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定刻、指令員が異世界転生してダイヤで滅びゆく世界を救って終電で帰る  作者: もしものべりすと


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第十九章 定刻 帰還

目を覚ました時

俺は自宅のテレビの前に倒れていた。


午前一時四十分。


絨毯の上で気を失っていたらしい。

首が固まっている。


俺は身を起こした。


テレビ画面は砂嵐から

ありふれた深夜の通販番組に戻っていた。


ニュース速報のテロップが流れている。


『都内の通勤路線人身事故から復旧』


何も変わっていない。


時計を見る。

午前一時四十分。


ほんの十分しか経っていなかった。




俺は咄嗟に手を見た。


右手に

何かを握っている。


小さな鉄の歯車。


ガルドが俺にくれた歯車。


俺は息を呑んだ。




胸が熱くなる。

夢じゃなかった。


俺は業務手帳を開いた。


ページの隅に

古代文字の

ありがとう。


そして

最後のページに

駅員の絵。


帽子を被り

信号の旗を持ち

線路の前に立つ駅員。


笑顔。




俺はしばらくの間

業務手帳と歯車を見つめていた。


異世界で過ごした数か月の記憶が

今でもありありと残っている。


ティアリスの銀の髪。

カイレンの快活な笑い声。

ガルドの太い手の温もり。


それらが

ここに座っている俺の現実だった。




俺は立ち上がり

冷蔵庫から麦茶を一気に飲み干した。


息を整え

シャワーを浴び

新しい制服に着替えた。


今夜は休みだったはずだが

俺はもう一度

指令所に行きたかった。


仕事がしたかった。

誰かの夜を支えたかった。


それが

ティアリスへの返事のような気がした。




出勤前

俺はもう一度

業務手帳を開いた。


過去のページを順に遡っていく。


地球で書いた業務記録。

深夜のダイヤ修正。

人身事故対応の手順。

保線工事の連絡事項。


それらが

これまでの俺の人生だった。




そして

セルヴァンに来てからの記録。


軌間

継ぎ目

バラスト

動力源候補。


俺はそのページを指でなぞった。


ガルドが横で覗き込み

「ワシの親父の手帳と同じことを書いとる」と呟いた声を思い出す。




次のページ。


ヴァランツ初運行ダイヤ。

セルヴァン発 午前八時。

ヴァランツ着 午前十時。


俺はその数字を凝視した。


たった二時間の運行だった。

しかし

あの二時間が

俺の人生で最も意味のある二時間だった。




さらに次のページ。


最終運転整理。

全大陸の歯車に告ぐ

ダイヤ通り運行せよ。


俺の筆跡で書かれているはずなのに

誰か別の人間が書いたような気がした。


俺はこんなに大きな指令を出したことがあったのか。


夢のようだった。

しかし

夢ではなかった。


ガルドがくれた歯車が

その証だった。




電車に乗り

指令所へ向かう。


地下鉄の窓に映る俺の顔は

少しだけ

昔と違って見えた。


目に光が宿っていた。


それは

誰かに必要とされたことのある人間の目だった。




地下鉄の中で

通勤客の姿を眺めた。


寝不足の会社員。

スマートフォンを見つめる女子高生。

赤ん坊を抱えた若い母親。

出張帰りのスーツ姿。


俺はこの人たちのために

今夜もダイヤを引く。


そう思うと

胸が熱くなった。




数日後の夜勤。


俺は指令所のモニターの前にいた。


赤い点が三つ。

黄色い点が一つ。


下り十二番線

人身事故

復旧見込み二時間。


俺は静かに業務手帳を開いた。




「高架さん。今夜も入ってもらってすみません」


後輩の若い指令員が頭を下げた。


「いや構わない」


「ダイヤ修正お願いできますか」


「任せろ」


俺はマウスを握った。


人身事故の対応。

ダイヤの修正。

迂回ルートの設定。


俺の手は淡々と動いた。

だが

心の中には

新しい何かが宿っていた。




俺は自分の仕事を

今までと違う目で見ていた。


ダイヤを書き換えるたび

誰かの帰宅が遅れる。

別の誰かの始発が動く。

家路を急ぐ家族。

出張に向かう営業マン。

夜勤明けで眠い看護師。

ライブを楽しんで家路につく学生。


何百万人の人生が

このモニターの向こうにある。


俺の指先一つで

彼らの夜が変わる。


俺は何者でもない歯車だ。

でも

歯車を失えば

世界は止まる。




「ダイヤ修正完了代替輸送ルート確立よし」


俺は指で画面を差して声に出した。


後輩が驚いた顔をした。


「高架さん。指差喚呼心がこもってますね」


俺は静かに微笑んだ。


「当たり前だろ。俺たちの仕事はそういう仕事だ」




早朝四時。


俺は仕事を終えて指令所を出た。


外はまだ暗い。

始発が動き出す前の駅は息を潜めている。


俺は古い踏切まで歩いた。




この踏切が昔から好きだった。


カンカンカンと警報機が鳴る。

始発の貨物列車が遠くを通る。


俺は静かにそれを見送った。


業務手帳を取り出す。

ティアリスが描いてくれた駅員の絵。


その絵が

俺をじっと見ていた。




俺は静かに呟いた。


「俺の人生に意味なんてあるのか」


これは三年前

ここで呟いた言葉。


そして

俺は自分に答えた。


「ある」


声に出して言った。


「ある」


もう一度言った。


俺は線路の向こうの朝焼けを見た。

東の空が

少しずつ

青く染まり始めていた。




通勤客が増えてくる時刻。


俺は駅の改札を抜けて家路に着こうとしていた。


その時。


「あら高架君じゃない」


足を止めた。


元婚約者だった女が

夫の乾と立っていた。


二人とも

スーツ姿。

朝の通勤らしい。




「お疲れさん」


乾がにやりと笑った。


「相変わらず歯車男だな。夜勤明け眠そうだぜ」


歯車男。


俺は深く息を吸った。


そして

微笑んだ。


「ええ、歯車です」


乾の眉がぴくりと動いた。


「歯車があるから世界は回ってます。皆さんの通勤も俺たち歯車が支えてます」


俺は静かに続けた。


「乾さんあなたの会社の取締役会議今日も予定通り行われますよね。午前九時から。東京駅着八時四十二分。乾さんが乗ってきた電車は昨夜俺たちが管理した運行の上を走っています。俺たちが歯車を回しているからあなたは取締役会議に間に合うんです」


乾の顔が硬直した。


元婚約者だった女が

俺の言葉に小さく息を呑んだ。


「あなた」


彼女は俺を見て

やがて夫の方を見上げた。


夫の目線が定まらない。

反論の言葉が出てこない。


通行人の一人が振り向き

小声で囁いた。


「あの方鉄道員なのね。ちょっと格好いいわ」


別の通行人もうんうんと頷いた。


「うちのお父さん夜勤の鉄道員でね。あの方の言う通りよ」


乾は何も言えなかった。




俺は会釈をした。


「ではお先に失礼します」


俺は二人の横をすり抜けて

改札を通り抜けた。


ホームに向かう。


階段の途中

俺は一度だけ振り返った。


元婚約者だった女が

夫の小さな背中を見つめて

何かを言いかけて

やめた。


夫は俯いていた。


俺は深く息を吐き

階段を上がった。




ホームでは通勤客がぎっしりだった。


サラリーマン

学生

若い母親と幼児

出張帰りの営業マン。


俺は彼らをぐるりと見た。


彼らは

俺たち歯車が支えている人々。


俺は誰も知らない。

誰も俺を知らない。


しかし

俺は彼らの生活を支えている。


その事実だけで

今朝は胸が熱かった。


電車が定刻通り到着した。


俺はドアの脇に立ち

顔を上げて空を見た。


東の空が

すっかり青く染まっていた。




数日後の夜勤明け。


俺は指令所の朝礼で

ささやかな表彰を受けた。


主任が皆の前で発表した。


「先月の人身事故対応において高架君が組み立てた運転整理計画は業界誌の研究対象になった。本社の運転部から模範事例として全国共有される」


俺は皆の前で礼をした。


同僚たちが拍手をした。


後輩が涙ぐんでいた。


「主任。の言ってた通り高架さんは本当に凄い人だったんですね」


俺は気恥ずかしく笑った。




休憩室で

ベテランの指令補が俺の隣に座った。


「高架お前のこと本社の人間から問い合わせがあった」


「俺ですか」


「うん。来年度から人事関連で動きがあるらしい。お前の指導法を全社的に展開したいと」


指令補は目を細めた。


「お前のやり方は地味だ。派手な提案でもなければ新しい技術でもない。指差喚呼を徹底し業務手帳を丁寧に書く。それだけ」


「それしかできないので」


「だがそれが一番効くんだ。お前のチームから人身事故時の二次災害がゼロになった。これは数字が示してる」


指令補は俺の肩を叩いた。


「お前は鉄道屋の中の鉄道屋だよ」




帰り道。


俺はまた古い踏切に寄った。


警報機が鳴る。

朝の貨物列車。


俺は黙って列車を見送った。


その時

踏切の向こうに

人影が見えた。


スーツ姿の男。


乾だった。


スマートフォンを耳に当て

何か早口で話している。


声が漏れ聞こえてきた。


「だから、それは無理だって言ったでしょう。社長本気で異動させるんですか」


「俺の家族はどうなるんですかあの土地は妻の実家がある場所なんですよ」


乾は通話を切り

深く溜息をついた。


それから踏切越しに俺に気付いた。


一瞬

彼の顔が硬直した。




「お久しぶりです」


俺は会釈した。


乾は唾を飲み込み

ゆっくりと頭を下げた。


「ああ高架さん」


声に張りがなかった。


「実は、俺地方支社に異動になってさ」


「そうですか」


「ああ。役員からも外された。ちょっとな社内政治が」


乾は俯いた。


俺は黙っていた。


何を言うべきか

分からなかった。




しばらくの沈黙の後

乾が小さく口を開いた。


「あの時は悪かったな」


「何がですか」


「歯車男なんて呼んで」


俺は驚いた。


乾は俯いたまま続けた。


「最近気付いたんだ。俺の方が歯車じゃなかった。会社の都合で異動になり妻の不満を一身に受け子供に父親らしいことも何もできず。俺は代えの利く人材としてただ使われていただけだった。そして役員レースに敗れた瞬間ぽいと捨てられた」


乾の声は震えていた。


「お前はお前は違うよな。お前は自分の仕事に誇りを持ってる。俺にはそれが羨ましかった」




俺は乾の顔をじっと見た。


三年前

俺を嘲笑していた男。

今は俯いて目を逸らしている男。


しかし

不思議と

復讐の感情は湧かなかった。


俺の中にあったのは

ただ静かな

他人事のような感情だった。


「お疲れ様です」


俺は短く言った。


「お互いにそれぞれの場所で頑張りましょう」


乾は驚いた顔をした。


そして

深く頭を下げた。


「ありがとう」




通行人の一人が

俺たちのやり取りを見ていた。


近くを通り過ぎる時

小声で言ったのが耳に入った。


「あの鉄道員の人品があるな」


別の通行人が頷いた。


「ああいう人が本当の社会人なんだろうな」


俺は何も言わず

踏切の警報機が止むのを待ち

向こうへ歩いていった。




自宅に帰り

俺はテレビをつけた。


朝のニュース。


「鉄道輸送の安全意識向上について業界全体の取り組みが進む」


俺はちらりとそれを聞き

テレビを消した。


業界用語に

スジという言葉がある。


ダイヤを引く時に

列車の動きを示す斜めの線のこと。


そのスジを引くのは

俺たち指令員の仕事。


俺は今日も

明日も

スジを引き続ける。


それが俺の人生だ。




窓を開けた。


朝の冷たい空気が部屋に入ってきた。


遠くで通勤の電車が走っている音がした。


俺はベッドに横になり

小さく呟いた。


「定刻通過 よし」


そして

静かに目を閉じた。

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