第十三章 完全なる喪失
廃駅の片隅。
俺は崩れたベンチに腰を下ろし
両手で顔を覆っていた。
膝の上に置かれた業務手帳は
半分焦げて
ページが破れていた。
クロノ・エクスプレス号は失った。
鉄路の主要部分は破壊された。
仲間たちは深手を負った。
そして
ティアリスが
静かに儀式の準備を始めていた。
「真也さん」
ティアリスが俺の前に立った。
血の滲んだ祭服。
青白い顔。
しかし瞳は澄んでいた。
「私が始原のダイヤを起動します」
「ティアリス」
「もうこれしか道がありません」
俺は立ち上がり彼女の肩を掴んだ。
「他に道がある必ずある」
「ありません」
ティアリスは静かに俺の手をそっと外した。
「真也さん。あなたは私を助けようとしてくれました。それだけで充分です。これ以上苦しまないでください」
ティアリスは廃駅の祭壇跡へ歩いていった。
巫女見習いたちが集まり
祭壇の前で祈りを捧げ始めた。
魔石の光が部屋の中心に集まっていく。
俺は止めようとした。
しかし
ガルドが俺の肩を掴んだ。
「兄ちゃん。止めてやれ止められるなら」
「ガルドさん。俺は」
「だが止められないなら彼女の覚悟を尊重しろ」
俺は震える手で業務手帳を取り出した。
破れたページ。
焦げた紙。
その中に
俺は答えを探さねばならなかった。
俺は廃駅の外へ出た。
冷たい風が吹く。
夜が来る。
月が三つ
すべて欠けて
細い線になっていた。
俺は線路の上に座り込んだ。
何もできない。
何も思いつかない。
俺は
ただの歯車だ。
歯車は
動くしかない。
考えるのは設計図の仕事だ。
俺の頭には
始原のダイヤがある。
俺の手には
業務手帳がある。
しかし
それでも
ティアリスを救う道が見えない。
「何のために俺はここに来たんだ」
俺は呟いた。
返事はない。
俺は業務手帳のページをめくった。
セルヴァンでの試運転。
ヴァランツへの初運行。
王都の宴。
そして
日本で書いたメモ。
人身事故対応の運転整理。
深夜のダイヤ修正。
何度も繰り返してきた手順。
指差喚呼。
フェイルセーフ。
運転整理。
フェイルセーフ。
俺は手を止めた。
フェイルセーフ。
故障した時に
安全側に倒れる設計。
機関車のブレーキは
故障すると自動的に制動がかかる。
信号機は
故障すると赤を表示する。
俺たち鉄道屋は
最悪の事態を前提に
安全側に倒れる仕組みを作ってきた。
俺は息を止めた。
古代王国のダイヤ起動儀式。
あれが巫女の命を要したのは
原理が分かっていなかったからではないか。
機械が故障した時
それを命でカバーしていた。
しかし
本来は
ダイヤ自体を正しく引けば
命を犠牲にせずに済むのではないか。
俺は急いで業務手帳に書きつけた。
始原のダイヤは
大陸全土の運行を制御する図表。
古代人はこれを巫女の命で起動した。
しかし
本質はダイヤそのもの。
ダイヤが正しく完結していれば
祭儀的な犠牲は不要。
つまり
俺がダイヤを完璧に組み直せば
ティアリスは死ななくていい。
俺は弾かれたように立ち上がった。
廃駅へ駆け戻る。
ティアリスは祭壇の前で
最後の祈りを始めようとしていた。
「待ってくれ」
俺は叫んだ。
ティアリスが振り向いた。
「真也さん」
「お前を死なせない方法を見つけた」
俺は業務手帳を彼女の前に開いた。
「フェイルセーフだ。古代人は分からなかったが俺なら分かる。ダイヤを完璧に組み直す。そうすればお前の命は要らない」
ティアリスは紙を凝視した。
そして俺の目を見上げた。
「本当に本当ですか」
「本当だ」
ティアリスの瞳に
涙が浮かんだ。
「真也さん」
「立ち上がれ。俺たちは戦う」
ガルドが俺の背を強く叩いた。
「兄ちゃん。お前やっと指令員らしくなったのう」
「指令員らしくとは」
「最悪を覆す。それが指令の仕事じゃろ」
俺は微笑んだ。
カイレンも痛みを堪えて立ち上がった。
「あたしも動ける。商業ギルドの連絡網は生きてる。仲間を集めよう」
俺は深く頷いた。
廃駅の片隅。
完全な喪失の只中で
俺たちは新しいダイヤを引き始めた。
その夜
俺は廃駅の外に出て一人になった。
冷たい風が頬を撫でる。
俺は線路の上に座り
業務手帳を開いた。
フェイルセーフ。
故障した時に安全側に倒れる設計。
俺たち日本の鉄道屋は
この思想を血肉のように染み込ませている。
機械は壊れる。
人は間違える。
だからこそ
最悪が起きても被害を最小限にする仕組みを
あらかじめ組み込む。
ブレーキは
故障すると自動的に制動がかかる。
信号機は
故障すると赤を表示する。
列車間隔は
車両間隔が縮まると自動的に減速する。
地味で
当たり前で
誰も気付かない仕組み。
それが何百万人の命を守ってきた。
俺は星空を見上げた。
二つの月。
三つ目の月は薄く欠けていたが
もし中央指令所を起動できれば
ゆっくりと元の輪郭を取り戻すかもしれない。
そう信じたかった。
「世界の歯車もフェイルセーフが要るな」
俺は呟いた。
巫女の命を犠牲にする
という古代の儀式は
原理を理解できなかった時代の代替手段だった。
しかし俺たちは違う。
俺たちは
壊れる前提で
仕組みを組み立てる側だ。
それなら
ティアリスの命など
要らないはずだ。
廃駅の方から
ティアリスが歩いてきた。
「真也さん。ここでしたか」
「ああ」
ティアリスは俺の隣に座った。
「何を考えていたんですか」
「お前を死なせない方法」
ティアリスはふっと笑った。
「真也さん。そればかりですね」
「悪いか」
「悪くないです」
ティアリスは膝を抱えた。
「ただ私は嬉しいんです。こんなにも誰かが私の命を心配してくれる」
二人で星空を見上げた。
しばらく沈黙が流れた。
風が線路の上を抜けていった。
「真也さん」
「ん」
「あなたの世界の鉄道員は皆こんなに優しいですか」
俺は少し笑った。
「皆っていうかなほとんどの鉄道員は自分のことを優しいなんて思ってない。ただ仕事だからやってる。お客さんを安全に運ぶ。それだけだ」
「でも、ただの仕事とあなたのような仕事は違います」
「同じだよ」
俺はゆっくり首を振った。
「俺の仲間皆同じだ。誰かが踏切で立ち往生したら全員でなんとかしようとする。ダイヤが乱れたら徹夜してでも復旧させる。そういう仕事をする連中だ。俺だけが特別じゃない」
ティアリスは静かに頷いた。
「素敵な世界ですね」
「素敵ってほどでもない。ただ真面目な人間が多い世界だ」
ティアリスは微笑んだ。
「私もそういう人間でありたいです」
「もうお前はそうだ」
俺は静かに答えた。
「お前は死ぬまで世界のために生きると決めた人間だ。俺なんかよりずっと真面目だよ」
ティアリスは目を伏せ
そして俺の手にそっと触れた。
冷たい手だった。
しかし
触れた瞬間
じわりと温かくなった気がした。
廃駅の方からカイレンが呼んでいた。
「真也作戦会議の続きやろう」
俺は立ち上がり
ティアリスに手を差し伸べた。
ティアリスは俺の手を取り
ゆっくりと立ち上がった。
「行きましょう」
「ああ」
俺たちは廃駅へ戻った。
その背後で
線路の継ぎ目が
微かに光を放っていた気がした。




