第28話:祖父母への挨拶
石段を下り、車に乗り込むと、名方はふと思い出したように声を上げた。
「おっ、そうだ。せっかく来たんだ、金露梅を買って帰ろう」
「え、何ですかそれ?」
美藍が首を傾げると、名方は懐かしそうな顔をした。
「うまいお菓子なんだ。黄身餡をチョコでコーティングしてある、この辺りの銘菓でな。……お袋が、好きだったんだ」
「そうなんですね」
美藍は、名方が時折見せる、こういうふとした素顔に、少しだけ胸が温かくなった。
車は帰り道の途中、つるぎ町にある菓子店に立ち寄った。店先には、剣山の高山植物にちなんだという、可愛らしい花の形をした菓子箱が並んでいる。
「へえ、これが金露梅……。可愛い形ですね」
「一口サイズだが、なかなか侮れない美味さだぞ」
「今日、弟が久しぶりに帰ってくるんです。ちょうどいいお土産になりそう」
「弟さん、いたんね」
里奈が意外そうな顔をした。
「うん、大阪の大学に行ってる弟。来人っていうんだけど、めったに帰ってこないから」
美藍はそう言いながら、菓子箱をいくつか手に取った。
「これは弟の分、これは……。あ、そうだ。この後、おじいちゃんおばあちゃんの家にも寄るなら、その分も買っておこうかな」
美藍はさらに箱を追加すると、両手いっぱいに抱えてレジへと向かった。
「里奈は? 買って帰る?」
「わたしは、自分の分だけ、買おうかな」
里奈は小さな箱を一つだけ選ぶと、美藍の後に続いた。
三人はそれぞれ菓子箱を手に、再び車に乗り込んだ。
「名方さん、ちょっとお願いがあるんですけど」
車が走り出してしばらくしたところで、美藍がふと思い立ったように口を開いた。
「ん? 何だ」
「実は、この近くに、父方の祖父母の家があるんです。……せっかくここまで来たので、少しだけ、顔を出してもいいですか?」
「ああ、構わないぞ。少し遠回りにはなるが、時間はまだあるしな。……父方の実家って、確か聞いたことなかったな。何ていう家なんだ?」
「粟飯原っていう家です。ここからそう遠くないはずなので」
美藍はスマホで住所を調べながら答えた。名方はその住所をカーナビに入力しながら、特に何かを気に留めた様子もなく、車を発進させた。
「はい。しばらく顔を出せてなくて……」
車は美馬市内の、山あいの静かな集落へと入っていった。古い瓦屋根の家々が点在する道を進み、やがて一軒の、趣のある日本家屋の前に車を停める。
「ここだ」
美藍が車を降りると、庭先で祖母が、すでに何やら大きな紙袋を抱えて待ち構えていた。
「美藍ちゃん、待っとったよ!」
「おばあちゃん、来る前に連絡しといて良かった。急にごめんね」
「何言いよるん、水臭い。さあさあ、これ持って行きんさい」
祖母は美藍の腕に、ずっしりと重い紙袋を押し付けてきた。
「え、ちょっと、これ何?」
「半田そうめんと、うちで漬けた漬物。それと、畑で採れたばっかりのきゅうりとナスも入れとるから」
「お、おばあちゃん、私、金露梅渡しに来ただけなのに……!」
美藍は慌てて菓子箱を差し出したが、祖母はにこにこと笑うだけだった。
「そんなん気にせんでええから。せっかく美馬まで来たんじゃもん、手ぶらで帰すわけにいかんでしょう」
祖父も、庭の奥からもう一つ、別の袋を持って現れた。
「これも持っていきなさい。今朝採れたばっかりのトマトだ」
「わ、トマト! おじいちゃんちのトマト、大好きなんだよねー。市販のと全然違って甘いから」
美藍は袋を覗き込みながら、嬉しそうに声を上げた。
「そうかそうか、美藍がそう言うてくれるなら、来年はもっと多めに作ろうかの」
祖父は満足げに目を細めた。
「こんなに……! ありがとう、おじいちゃん、おばあちゃん」
美藍は両手いっぱいの荷物を抱えながら、思わず苦笑した。ほんの少し顔を見せるだけのつもりが、すっかり長居してしまいそうな勢いだった。
「上がってお茶飲んでいきなさいよ」
「ごめんね、おばあちゃん。今日は、友達と記者さんも一緒で、そんなに時間がなくて……。また今度、ゆっくり来るね」
美藍は名方の車を振り返りながら、申し訳なさそうに言った。車の中からは、名方と里奈が、大量の荷物を抱えた美藍の様子に、揃って苦笑いを浮かべているのが見えた。
「あら、そうなの。残念ねえ」
「近いうちに、また来るから。今度は、泊まりで来るかも」
「まあ、それは楽しみね。いつでもいらっしゃい」
祖母は名残惜しそうにしながらも、笑顔で頷いた。祖父も、庭先まで見送りに出てきてくれた。
「気をつけて帰りなさいよ」
「うん、おじいちゃんもおばあちゃんも、体に気をつけてね」
美藍は両手いっぱいの荷物を抱えながら、二人に何度も頭を下げて、車へと戻った。
「……すごい荷物だな」
名方がトランクを開けながら、苦笑いを浮かべた。
「田舎のおじいちゃんおばあちゃんって、なんでいつもこうなるんでしょうね」
「あるあるやね、それ」
里奈も笑いながら、荷物を積み込むのを手伝った。
エンジンをかけた名方が、バックミラー越しに微笑む。
「良い祖父母さんだな」
「うん。……ちゃんと顔見せられて良かった」
車が走り出すと、美藍は窓越しに、小さくなっていく祖父母の姿を、しばらく見つめていた。




