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ララウィンは実は、暗記が苦手だ。できないわけではないが、実技と比べると格段に見劣りする。
つまり主席でありながら、ララウィンは筆記テストに苦手意識があるのだ。
入試には、産まれてからの14年間すべてを費やした。ほかのだれより早熟で、文字通り命がけだったからこそ、主席の座を獲得できたと思っている。
ただし、次年度の主席はそうもいかない。早熟ゆえのアドバンテージは、歳月を重ねれば重ねるほど薄れていく。少しでも気を抜けば、うしろを走る者に追いつかれてしまうだろう。
正直、主席にこだわりがあるわけではなかった。ララウィンが勉強をがんばった理由は、優秀であろう王太子と同じクラスになるためだ。
思いがけず主席になったあとは、存外その称号を気に入ってしまいはしたが、必要性という観点から見るのなら、来年度もゴールドクラスに入れれば首席でなくとも問題はない。——問題はないはずだった。
オルカル・グルム。彼の存在が、ララウィンを焦らせる。嫌いではないが、厄介な人物だ。
オルカルの言動を見れば、ララウィンへの好感度が成績由来だというのは一目瞭然だ。となれば当然、オルカルより下の順位をとれば、オルカルの好感度は下がるということになるだろう。
オルカルは次席。彼の上を行くためには、再び主席を掴み獲らねばならない。
そんなわけでララウィンは、まだ一年の四分の一しか経過していないというのに、学年末試験に向けて戦々恐々と猛勉強をしているのである。
『いざとなったら、試験中でもオレが答えを教えてやるのに』
放課後、居残ってまで図書室でペンを動かしていたララウィンは手を止めた。
四人掛けのテーブルの上に、ちょこんとぬいぐるみ姿のムードが座っている。同じ席にほかの生徒はいない。
三つ離れたテーブルでは、四人グループがこそこそくすくすと雑談に興じているようだった。こちらを注目している人間は見当たらない。
ララウィンは、ほとんど吐息に近い声で囁いた。
「本当に答えを聞いたりしたら、絶対バカにしてくるくせに」
『そんなわけないだろう。目的達成のためには、お前に首席でいてもらわなくちゃ困る。頭を垂れて泣きながら懇願してくれれば、寛大なオレ様は優しく丁寧に教えてやるさ』
「イヤ。そんなことするくらいなら、ムードのかわいい耳を引きちぎって、教えてくれなきゃ次は尻尾の番って脅してやるから」
ぴょいん、とムードが小さく跳ねた。
思わず口角をあげれば、拗ねたように『うるさい。そんなのこわくない』と言われる。ぬいぐるみの見た目をしているせいか、時々本当にムードがかわいらしく見えてしまうから困る。
なんとなくこの心情もムードに伝わってしまっているんだろうなと感じつつ、ララウィンは「それに」と続けた。
「そんな付け焼き刃じゃ、きっと周りに怪しまれるわ。教師にあてられても答えられなかったり、抜き打ちの小テストでひどい点数をとったり。もしカンニングもどきがバレれば、オルカルに嫌われるどころじゃな——」
『黙れ、ララウィン』
随分な物言いに、ララウィンは片眉をあげる。
しかし、ムードの意図はすぐにわかった。
「やあ。相席いいかな?」
にこやかな笑みを浮かべた男子生徒が、いつの間にか近くに来ていた。
柔らかそうな茶髪。切れ長の目。顔立ちは強面ぎみで、笑顔でなければ少しこわそうな、厳しそうな印象を受けていたことだろう。
ローブの裾はゴールドライン。ネクタイは彼の瞳とおそろいの緑——二年生だ。
ララウィンはぎゅっと口を閉じて、ペン先に視線を落とす。
初対面で間違いない。だというのに、いくつもある空席には目もくれず、ララウィンに相席を求めている。
——怪しい。うさんくさい。
こういった手合いには、関わらないに限る。
「あーっと……警戒してる? 一応、図書室では何回もすれ違ってたんだけどな」
そう言いながら、男は勝手に対面へと腰を下ろしてしまった。
——最悪だ。
ララウィンは男を睨む。念のため、テーブルの上のムードを引き寄せて、膝に乗せた。
「俺のこと知らない? これでも学校内では有名人のつもりなんだけど」
『……ん? こいつ——』
予想外なことに、ムードが反応した。ララウィンはそっと顔を伏せて、ムードの様子をうかがう。
「キミもそうだろ? 俺と同じ主席なんだから」
『攻略対象者だ』
「えっ」
ララウィンは思わず目を丸くして、男の顔を凝視した。
男はにんまりと口角をあげる。
「よしよし、興味は引けたみたいだな。はじめまして、お嬢さん。俺はジージャ・キュエリア。二年の主席にして、三年の主席をも凌ぐ、この学校のトップだ」
随分とおもしろい自己紹介である。
その自己評価が過大でないことを祈るばかりだが——ともかく、攻略対象者だというのなら、挨拶を返さないわけにもいかない。
「ララウィン・アートブレスです。よろしくお願いします」
「へえ。いまので怒らないんだな。『わたしを差し置いてトップを名乗るなんて烏滸がましい』くらい言われると思った」
「……わたし、そんなイメージ?」
ララウィンが眉を寄せて首を傾げると、ジージャは「くくっ」と喉の奥で笑った。
「異性だろうが親戚だろうが、教師が見てようがなんだろうがお構いなしで、逆らうやつには下手すると致死レベルの魔術をぶっ放す、天使みたいに可憐な見た目の悪辣美少女。ついでに将来有望な一年坊主は、全員その美少女の下僕。俺らの学年じゃ、そんなイメージかな」
『おい。まさか王太子にまで行き渡ってないだろうな、そのイメージ』
「ふ、風評被害……! そのイメージを広めた人こそ悪辣だわ!」
恐らく、中庭であった親戚とのいざこざに、尾ひれがつきまくった結果なのだろう。しかしそれにしたって、なかなかひどい噂ができあがっていて、ララウィンは愕然とする。
どうりで最近、他クラスの生徒と合同授業で関わるときも、遠巻きにされていると思った。噂に敏いモルモやセストセールは、絶対に知っていたはずだ。教えてくれればよかったのに。
「まあ主席ってのは、どうしても妬まれるからな。悪意を持って広められたってのも事実なんだろうが……」
頬杖をついたジージャが、ララウィンを見つめる。その目には、些細な動きすら見逃すまいとしているかのような鋭さがあった。
「あのとき、俺もあそこいたんだよ。——殺すつもりだったよな?」
心臓が思いきり跳ねたのを、誤魔化せただろうか。
ララウィンはとっさに唇を尖らせ、拗ねたような表情を作った。
「殺そうとなんてしてなかったもの……」
「ふーん? でも、あのまま続けてたら死んでたと思うぞ」
「それは——」
『ララウィン、真実を混ぜた方がいい。こいつ、厄介だ』
ムードの助言を受け、ララウィンは一度口を閉ざす。
そしてひと呼吸おいてから、ジージャの目を見上げた。まるで、『悪いことをしたのは自覚しています』『怒らないでください』と言わんばかりに、恐る恐ると、だ。
「ど……どうすれば、もっと穏便に口を塞げたと思う……?」
ジージャがぱちくりと瞬いた。
ララウィンは畳みかけるように口を動かす。
「だ、だって、あの場にいたならわかるでしょう? あの人、うるさかったんだもの。黙らせようと思ったら……ああするのが手っ取り早くて…………その、ごめんなさい。先生にも見逃してもらえたことだから、あんまり言いふらさないでもらえると嬉しい、です……」
相手の出方を見るため、ララウィンはそこで一旦言葉を切る。
殺しそうになったのは事実。でも、殺そうとしたわけではなく、黙らせたかっただけ。あくまでも感情的になってしまい、使う魔術の方向性をほんの少し間違えただけ——そんなふうに伝われば最善だ。
ドキドキとララウィンの心臓が忙しなく鳴っている。心なしかムードも、ララウィンの膝の上で身を固くしているように感じた。
果たして、ジージャの反応は。
「うーん……。一歳しか違わないはずなのに、思ったより子どもっぽく見えるというか……小動物っぽいというか……。ちょっと弱みを握って、舐められないようにしたかっただけなんだけどな」
——どうやら、本気の殺意を抱いていたわけではないと錯覚させることには成功したらしい。
ひっそりと安堵の息をつきながら、ララウィンは会話を続ける。
「舐められないように……? わたしがそんなふうに思うと思ってたの?」
「ああ。だって、俺が三年主席のことを舐めてるからな。こういうのは、初対面の印象が大事だろ?」
にこやかな笑顔で、なかなかひどいことを言っている。会ったこともない三年生の首席が、少し可哀想に思えてしまった。
「それで、どうすればもっと穏便に口を塞げたか、だったか」
「え? ……あ、うん、そう。ジージャなら、どんな魔術を使った? 次があったときは怒られないような、オススメの魔術を教えてほしいの」
「そうだな。単純に声を奪う……生物魔術は難しいうえに失敗したときのリスクがデカいから、ケンカに使えば教師は間違いなく怒る。となれば、使うのは防護魔術だな。音だけを遮断する結界を、相手の周りに張ってやるんだ。防護魔術はどのくらい使える?」
本当にそんな穏便な魔術を教えてほしいわけではないが、『悪辣』なんてイメージを少しでも払拭するためには、この話題に乗る必要がある。
ララウィンは自慢げに見えるよう、胸を張って答えた。
「防護魔術は得意よ。魔術を防ぐための盾なら、ほとんどノータイムで展開できるもの。人を部屋に入れないようにする結界も、半日くらいなら持続させられる。……それ以外の防護系は、ほとんど使ったことがないけど」
「子どもっぽくても、やっぱ主席なだけはあるな。いまの時期の一年じゃ、まだ座学で触りしか教えてもらってないだろ」
——やけに子どもっぽいって言ってくるな、この人。
今度は演技ではなく、素で唇を尖らせてしまう。
しかしララウィンの小さな苛立ちは、すぐに消え失せることになる。
「音を遮断できると盗聴防止にも使える。覚えるとけっこう便利だぞ」
そう言いながら、鳥の羽根二枚が括りつけられた杖をジージャが振ると、本棚の向こうから一冊の本が滑るように飛んできた。
手のなかにすっぽりと収まった本を開き、「このページに——」と話を進めようとしたジージャに、ララウィンは身を乗り出して待ったをかける。
「い、いまのすごい……! どうやったの? ここから見えない位置にあった本よね? なんで置いてある場所がわかったの? 操作魔術だけじゃないでしょう?」
「おっとと、近い近い。音遮断よりも全然食いつきがいいじゃないか」
ジージャがのけ反ったことで、ララウィンは我に返る。
恥ずかしくなってほんのりと熱くなる頬を押さえながらイスに座り直せば、口を開けて心底楽しそうに笑われ、ララウィンの体温はさらにあがってしまう。
「なるほどな。試験前でもないのに必死こいて勉強してるからなにかと思えば、単純に魔術が好きなのか」
それは違う。ララウィンが必死に勉強するのは籠絡作戦を成功させるため——ひいては、己の命のためだ。……しかし、『勉強が苦ではない理由は』と問われれば、その答えはたしかに『魔術が好きだから』になるのだろう。
ジージャはララウィンがはしゃぐ様がツボに入ったのか、なかなか笑いを引っ込めようとしない。
「も、もういいでしょ。これ以上笑うなら、本当に『悪辣』になってやるんだから……」
「ふ……悪い悪い。いやあ、あんまりかわいかったから、つい……くくっ」
「あなただって、わたしと似たようなものなんじゃないの? 魔術が好きじゃないなら、主席になれるほど勉強する気にもならないでしょう」
そう言った途端、ジージャの笑い声がぴたりとやんだ。
思わず身構えるララウィンの前で、ジージャは目を伏せ、口の端だけで微笑みを作る。
「俺はそんなに純粋じゃないよ」
ジージャのその笑い方は、なぜだかララウィンの記憶に長く留まったのだった。




