緒に来てほしいところがあるんだけど」
「まさか」
里奈は察したように、眉をひそめた。
「教授本人に、直接聞きに行くつもり?」
「うん……。一人だと、正直ちょっと怖くて」
美藍は正直にそう言った。里奈はしばらく考え込んでいたが、やがて小さく笑って立ち上がった。
「まあ、そんな顔されたら、放っとけんよね」
「里奈……! ありがとう」
「あんた一人だと、教授にやり込められて、しょげて帰ってきそうやし」
里奈はそう言いながら、優しく美藍の背中を軽く叩いた。
「よし、行こう。付き合うよ」
「うん!」
美藍は少しほっとしたように微笑むと、ノートを鞄にしまい、里奈と一緒に図書館を後にした。
文学部棟三階、「日本古代史研究室」の扉の前。美藍は、この前と同じように深呼吸を一つ、いや、今日はそれ以上に何度も繰り返していた。
「大丈夫? 顔、真っ青やけど」
「大丈夫……。多分」
震える手で、扉を二回叩いた。
「入れ」
冷たく乾いた声が返ってくる。美藍は里奈と顔を見合わせ、意を決して扉を開けた。
「失礼します」
忌部教授は、いつものように執務机で書類に目を通していた。二人の姿を見ると、片方の眉をわずかに上げる。
「布都か。それに、佐伯も一緒か。何の用だ」
美藍は緊張のあまり、拳を握りしめた。心臓が、痛いくらいに早鐘を打っている。
「教授、ちょっとお聞きしたいことがありまして」
「うん、なんだ?」
教授は書類から視線を上げ、真っ直ぐに美藍を見据えた。その眼差しに、美藍は一瞬たじろぎそうになりながらも、勇気を振り絞って続けた。
「教授は……。阿波忌部氏と、何か繋がりがおありなのでしょうか?」
一瞬、部屋の空気が変わった。
「……え?」
教授の表情が、初めて見るような形で、わずかに揺れた。
「どうしてまた、そんなことを」
「いや……。昨日、磐境神明神社に行きまして。その辺り一帯を、昔から守ってきたのが阿波忌部氏だと知って……。それで、教授と、何か関係のある方なのかなと」
美藍は、心臓の音が教授にまで聞こえてしまうのではないかと思うほど、緊張しながら言葉を続けた。
教授は、しばらくの間、無言のまま美藍を見つめていた。里奈も、隣で息を潜めるようにして、その様子を見守っている。
やがて、教授はゆっくりと、書類の上にペンを置いた。
「……布都。お前は、本当に、面白いことを聞いてくる」
その声には、これまでの冷たい響きとは、どこか違う、深い何かが滲んでいた。




