第12話:これはカフェ?
昼の一時、家の前に名方の軽自動車が滑り込んできた。美藍が玄関を出ると、名方は窓を開けて手を挙げた。
「よう、待たせたな」
「いえ、私も今出てきたところです」
美藍は助手席に乗り込みながら、シートベルトを締めた。車内には、微かに煙草の匂いが残っている。
「よし、それじゃあ出発するか」
車を発進させながら、名方はちらりと美藍の方を見た。
「そういえば、飯は?」
「あ……」
美藍は今朝からノートパソコンとにらめっこしていたことを思い出し、気まずそうに視線を逸らした。
「お母さんが朝ご飯用意してくれてたんですけど、資料見るのに夢中になってて、結局食べそびれました……」
「相変わらずだな」
名方は呆れたように笑いながら、ハンドルを軽く叩いた。
「よし、途中で何か食っていくか。そうめんは、この時期どうせ家で毎日食っとるだろう」
「あはは、バレてます? 実家、毎日みたいにそうめん出てきますもん」
「だろうな。……なら、蕎麦にするか。この辺りは山間部で、蕎麦どころも多いんだ」
「蕎麦もいいですね! でも……」
美藍は少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「たまには、女子大生らしく、お洒落なカフェとかでもいいんじゃないですか? パフェとか、写真映えするドリンクとか」
「カフェ、ねえ……」
名方は少し考えるように顎をさすった。
「よし、分かった。ちょうどいい店を知ってる」
「本当ですか! 楽しみです!」
美藍は目を輝かせた。頭の中では、観葉植物が並ぶ明るい店内や、可愛らしいラテアートの乗ったコーヒーが思い浮かんでいる。
名方は信号での停車時に
スマホを操作している
店へのルートを検索してるのだろう
車は吉野川に沿って西へと進み、やがて古びた商店が並ぶ通りへと入っていった。名方は迷いなく、その中の一軒の前に車を停めた。
「ここだ」
美藍は車を降り、目の前の店構えを見上げた瞬間、思わず言葉を失った。
色褪せた木製の看板に、達筆な筆文字で「喫茶 モカ」と書かれている。窓には手描きのメニューが貼られ、入り口の扉には昭和の頃から変わっていなさそうな、すりガラスがはめ込まれていた。
「……あの、名方さん」
「ん?」
「これ、カフェじゃなくて、喫茶店ですよね」
「同じようなもんだろう」
「全然違いますよ!! 名方さん、カフェって知ってます?」
美藍が思わず突っ込むと、名方はきょとんとした顔をした。
「コーヒー飲ませてくれる店だろう。何が違うんだ」
「違いますって! カフェっていうのは、もっとこう……インスタ映えする内装で、おしゃれなラテアートがあって……」
「そんな小難しいこと言われてもな。ここのマスターが淹れるコーヒーは絶品だぞ。それに、ナポリタンも美味い」
美藍はがっくりと肩を落としたが、名方はどこ吹く風で、すでに店の扉を開けている。
「まあまあ、開いたお腹には結局、こういう店の方がちょうどいいもんだ。ほら、入るぞ」
「……もういいです、諦めます」
美藍はため息をつきながらも、苦笑いを浮かべて後に続いた。カランと控えめなベルの音が鳴り、店内には煎れたてのコーヒーの香りが漂っている。カウンターの奥から、白髪頭のマスターが「いらっしゃい」と静かな声で迎えた。
昭和レトロな革張りの椅子に腰を下ろしながら、美藍は小さく呟いた。
「……まあ、これはこれで、雰囲気ありますけどね」
「だろう。分かってきたじゃないか」
名方はメニューを美藍の方へ差し出した。
「好きなの頼め。ここは何でも美味いぞ」
美藍はメニューを開き、しばらく悩んだ末に決めた。
「私、ナポリタンと、クリームソーダにします!」
「クリームソーダとはまた、可愛いもん頼むな」
「いいじゃないですか、喫茶店っぽくて。名方さんは?」
「俺はサービスランチと、コーヒーで」
「サービスランチって、内容選べないやつですか?」
「ああ。日替わりだ。今日は何が出てくるか、俺も知らん」
注文を終えると、マスターは静かに厨房へと戻っていった。しばらくの間、店内には扇風機の回る音と、遠くから聞こえる祭り囃子の練習の音だけが響いている。
「そういえば、名方さん」
美藍は鞄から、朝方まとめていたノートを取り出した。ページには、几帳面な文字と、あちこちに引いた赤線、そして矢印で繋がれたキーワードがびっしりと書き込まれている。
「私、今朝も色々調べてみたんです。名方さんが言ってた話の裏取りっていうか」
「ほう、見せてみろ」
美藍はノートを開き、テーブルの上に広げた。
「まず、『ヤットサー』のヘブライ語説、ネットにもちゃんと考察してるサイトがいくつかありました。あと、磐境神明神社の石垣が『幕屋』の設計と一致するっていう話も」
名方はノートを覗き込みながら、ふむ、と相槌を打った。
「学術論文じゃなくて、個人サイトばっかりですけど、複数の人が独立して似たようなことを言ってるのは、ちょっと気になりました」
「それで?」
「それで……。ここからが本題なんですけど」
美藍はページをめくり、さらに奥のメモを指し示した。
「剣山の山頂に、失われたアークが眠ってるっていう伝説があるんです。これ、YouTubeとかにも動画がいっぱいあって。戦時中に軍が調査に来たとか、地元の古老がその存在を知ってたとか……」
「ああ、その話は昔から有名だな。俺も記者になりたての頃、一度取材しようとしたことがある」
「本当ですか!? それで、どうだったんです?」
「取材は空振りだった。地元の人間は、みんな口を揃えて『そんな話は知らん』の一点張りでな。……まあ、それがかえって怪しく思えたもんだが」
美藍は身を乗り出した。
「やっぱり! 何かを隠してる感じ、しますよね!」
「まあ、落ち着け。都市伝説と物証は、ちゃんと分けて考えるべきだ。特にその手の話は、面白おかしく尾ひれがついてることも多いからな」
名方の冷静な一言に、美藍は少し我に返ったように口をつぐんだ。
「……確かに、そうですよね。私、ちょっと興奮しすぎてたかも」
「悪いことじゃない。ただ、今から会う善造さんの前では、その辺のオカルト話は控えめにしといた方がいいぞ。あの人は、根っからの職人だ。地に足のついた話を好む」
「わ、分かりました。気をつけます」
そこへ、注文の品が運ばれてきた。湯気の立つナポリタンと、赤いさくらんぼが乗ったクリームソーダが、美藍の前に置かれる。名方の前には、コロッケと味噌汁、小鉢がいくつも並んだサービスランチの盆と、深煎りのコーヒーが並んだ。
「うわぁ、美味しそう!」
「食ったら出発するぞ。腹ごしらえも大事だからな」
美藍はさっそくフォークを手に取り、湯気立つナポリタンを頬張った。
「んー! 美味しい! 喫茶店のナポリタン、思ったよりちゃんとしてます!」
「言っただろう、ここは何でも美味いって」
名方も満足げにコロッケを頬張りながら、コーヒーに口をつけた。
窓の外では、真夏の強い日差しが、古い商店街の通りを白く照らしていた。二人は昼下がりのひとときを、しばしのんびりと過ごしていった。




