第四章 指差喚呼 運命を視る
二日間の道中で
俺はこの世界の常識を少しずつ学んだ。
魔石。
魔法。
ポーション。
モンスター。
そして
鉄路への偏見。
「この世界の人は鉄路を嫌っているのか」
俺は尋ねた。
ティアリスは伏し目がちに答えた。
「鉄路の呪いと呼ばれています。王国が滅びて以来鉄路の周りで土地が崩れるようになりました。人々はそれを古き神々の怒りだと信じています」
「逆だな」
「え」
「鉄路が止まったから世界が崩れている。そう聞こえる」
ティアリスは目を瞠った。
俺は枕木の継ぎ目を見ていた。
レールは継ぎ目で熱膨張を吸収する。
膨張代を見越して隙間を設計する。
それを保線という。
千年放置された鉄路にも
保線の痕跡が残っていた。
古王国の技師は確かに優秀だった。
俺は線路沿いを歩きながら
無意識に呟いていた。
「軌間 よし」
俺は指でレールを差した。
「継ぎ目 よし。バラスト劣化 あり。要補修」
ティアリスがじっと俺を見ていた。
「シサカンコでしたか。それは何ですか」
俺は手を止めた。
「指差喚呼。俺たちの世界で鉄道員がやる確認動作だ。指で差して声に出して確認する。人間は声に出すと間違いが減る。仲間にも見えるから二重確認になる。地味だがこれで何百人の命が守られている」
ティアリスは静かに口元を綻ばせた。
「あなたの世界ではそうやって命を守るのですね」
「だから、俺たちは歯車って呼ばれる」
俺は皮肉に笑った。
「歯車」
「決められた動きを正確に繰り返す。それが俺たちの誇りでそれが俺たちの侮辱だ」
ティアリスは首を横に振った。
「歯車は美しいです。歯車があるから世界は回るのです」
俺は黙った。
第二夜の朝。
俺たちは大きな廃駅の前に立っていた。
セルヴァンの一つ手前
かつての分岐駅らしい。
ホームの奥に
巨大な鉄塊が放置されていた。
蒸気機関車に似た形。
しかし煙突がない。
代わりに胴体に水晶のような結晶が埋め込まれている。
「魔導機関車ですね」
ティアリスが囁いた。
「動くのか」
「分かりません。千年前から眠っています」
俺は機関車に近づいた。
胴体に手を触れる。
冷たい。
しかし
死んではいなかった。
俺は業務手帳を開いた。
ページに走り書きする。
主軸 錆あり要研磨
車輪フランジ 摩耗少ない
ブレーキ機構 動作不明
動力源 不明 要確認
台枠 歪みなし
「これは動かせます」
「本当ですか」
ティアリスの声が震えた。
「いや正確には 動かせる可能性がある。ただし俺一人では無理だ。整備士が要る」
「セルヴァンの街にドワーフの鍛冶師がいると聞いています」
「だったら街へ急ごう」
俺たちは機関車を背に廃駅を後にした。
歩きながら俺は考えていた。
なぜ俺はこんなにスムーズに動けているのか。
混乱しているはずなのに。
理不尽な世界に放り込まれて。
でも
仕事の延長だと思えば
何も怖くなかった。
鉄路を点検し
ダイヤを引き
人を運ぶ。
俺がやってきたことは
ここでも変わらない。
それだけのことだった。
その夜
俺たちは廃駅の片隅で野営した。
ティアリスが焚き火を囲み
俺は壁にもたれて業務手帳をめくっていた。
夜風が
鉄塊の機関車の隙間を抜けていく。
ヒュウ
と笛のような音を立てる。
「真也さん」
ティアリスが小さく呼んだ。
「ん」
「私のことをあなたはどう思っていますか」
唐突な質問だった。
俺は手帳を閉じた。
「どう思うって」
「私は時辰の巫女の候補です。そして候補は基本的に死ぬ運命にあります」
ティアリスは焚き火を見つめたまま
静かに語り始めた。
「私は六歳の時に神殿に引き取られました。両親はもう覚えていません。ただ最後に母が言った言葉だけは耳に残っています。『お前は世界のために生まれた子だ』それが私の役目です」
俺は何も言わなかった。
ティアリスは続けた。
「時辰の巫女になるためには古代王国の儀式で命を捧げる必要があります。私はそれを十一歳の時に教えられました。最初は嫌でした。死ぬのが怖かった。でも神殿の人たちはそれが私の存在意義だと繰り返しました」
「世界を救うためなら私の命など惜しくない。そう思おうとしました。そう思い続けてきました」
ティアリスの声が少しだけ震えた。
「でも、本当は私はずっと誰かに止めて欲しかったのかもしれません。『お前は死ぬな』と誰かに言って欲しかった」
俺は焚き火越しに彼女を見た。
ティアリスの瞳に
炎が反射して揺れていた。
「ティアリス」
俺は静かに呼んだ。
「死ぬな」
ティアリスが顔を上げた。
「お前は死ぬな。俺の責任で死なせない」
ティアリスは口元を覆い
涙を流した。
「真也さん。そう言ってくれてありがとうございます」
「礼じゃない。俺の仕事だ」
「お仕事ですか」
「人を生かして運ぶ。鉄道屋の仕事はそれだ。俺は今お前を生かして運ぶただそれだけのことをしている」
ティアリスは小さく微笑んだ。
「あなたは不思議な人ですね」
「そうか」
「自分の世界の言葉で他の世界の問題に答えを出していく。普通なら戸惑うはずなのにあなたは日々の延長として動いている」
俺は苦笑した。
「俺はそれしかできないんだ。他のことをやろうとするとすぐ手が止まる。ダイヤを引いてる時だけは頭が回る」
「それはあなたが鉄道を愛している証拠です」
ティアリスは静かに言った。
「愛している人はその言葉で世界を語れます」
焚き火の薪が
パチンと爆ぜた。
火の粉が
夜空に舞った。
頭上の星空。
月は三つあった。
そのうち一つは
薄く欠けていた。
俺はそれを見上げた。
地球で見上げた月とは違う形。
でも
夜空が広いという感覚は
どこでも同じだった。
「ティアリス。質問していいか」
「はい」
「お前夢はあるか」
ティアリスは少しの間
黙った。
そして
小さく笑った。
「夢ですか。そんなもの許されたことがなかったから分かりません」
「考えてみろ」
「もし許されるなら」
ティアリスは焚き火を見つめた。
「もし許されるならあなたの世界の駅を一度歩いてみたいです」
俺は思わず笑った。
「駅か」
「あなたの仕事の場所を見てみたい。あなたが守っている人々を見てみたい」
「いつか連れて行ってやる」
俺は冗談半分に答えた。
ティアリスは大切な約束のように
こくりと頷いた。
俺たちはそのまま焚き火を囲んだまま
朝まで話した。
俺はティアリスに地球の話をした。
電車のこと
人々の通勤のこと
コンビニのこと
真夜中のラジオ番組のこと。
ティアリスは大きな目で
俺の話に耳を傾けた。
時々驚き
時々笑い
時々悲しそうな顔をした。
朝が近づく頃
ティアリスは少しだけ眠そうにしていた。
俺は彼女に上着を被せ
焚き火の番を交代した。
業務手帳に
俺は新しいメモを書いた。
ティアリスを
絶対に
死なせない方法を見つける。
筆を置いた時
空が白み始めた。
線路の向こうの森が
朝焼けに染まり始めていた。
新しい一日が
始まろうとしていた。




