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悪夢どころか、いい夢すらも見ないほどに深く眠っていたララウィンは、夕方になってからようやく目を覚ました。
時間帯的には、一日最後の授業をしているころだろうか。まだまだ眠れそうな気配はしたが、ぐう、と鳴くお腹を優先してあげたい気持ちの方が強い。
ララウィンが体を起こすと、ぬいぐるみ姿のムードが横に転がった。なにも反応がないことから、眠っているのだと思われる。
ムードは悪魔なので睡眠をとらずとも死にはしないが、暇を持て余してしまうせいか、ララウィンが寝ているとムードも寝ていることが多い。その際、同じベッドを使うことになるからだとは思うが、ムードは必ずぬいぐるみ姿で眠るのだ。
ララウィン的には、いまさら人型のムードと添い寝したところで、どうということもない。それを伝えたこともあるのだが、いまに至るまでご覧の通りだ。悪魔のくせに律儀なことである。
さて、たしかミッドミンがお菓子を置いたと言っていたはず。いま食べると夕食は入らなくなるかもしれないけれど、まあべつにいいだろう。
デスクの上を見れば、リボンの巻かれた袋が鎮座している。リボンは先の方がくるくるとしていて、かわいらしい。これもポーチに保管しておこう。
その袋を手に取ろうと、ララウィンは立ち上がる。それとほぼ同時に——トントン、と扉が叩かれた。
「はいっ」
少し驚いて裏返った声を発すると、「あ、起きてたか、よかった。ジージャだ。入っていいか?」と聞こえてきた。
「ジージャ? ……ちょっと待って」
ララウィンは急いで大きめのカーディガンを引っ張り出し、袖を通す。あまり意味はないかもしれないが、これで多少パジャマを隠すことはできただろう。
「ムード、ムード。ジージャが来たから起きて」
小声で言いながらムードを揺らせば、「……うるせえな」と非常に不機嫌な声が返ってきたものの、きちんと意識は覚醒したようだ。自らジャンプしてデスクに乗り、最初からそこに飾られていましたよ、と言わんばかりの格好をとってくれた。
「お待たせ。どうしたの?」
扉を開けて見上げたジージャは、ララウィンの顔を認めるなり、あからさまな安堵の息をついた。
「……本当にどうしたの? まだ授業中だと思ってたんだけど……」
「いや……いいや、なんでもない。授業は自習だから、気にするな」
「……自習……?」
なんだか嘘くさい。
しかしそれ以上の追及を受ける気はないようで、にこやかな笑みとともに箱をふたつ差し出された。
「見舞いと、それから主席おめでとうのプレゼントだ」
「え……」
ララウィンは目を丸くして箱を見る。
「発表されたのって、午前中なのに。お見舞いはともかく、おめでとうのプレゼントを用意するの、はやすぎない……?」
「キミが主席をとるのは確信してたからな。試験日程が終わってすぐに買った。小さいのが見舞い。ゼリー。大きいのが杖の手入れセット。おめでとう、ララウィン」
箱を渡されたララウィンは、思わず破顔してしまった。
「杖の……! これ、欲しかったの! ゼリーも、お腹が空いていたからちょうどよかった。本当にありがとう!」
「はははっ、そんなに喜んでもらえたなら、贈った甲斐があるよ」
ジージャの手がララウィンの頭に乗る。
ここ最近のジージャは、事あるごとにララウィンの頭を撫でてくる。繰り返されるうちに、だんだん慣れてきてしまっているのを、ララウィンは自覚していた。
慣れきってしまう前に、もっと強く拒絶するべきだろうか。……しかし、気恥ずかしいだけでそこまで嫌というわけでもないし、これもまた好感度稼ぎの一環と思えば、強い拒絶も気が引ける。
——いや、そんなことよりも。
もっと大事なことを確認しなければ、とララウィンは口を開いた。
「ジージャは? ジージャは試験、どうだったの?」
ジージャが唇の片端をあげる。
「ララウィンの予想は?」
「主席」
「当然だな」
どうやらジージャも主席を維持できたようだ。ララウィンほど追い詰められた様子もなく、しかも時折ララウィンの勉強をみてくれていたというのに、この結果。
うさんくさく感じることも多々あるが、尊敬すべき人物だ。才能があって、勤勉で、それでいて後輩の面倒をみる余裕も持っている。憧れるなという方が無理であろう。
「ねえ、ジージャ。わたしにも、なにか贈らせて。お祝いのプレゼント」
「おいおい、さすがにかわいい後輩から巻きあげるつもりはないぞ」
「でも、ジージャのおかげだもの。過去問とか、ほかにもいろいろ……たくさん助けてもらったから」
撫でられながら、ララウィンは思う。
ジージャのほかにララウィンを撫でるのは、ムードくらいだ。父親は撫でようとしてくることもあるけれど、それはララウィンが許していない。
きっと普通の家族がいれば——もう記憶も薄い、日本人のころのような家族がいれば、ララウィンの頭を撫でる人間はもっと多かったのだろう。
「ジージャって、お兄ちゃんみたい」
すとん、と。その瞬間、ジージャの顔から表情が抜け落ちた。
なんとなしに、とくに深い理由もなく呟いた言葉である。そんな反応をされるとは思わなくて、ララウィンは呆けてしまう。
ララウィンの頭から手が離れ、ジージャはふらふらと後退る。
「オレ……そろそろ教室に戻らないと」
「えっ……うん。またね。あの、本当にありがとう」
それに返事も返さず、ジージャは背を向けた。
去っていくうしろ姿は、心配が込み上げてくるものだったが、結局ララウィンは声をかけることもできずに扉を閉めてしまった。
「……わたし、なにか間違えた?」
ふたりきりになった途端、人型に戻ったムードが、「よくわからないが」と首を傾げる。
「恋愛的に狙ってる女から兄呼ばわりされたら、人間はショックを受けるものなんじゃないか」
「恋愛って……好感度は低くないと思うけど、まだそこまで想われてないでしょ。向こうだって、妹みたいな扱い方してくるじゃない。頭撫でたりとか」
「ふーん。女の頭を撫でるのは恋愛アピールとは違うんだな」
「……まあ、場合によってはそういうこともあるでしょうけど」
薄々気づいていたが、好感度を稼ぐ方針なわりに、ムードは恋愛相談相手に向いていない。なにせ、ムードもララウィンも、恋愛経験値ゼロなのだ。
時々こうして話してみても、いまいち納得のいく答えをもらえないことがある。その場合は、ゼロ同士だけで必死に悩んでも時間の無駄になることが多いので、一旦考えるをやめた方がいいと学んだ。
ララウィンは手にしていた箱ふたつをデスクに置き、大きい方を開封する。
一番有名な店のお手入れセットだ。早速、相棒である杖を持ち、広げた手順書を確認する。空腹感は、どこかにいってしまっていた。
「主席祝い、しなくてよくなったな」
「自分の? それはまたべつでしょ」
「もう満足してそうなくらい、はしゃいでるのにか? こっちの心も落ち着かないっていうのに」
「ムードはしたくないの? モルモのお金があるから、ケーキも買えるわよ」
「酒が飲みたい」
「もう! 無理ってわかってて言ってるでしょ!」
——ふたりとも、試験が終わって、無事に主席を守り切れて、気が抜けていた。
ララウィンの部屋の前。ノックをしようとした格好のまま固まっている人物。
「……ララウィン、だれと話して……?」
その気配にも、落とされた呟きにも、ララウィンとムードは一切気づくことができなかった。




