第11話:玉石混交
翌朝、美藍は目覚ましよりも早く目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む朝日は、すでに真夏の強さを帯びている。時計を見ると、まだ午前八時前だった。名方との待ち合わせは昼の一時。まだ数時間の余裕がある。
(せっかくだし……。もう一回、資料を見直しておこう)
美藍は布団から抜け出すと、机の上に散らかったままの資料の山に手をつけた。教授に突き返された修士論文のプロット、吉野川流域の遺跡発掘報告書、郷土史家の私家版論考。改めて一枚一枚めくり直していく。
「纒向の土器……。若杉山の水銀朱……。うん、ここまでは間違いなく、ちゃんとした学術的裏付けがある」
呟きながら赤ペンでチェックを入れていくと、美藍はふと、机の隅に置いてあったノートパソコンを開いた。
「昨日名方さんが言ってた話……。ちゃんと裏取りしとかないと」
検索バーに「阿波おどり ヤットサー ヘブライ語」と打ち込むと、いくつかのサイトがヒットした。個人ブログ、日ユ同祖論を扱う専門サイト、掲示板のまとめ記事――玉石混交の情報が並んでいる。
「お、これこれ。……へえ、やっぱりちゃんと言われてるんだ」
美藍は次から次へとページを開いていった。学術論文とは呼べない、在野の研究者や愛好家による考察がほとんどだったが、美藍はその一つ一つに、まるで宝探しをするような興奮を覚えていた。
「磐境神明神社……。石垣が幕屋の設計と一致するって説、これも結構前からあるやつなんだ」
さらに検索を続けるうちに、美藍は次第にオカルト寄りの情報にまで手を伸ばし始めた。日ユ同祖論を扱う個人サイト、都市伝説系のYouTube動画、剣山にアークが眠っているという伝説を紹介するブログ――普段の美藍なら「これはさすがに眉唾だな」と一笑に付すような内容にも、今は妙に引き込まれてしまう。
「剣山の山頂に、失われたアークが眠ってる……。うわ、これガチで信じてる人めっちゃいるじゃん」
動画のコメント欄には、「戦時中に軍が調査に来た」「地元の古老がその存在を知っていた」といった、真偽の定かでない書き込みがずらりと並んでいる。美藍はその一つ一つに目を通しながら、ノートに気になったキーワードを書き留めていった。
(教授が異様に嫌がってたのって、こういう都市伝説レベルの話まで、実は核心を突いてるからだったりして……)
ふと我に返り、美藍は苦笑した。
「いや、さすがに冷静にならなきゃ。名方さんの話と、ネットのオカルト情報は、ちゃんと区別しないと」
そうは思いつつも、集めた情報をノートに整理する手は止まらなかった。信頼できる考古学的な物証と、根拠の怪しい伝承やオカルト話が、ノートの中で次第に混ざり合っていく。今の美藍には、その境界線を冷静に見極める余裕は、あまり残っていなかった。
階下から、玄関の戸が開く音が聞こえた。時計を見ると、午前九時を少し過ぎたところだった。
「美藍、行ってくるわね!」
母のみやこが、階段の下から声をかけてくる。美藍はパソコンから顔を上げ、部屋のドアを開けて廊下に顔を出した。
「お母さん、こんな朝早くからどこ行くの?」
「阿波おどりの連の手伝いよ。今日は昼から、婦人会の連で出るから、その準備」
みやこは浴衣らしき衣装を入れた大きな袋を抱え、玄関で靴を履きながら答えた。地域の婦人会が毎年出す踊りの連で、みやこは長年、裏方として衣装の着付けや小道具の準備を手伝っている。
「そっか、お母さんも今日出るんだっけ。頑張ってね」
「美藍も、名方さんとのお出かけ、楽しんでらっしゃい。……あ、そうそう」
みやこは思い出したように、玄関で振り返った。
「朝ご飯、冷蔵庫に用意してあるから、ちゃんと食べてから行きなさいよ」
「はーい、ありがとう」
「じゃあ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃい」
玄関の戸が閉まる音を聞きながら、美藍は部屋に戻った。窓の外からは、朝から早くも聞こえてくる祭り囃子の練習の音が、涼やかな夏の空気に混じって届いてくる。
(お母さんも、毎年頑張ってるもんな……)
一瞬、微笑ましい気持ちになったものの、美藍の意識はすぐにまた、机の上のノートへと戻っていった。
パソコンの画面には、まだ開きっぱなしのタブがいくつも並んでいる。学術論文、郷土史のアーカイブ、そして真偽不明のオカルトサイト。美藍はそれらを行ったり来たりしながら、時間の許す限り、情報を拾い集め続けた。
やがて、時計の針が正午を回った頃、スマホが短く震えた。名方からのメッセージだった。
「そろそろ出るぞ。準備できてるか?」
美藍は慌ててノートを閉じ、朝からかき集めた情報の数々を鞄に詰め込んだ。学術的な裏付けのある話と、まだ検証もされていない都市伝説めいた話が、ごちゃまぜのままノートの中に並んでいる。
その玉石混交ぶりに気づく余裕もないまま、美藍は身支度を整え、階段を駆け下りていった。




