第八章 ダイヤを引く
試運転の成功から数日後。
俺はセルヴァン伯爵の館に呼ばれた。
伯爵というのは
この街と周辺領地を治める貴族だ。
老人の旧家が議会の長
カイレンが商業の代表
そして伯爵は領主。
三者の意思が揃えば
鉄路の正式運用が始められる。
館の応接間は重厚な石造りだった。
天井が高く
窓は色硝子。
壁には先祖の肖像画が並んでいる。
俺たちは長椅子に通された。
俺
カイレン
ティアリス
ガルド。
四人で揃って伯爵を待つ。
「変な感じだね」
カイレンが小声で囁いた。
「あたしこんな館に呼ばれるの初めて」
ティアリスは静かに座っている。
ガルドは退屈そうに足を組み替えた。
やがて
扉が開いた。
入ってきたのは
意外と若い男だった。
四十代前半。
銀の縁取りの上着を纏い
口元に薄い髭。
目には静かな知性が宿っている。
「セルヴァン伯ヴェルナルだ」
低い声で名乗った。
俺たちは立ち上がって礼をした。
伯爵は対面の椅子に座った。
侍従が銀のお茶を運んでくる。
「君が噂の旅人か」
伯爵の視線が俺に向いた。
「高架真也と申します」
「タカギ・シンヤ。発音しづらい名前だ」
伯爵は微かに笑った。
「君の名は昨夜から私の耳に入っている。鉄路を動かし裂世の中を生きて帰った。祭司殿は奇跡だと騒いでいる」
俺は静かに頷いた。
「奇跡ではありません。仕組みです」
伯爵が机を指で叩いた。
「仕組みとは」
俺は持参した羊皮紙を取り出し
机に広げた。
縦軸に駅。
横軸に時刻。
斜めに走る線。
クロノ・エクスプレス号と
これから運行する補助便のダイヤ図だった。
「これはダイヤと呼ばれる図です」
俺は説明した。
「縦軸に駅横軸に時刻列車を斜めの線で描きます。線が交わる場所では列車がすれ違うか退避します。線の傾きは速度を表します。この一枚で今日一日に走るすべての列車の動きが分かります」
伯爵は身を乗り出した。
「全ての列車が……一枚に……」
「はい。俺の世界ではこれを指令員が朝晩描き換えながら列車を運行管理しています」
俺は別の紙を取り出した。
「次に、この鉄路がセルヴァンにもたらす経済効果です」
紙には数字が並んでいた。
「夜越え山脈経由の隊商はこれまで往復に十日かかっていました。鉄路を使えば往復一日。つまり輸送回数が十倍になります。しかも輸送量は馬車の二十倍。合わせて二百倍の物流効率です」
伯爵の指が止まった。
「二百倍」
「税収換算でセルヴァン領は二年で財政赤字を解消できます。これは机上の試算ですが近い数字は出るはずです」
俺は紙を伯爵の前に押し出した。
伯爵は無言で読み続けた。
読み終えると顔を上げ
俺を凝視した。
「君は……商業の神の遣いか」
「いいえ、ただの指令員です」
「シレイイン」
伯爵はその言葉を口に含むように繰り返した。
しばらく沈黙が落ちた。
伯爵が椅子の背に身を預けた。
「ただ一つ懸念がある」
「はい」
「聖典教会だ」
俺は息を呑んだ。
「教会は鉄路を異端と断じている。我が領が公に鉄路を運用すれば教会は黙っていない」
ティアリスが俯いた。
カイレンが拳を握った。
ガルドは黙って俺を見た。
俺は伯爵の目を真っ直ぐ見返した。
「教会の懸念は理解します。ただ失われた人命とこれから救われる人命を天秤にかけてください」
伯爵は微かに笑った。
「君は実に冷徹な物言いをするな」
「失礼しました」
「いや気に入った」
伯爵は立ち上がった。
「セルヴァン領は鉄路の正式運用を許可する。ただし教会への対応は私が引き受けよう」
館を出る時
カイレンが俺の脇腹を肘で突いた。
「真也あんたやっぱり凄いわ」
ティアリスは祈るように両手を合わせた。
「世界が少しずつ動き始めましたね」
ガルドが顎髭を撫でた。
「あとは教会の連中がどう出るかじゃのう」
その夜
セルヴァン聖典教会の支部では
別の動きが起きていた。
司教の私室。
蝋燭の灯りの下で
黒い長衣の男が頭を垂れていた。
「セルヴァン伯鉄路使用を許可した模様」
司教は深く息を吐いた。
「異端の鉄路。あの旅人を排除せねばならぬ」
「枢機卿カスティラ様に上申いたします」
「いやまだ早い。機を待て。彼が大きくなった時こそ潰す価値がある」
司教は窓の外を見た。
セルヴァンの夜空に
月が三つ
そのうち一つはすでに欠け
新たにもう一つが
欠けかけていた。
同じ夜
セルヴァン伯ヴェルナルは
書斎で一人になっていた。
机に置かれた古い書物。
父が遺した日記。
伯爵はそれを開き
ぱらぱらとめくった。
『鉄路は王国を救う唯一の道。されど我々にはそれを動かす人材がおらぬ』
四十年前の父の筆跡。
父はその後
鉄路復活の夢を諦め
失意のうちに病で逝った。
「父上」
伯爵は呟いた。
「ようやくあなたの夢を見られる人材が現れました」
伯爵は窓を開けた。
夜風が書斎に入り
古い書物のページをめくった。
その風の中に
微かに
鉄路の油の匂いが混ざっていた気がした。
一方
セルヴァンの工房地区では
ガルドが弟子たちを集めていた。
「タカギの兄ちゃんは正式に伯爵の許可を得た。これから半年で大陸の鉄路を直す」
弟子たちが顔を見合わせた。
「親方。そりゃ無理な話じゃないですか」
「無理じゃ」
ガルドは小さく頷いた。
「無理じゃがやる」
「親方。が言うなら」
「いやワシが言うんじゃない。タカギの兄ちゃんが言ったからワシらは動く。なぜか分かるか」
弟子たちは黙った。
ガルドは顎髭を撫でた。
「兄ちゃん。はワシらを歯車って呼ばん。職人と呼んでくれる。ワシらドワーフは何百年もの間人間に歯車扱いされてきた。鉄を打つだけの便利な道具と。でも兄ちゃんは違う。ワシらを仲間と呼んでくれる」
弟子たちは静かに頷いた。
その夜
工房の煙突から朝まで煙が絶えなかった。
翌朝。
街中で噂が広がった。
「伯爵が鉄路復活を許可した」
「ヴァランツ町長も賛同するらしい」
「商業ギルドが大規模投資を決めた」
セルヴァンの朝市は
普段の三倍の人出となった。
「お前さん聞いたかタカギ殿が動かした魔導機関車の話」
「聞いた聞いた。うちの息子も鉄路に関わりたいって言い出してさ」
「うちの娘もだ。あの巫女さんに憧れて神殿の見習いになりたいんだと」
老人たちが井戸端で噂話に花を咲かせていた。
市場の一角。
俺は野菜を買いに来ていた。
野菜売りの娘が俺に気付き
慌てて野菜を一つ多くカゴに入れた。
「これはおまけです」
「いえ、お金は払います」
「いいです。うちのお父さんがタカギさんのおかげで隊商の仕事が増えるって昨日喜んでて」
娘は照れたように笑った。
俺は黙って頭を下げた。
市場を出る途中
何度も声をかけられた。
子供たちが俺の後を追ってきて
「カッコいい」
「魔導機関車に乗せて」
と袖を引っ張った。
商人の老人が俺の手を取り
「あなたのおかげで孫の代まで救われる」
と涙ながらに礼を言った。
道端の見知らぬ若い女性が
俺に向かってお辞儀した。
俺は気恥ずかしくて目を逸らした。
カイレンが横で大笑いした。
「真也あんたもう街の英雄だよ」
「やめてくれ」
「事実だって」
俺は急いで宿に戻った。
ティアリスが部屋で祭壇の前に座っていた。
「真也さん。お疲れ様です」
「ティアリス。街が変だ」
「変ですか」
「皆が俺に頭を下げる。俺は何もしてないのに」
ティアリスは小さく笑った。
「何もしていないなんてそんなことはありません。あなたは皆の希望になっています」
希望。
俺はその言葉を反芻した。
俺が
誰かの希望。
そんなことが
俺の人生で起きるなんて
予想だにしなかった。
俺は業務手帳を開いた。
明日からの運行計画。
ヴァランツへの初運行ダイヤ。
出発時刻
通過駅
速度区分。
筆を握る。
俺の手は
これまでより少し
震えていた。
緊張ではない。
責任の重みだった。
俺は深呼吸して
手帳に第一便のダイヤを書き入れた。




