第十一章 忍び寄る悪者 線路は折れる 第十二章 闇のダイヤ
王都に来てから三日目の深夜。
俺は客間の寝台で
鋭い音に目を覚ました。
硝子の割れる音。
俺は反射的に身を起こした。
隣の部屋。
ティアリスの部屋だった。
俺は廊下に飛び出した。
ティアリスの部屋の扉を蹴破る。
中で
黒い長衣の男が三人。
寝台の上にティアリスが倒れている。
祭服が裂け
彼女の腕から血が滴っていた。
「お前ら」
俺は怒鳴った。
刺客の一人が振り向き
短剣を投げてきた。
俺は咄嗟に身を屈め
壁にぶつかった。
別の刺客がティアリスの首に手をかけた。
俺は手近な椅子を掴み
渾身の力で振り回した。
刺客の脇腹に椅子が叩き込まれる。
男が呻いた。
俺はティアリスを抱きかかえ
反対側の扉から逃げた。
廊下に転がるように飛び出した。
近衛兵がようやく駆けつけた。
刺客たちは硝子窓から飛び降りて姿を消した。
俺はティアリスを抱えたまま
中央広場の方向へ駆け出した。
途中
カイレンとガルドが俺に追いついた。
「真也何があったの」
「逃げるぞ全員」
「逃げるってここ王城だよ」
「敵は王城の中にいる」
カイレンの顔が強張った。
「ふざけてない」
「ふざけられるか」
俺たちは王城の南翼から
かつての王宮鉄道専用通路へ走り込んだ。
廃線になった通路。
ガルドが事前に確認しておいてくれた退路だった。
通路の終わりに
クロノ・エクスプレス号を待機させていた。
俺たちが乗り込み
俺はマスコンを握った。
「動力よしブレーキよし出発進行」
機関車は静かに動き出した。
王都の地下を抜け
旧外環線へ抜ける。
ティアリスは応急処置を受け
カイレンの膝の上で目を閉じていた。
「腕の傷は深いけど動脈は外れてる」
カイレンが囁いた。
「あんた無茶やったね真也」
「無茶じゃない。仕事だ」
俺は前を見据えたまま答えた。
「指令員の仕事は最悪に備えることだ。俺は最悪に備えていた。それだけだ」
ガルドが大きな手で俺の肩を叩いた。
「兄ちゃん。お前肩に力が入りすぎとる」
「ガルドさん」
「ワシらは仲間じゃろう。全部一人で背負うな」
俺は黙った。
ガルドの手の重みが
じわりと染み込んでくる。
俺は今まで
仕事を一人で抱えてきた。
チームで動いていたつもりでも
実際には誰にも頼ってこなかった。
そのことに
俺はようやく気付いた。
機関車は王都郊外の旧駅で停止した。
俺たちは情報を整理した。
教会は王国の中枢と組んでいる。
ティアリスは儀式での命の犠牲を覚悟している。
そして俺は処分予定。
カイレンが地図を広げた。
「教会の本拠地はここ霊峰サンチェスの中腹」
「枢機卿カスティラの居城か」
「うん。そこに始原のダイヤの中央指令所跡があるって伝承」
俺は地図を凝視した。
「カスティラ。を潰さない限り俺たちは安全にダイヤを完成できない」
ガルドが顎髭を引いた。
「兄ちゃん。それは戦争じゃぞ」
「戦争じゃない。運転整理だ」
俺は静かに答えた。
「鉄路の運行を乱す者を排除しダイヤを正常化する。それが指令員の仕事だ」
しかし
俺たちが議論している間にも
情勢は悪化していた。
王都に教会軍が入り
カスティラ自らが王宮を制圧していたのだ。
国王は教会の傀儡と化し
王国軍の指揮権をカスティラが掌握した。
そして
鉄路の破壊工作が始まった。
セルヴァンの線路に爆破装置。
ガルドの工房は襲撃で全焼。
ヴァランツ駅は教会軍が占拠。
そしてクロノ・エクスプレス号の試作機関車二号機が破壊された。
「これは正面からは勝てないよ」
カイレンが青ざめた。
「教会軍は王国軍と合体してる。あたしらは四人」
「四人じゃない」
俺は地図に指を差した。
「セルヴァンの旧家ヴァランツの住民工房の弟子そして鉄路を運用したことで利益を得た商人たち。俺たちには歯車が大勢ある」
ガルドが目を上げた。
「歯車のう」
「ガルドさん。あなたの工房の弟子たちは俺の指令に従って完璧な整備をした。カイレンお前の部下は契約をまとめ物流ルートを作った。俺たちは皆歯車だ。歯車は一人じゃ何もできない。でも揃えば世界を回す」
ティアリスが薄く目を開けた。
「真也さん」
「ああ」
「あなたは変わりましたね」
「変わってない」
「いえ、変わりました。初めて会った時のあなたは歯車という言葉に傷ついた顔をしていました」
俺はティアリスの手を握った。
「変わったとしたらお前のおかげだ」
しばらくの沈黙の後
カイレンが立ち上がった。
「真也ガルドあたしの父さんの話していい」
俺たちは顔を上げた。
カイレンは少し恥ずかしそうに頬を掻いた。
「あたしの父さんは昔小さな商隊の隊長だったんだ。夜越え山脈で死んだ。あたしが八歳の時」
俺は黙って聞いていた。
「父さんは死ぬ前あたしに言った。『カイレンお前は商人になるな。危ない仕事だ』でもあたしは商人になった。それが父さんの仕事だったから」
カイレンは目を伏せた。
「あたしずっと父さんの仕事を否定する人間にだけはなりたくないって思ってた。だから鉄路だって最初は信じられなかった。父さんは馬車で命を落とした。その馬車の代わりに鉄路なんて父さんの仕事を否定するみたいで」
「カイレン」
俺は静かに呼んだ。
「でも、ね真也」
カイレンは顔を上げた。
「あんたが言ってくれた言葉覚えてる。歯車にだって役割はあるって。馬車で運んできた父さんも鉄路で運ぶあたしらも同じ歯車なんだって。ようやく父さんを誇りに思える気がした」
俺は何も言わなかった。
ガルドが顎髭を撫でた。
「カイレン。お前の親父さん今は天の上から喜んどるじゃろう」
カイレンは目元を擦った。
廃駅の隅で
俺は業務手帳を開いた。
新しいページに
俺は仲間一人一人の名前を書いた。
ティアリス。
カイレン。
ガルド。
セルヴァンの老機関士たち。
工房の弟子たち。
商業ギルドの連絡係。
そして
すでに鉄路を支えてくれた
ヴァランツの町長
セルヴァン伯
そしてその家族たち。
俺たちのダイヤを支える歯車は
こんなにも多い。
俺は手帳の余白に
こう書いた。
『歯車は美しい歯車があるから世界は回る』
ティアリスの言葉を
そのまま書き写した。
夜が更けた。
仲間たちは廃駅の片隅で
それぞれ仮眠を取った。
俺は焚き火の前で
夜空を見上げた。
二つの月。
そして
新たに欠けかけた三つ目の月。
世界は今
急速に壊れようとしている。
俺たちは
それを止める最後の砦だった。
「真也」
ガルドが俺の隣に座った。
「眠れんのか」
「ガルドさん。も」
「年寄りは眠りが浅くてのう」
ガルドは焚き火を見つめた。
「兄ちゃん。ワシなお前と出会えてよかった」
「ガルドさん」
「親父の遺してくれた手帳何度開いても動かない機械の図面ばかりじゃった。ワシは諦めて鍛冶屋になった。でもお前が来て親父の図面が現実になった。これはワシら親子の夢じゃ」
俺はガルドの顔を見つめた。
ドワーフの老人の頬に
焚き火が反射して
涙が光っていた。
「ガルドさん。俺たち最後まで戦いましょう」
「おう」
ガルドは鼻を啜って
深く頷いた。
第十二章 闇のダイヤ
俺たちは反撃の準備を進めた。
ガルドが残った弟子を集め
セルヴァン旧分岐駅を防衛拠点にした。
カイレンは商業ギルドのネットワークを使って
教会軍の動きを逐一把握。
ティアリスは王都で守られていた巫女見習いたちを呼び寄せた。
俺は業務手帳に
無数のダイヤを引いた。
昼間
クロノ・エクスプレス号を主力に
教会軍が制圧した駅を一つずつ取り戻す作戦。
夜は
裂世の災厄を逆利用する作戦。
裂世は時間の歪み。
俺たちは鉄路で歪みを整流する側。
教会軍は鉄路を持たない側。
裂世の中で動けるのは
俺たちだけだった。
数週間にわたって
俺たちは小さな勝利を積み重ねた。
セルヴァン領は完全に解放。
夜越え山脈以南の鉄路網は再稼働。
ヴァランツも教会軍を撃退。
しかし
王都はまだ教会の手中にあった。
そして
王都の周辺で
裂世の災厄が急速に加速していた。
「真也」
カイレンが俺の元へ駆け込んできた。
「王都北の城壁半分が消失したって」
俺は息を呑んだ。
裂世の災厄が
ついに王都を侵食し始めた。
「カスティラ。だ」
ティアリスが呟いた。
「あの男は災厄を加速させる呪術を行使しています。意図的に世界を壊し聖戦を起こすつもりです」
「壊して何が得られるんだ」
「教会の権威の絶対化です。災厄を救えるのは教会だけだと示すために彼らはまず災厄を大きくする」
俺は怒りで手が震えた。
「自作自演じゃないか」
「彼らはそれを正義と信じています」
俺たちはクロノ・エクスプレス号で
王都へ進撃した。
セルヴァンから精鋭の機関士団三人。
ヴァランツから救援部隊。
旧分岐駅の弟子たち。
総勢三十名にも満たない小集団だった。
しかし
線路がある限り
俺たちは王都の中心まで一気に駆け抜けられる。
王都の外環線に到達した時
俺たちは異変を見た。
王都の北側
かつての貴族街があった一帯。
そこが
ただの霧になっていた。
家も
道も
住人も。
全てが時間の歪みに飲まれて消失していた。
「酷い」
カイレンが口を覆った。
「これはもう天災じゃない」
「人災だ」
俺は冷たく言った。
「裂世の災厄は時間の歪みが原因。鉄路を破壊しダイヤを乱したのは教会軍。つまりこれは教会の責任だ」
俺たちは王都中央駅跡に進入した。
そこで
俺たちは初めて
カスティラ枢機卿と対峙した。
枢機卿カスティラは
赤と金の祭服を纏った長身の男だった。
四十代後半。
青白い顔。
冷たい瞳。
中央駅跡のホームに
側近を従えて立っていた。
「異端者タカギ・シンヤ」
カスティラの声は氷のように冷たい。
「貴様のような無名の歯車に世界の運命を回せると本気で思っているのか」
歯車。
俺は息が止まりそうになった。
その言葉。
俺はそれを別の場所で
別の男から聞いた。
乾。
三年前
俺を捨てた女の今の夫。
俺を「歯車男」と嘲笑した男。
俺は無言で枢機卿を見つめた。
カスティラは続けた。
「歯車は替えが利く。壊れたら捨てる。それが歯車の宿命だ。貴様は便利な道具に過ぎん。だが我々の計画を邪魔する道具は壊さねばならぬ」
俺は深呼吸した。
胸の奥で
何かが熱くなっていた。
俺は静かに言った。
「俺たちは毎日その歯車で何百万人の人生を支えてきた」
カスティラが微かに眉を上げた。
「定刻通り列車を走らせる。誰も気付かないほど当たり前に。たった一秒の遅れが誰かの面接を台無しにする。たった一本の運休が誰かの結婚式に間に合わない。俺たちは目立たない歯車だ。だが歯車を失えば世界は止まる」
カスティラは小さく笑った。
「ご立派な言葉だな歯車君。だが現実を見るがいい。王都北は消失した。鉄路の半分は破壊された。そして貴様は今我が軍に包囲されている」
俺は周囲を見回した。
中央駅跡のホームの裏側から
教会軍の重装兵が湧き出してきた。
百
二百
三百。
数の差は絶望的だった。
俺は業務手帳をぎゅっと握った。
「カイレン。ガルドティアリス撤退」
俺は冷静に命じた。
「クロノ・エクスプレス号で旧分岐駅へ退避。ここは俺が時間を稼ぐ」
「真也」
カイレンが叫んだ。
「あんた残るのかよ」
「俺は指令員だ。撤退ダイヤを最後まで管理する。それが俺の仕事だ」
ガルドが俺の襟元を掴んだ。
「お前ここで死ぬ気か」
「死なない。撤退の合図を送ったら俺も走る」
「嘘つくな」
「嘘じゃない」
俺はガルドの目を真っ直ぐ見た。
「ガルドさん。俺はティアリスを死なせない。そのために俺も死ねない」
ガルドは唸った。
そして強く頷いた。
「分かった。お前を信じる」
ティアリスが俺の前に立った。
涙が頬を伝っている。
「真也さん。私の命で始原のダイヤを起動できます。それで全部解決できます」
「駄目だ」
俺はきっぱりと言った。
「お前の命でダイヤを起動するなんて古代人が原理を理解していなかった解決法だ。俺ならもっといい方法を考える。だから今日は逃げる。明日のために」
俺たちは撤退を始めた。
教会軍が押し寄せる。
俺はホームの中央で踏みとどまり
業務手帳に書き付けた撤退ダイヤを声に出した。
「クロノ・エクスプレス号 退避線通過 よし」
「外環線分岐 南進 よし」
「旧分岐駅 到着 よし」
合図ごとに
仲間たちが計画通りに動いていく。
最後の合図を送り終えた瞬間
俺は身を翻した。
カスティラが背後で吠えた。
「歯車には世界は救えん」
俺は走りながら振り向き
冷たい笑みを返した。
「歯車を侮るな」
俺はクロノ・エクスプレス号の最後尾に飛び乗った。
機関車は王都中央駅跡を発車した。
しかし
裂世の災厄がついに
王都中心部に到達した。
ホームの石畳が霧と化す。
線路の継ぎ目が消える。
車輪が
レールではない何かに乗り上げる。
機関車は脱線した。
俺は床に叩きつけられ
意識が遠のいた。
目が覚めた時
俺は廃駅の片隅に倒れていた。
ガルドが意識を失って横たわっている。
カイレンは血を流して動けない。
ティアリスは
俺の側で泣いている。
そして遠くで
クロノ・エクスプレス号が
真っ二つに折れていた。
王都の主要鉄路は
完全に破壊された。
俺たちは
完全な喪失の入り口に
立っていた。




