13
「……部屋に引き篭もるのって慣れているけど、あまり好きじゃないの。開けていて、静かで、でも人の気配を感じられる場所が好き」
セストセールが寮を見上げる。
消灯時間が近いとはいえ、カーテンの隙間から明かりが漏れている部屋はまだ多い。姿は見えずとも、窓の先に人がいる気配は十分に感じられる。セストセールもそう思ったようで、緩く頷いた。
「じゃあ、ここはピッタリだね」
「うん。あとは、図書室も広くて静かで好き。できるなら、閉館時間なんてなくなってくれればいいんだけど」
「ああ、ここの図書室は本当に広いよね。知っているかい? 閉館時間を過ぎた図書室には、そこで迷子になったまま餓死してしまった生徒のゴーストが出るって」
「えっ」
思わずララウィンが体をかたくすると、セストセールがくすくすと笑い声をあげた。どうやら冗談だったらしい。
魔術と悪魔が存在する世界に、ゴーストだけは存在しないなどとだれが信じ切れるだろうか。その手の冗談を笑い飛ばすことのできないララウィンは、セストセール相手であっても、「ゴーストの話はイヤ」と冷たく言い放つ。
「ふふふふっ、ごめんね。もうしないよ。……ララウィンはまだ部屋には戻らない?」
「ちゃんと消灯時間になったら戻るわ」
「そう。それまで私がここにいると、お邪魔になってしまうかな?」
ララウィンは目を見開いた。柔らかく細められた赤い瞳に見つめられ、顔が熱くなる。
少し速くなった胸の鼓動にそっと息をつき、ムードを一瞥してからララウィンは答えた。
「……ううん、話し相手になってくれるなら嬉しい」
ララウィンとセストセールは、畑を囲うレンガに並んで腰を下ろす。
一瞬、王太子をこんな場所に座らせていいのかと後悔したが、セストセールは気にした様子もなく、おもむろに自身のカーディガンを脱いだ。
「夜は涼しくなってきているからね。気をつけて」
そう言って手を伸ばしたセストセールは、なんとそのカーディガンをララウィンに羽織らせるではないか。
途端に、ララウィンの胸は異常をきたし、鼓動が速まるどころかキュンキュンと変な音を鳴らし始めた。……もちろん、幻聴ではあるのだろうが。
「え……あ……うぁ……」
『おい、しっかりしろ、ララウィン! 感情がめちゃくちゃにッ……これ以上、オレまでおかしくするな! 籠絡されるな!』
ぐわん、とムードの大声で脳が揺れる。気分は急降下してしまったが、おかげで冷静さを取り戻すこともできた。
「あ……ありがとう。その……でも、セスの方が体を冷やしそうだけど」
上着を脱いだセストセールは、首元にゆとりのあるトップス一枚しか着ていないように見える。夜風が簡単に服の下まで潜り込んでしまいそうで、気持ちが落ち着けば申し訳なさを感じてきた。
「私は先ほどまであちこち歩き回っていたからね。体が温まっているせいか、ちょうどいいくらいだよ」
「でも……あ、そうだ」
いいことを思いついたとララウィンは顔をあげ、杖を振るう。
「わっ」
驚くセストセールの体にカーディガンが巻きつく。
変形魔術と操作魔術——カーディガンを大きくして、ララウィンとセストセールをまとめて包み込ませたのだ。
「すごいね。いま、大きくするのと操作するの、二種類同時に魔術を使った?」
互いの距離がかなり近い。腕は触れあってしまっている。
夜風を防ぐという口実で、ボディタッチをする。我ながら、なかなかにいいアイデアじゃなかろうか、とララウィンは自画自賛する。恥ずかしさと照れくささでララウィンに少しダメージが入るのはご愛嬌だ。
さすがにこの至近距離でセストセールの顔を見つめることはできず、ララウィンは地面に視線を落として答える。
「うん、そう。安心して。帰る前には、ちゃんともとにもど————あっ」
ララウィンの視界に、カーディガンの裾が映る。
大きくしすぎたのだろう。畑の土の上にまで、裾が広がってしまっていた。
「ごっ、ごめんなさい……! これ、きっと王室御用達みたいなお洋服よね……!?」
明らかに高級品で、汚していい服じゃないし、弁償できそうな品でもない。ララウィンはかなり焦ったが、セストセールはのんびりと笑いをこぼした。
「ただの部屋着だよ。そんなに大層なものじゃないから、気にしないで。そのままでいいよ」
「き、気にしないでなんて、そんな……ええ……? だ、だって、絶対うそだもの……」
「あとで綺麗にしてくれれば、それで十分。土を払う程度の洗浄魔術、ララウィンなら使えるだろう?」
「それは、もちろんだけど……」
「ありがとう。実は私、ララウィンの魔術が好きなんだ。自信に満ちあふれていて力強くて……見ていて気持ちがいい」
『お、おお、落ち着け! 落ち着けララウィン! これは世辞だ! 落ち着け、だから落ち着けオレ……!』
褒められた喜びと動揺と好意と理性とムードの心が混ざりに混ざって、パンクしそうだった。
唇を噛みしめ、手のひらに爪を立て、いまにも止まりそうな呼吸を必死に繰り返し、不自然に十秒ほど間が空いたかもしれないが、なんとかララウィンは言葉を紡ぐ。
「セスの魔術こそ、繊細で緻密で……好きよ」
最後の言葉は、囁きよりも小さな声になってしまった。けれどこの近さなら、きっと聞こえているだろう。聞こえていてほしい。かなりの勇気と根性を振り絞って言ったのだから。
「ララウィンにそう言ってもらえるなんて……困ったな。予想以上に嬉しいものだね、これは」
セストセールはちょっぴり眉を下げ、それでも口元を緩ませて破顔している。いつもの穏やかな微笑みとはまた違う、少しかわいらしさのにじむ笑い方だ。
なんだかララウィンはたまらなくなって、つい禁断の質問を口にしてしまった。
「セスは好きな人、いる?」
セストセールの笑顔が引っ込み、目が丸くなる。その表情変化を見て、ララウィンはしまったと口を覆った。
『絶対にいま聞くタイミングじゃなかっただろ……!』
ぬいぐるみのムードは微動だにしていないが、頭を抱えている姿がララウィンの脳裏をよぎる。ララウィンも頭を抱えたかった。
「……たしか夕食のとき、似たような話題で盛り上がっていたね」
「き、聞いてたの?」
「聞くつもりはなかったけれど、聞こえてしまって。ごめんね」
「ううん……あれは、わたしたちも騒ぎすぎていたから……」
続けてララウィンは、「いまの質問は忘れて……」と呟いたが、どうやらセストセールの耳に届かなったか、無視をされたらしい。そのまま彼は「好きな人かぁ……」と話題を広げ始めた。
「立場上、あまりそういった感情は持たないようにしているんだ。万が一、持ったとしても、学生恋愛はしない」
「……え」
「私個人の話に収まらず、身分や家同士の派閥——さまざまな要因が絡み合って、下手をすると多くの人に迷惑をかけてしまうからね」
——あ、危なかった……! 告白する方向に舵を切らなくてよかった……!
ララウィンは心のうちで、盛大に安堵の息をついた。もしかすると、顔が少し青ざめていたかもしれない。
迂闊に告白して、断られて、気まずくなって距離ができてしまっていたら。その先の未来は、ララウィンとムードの死だ。
本当に本当に、危なかった。
「ララウィンはいるの? 好きな人」
『ごまかせ!』
すぐさまムードの声が飛んできた。
『まだ手に入らない以上、いる・いないの断言は面倒に繋がりかねない!』
それにはララウィンも同意だった。
唇を湿らせ、ゆっくりと口を開く。
「その……す、好きな人はたくさんいる、けど……。と、友達の好きと恋愛の好きの違い、みたいな……そういうの、よくわからなくって」
言葉の詰まりは、恋愛という慣れていない話題のせいで気恥ずかしくなっているからだ——そう受け取ってもらえたら、非常に助かるのだが。
セストセールはとくに不審に思っている様子も見せず、「うーん」と呑気に唸る。
「たしかに、それは難題だね。……でも、ララウィンは人気があるし、告白されたりするだろう? 試しに付き合ってみようともならない?」
「…………にんき?」
聞き間違えた? とララウィンは首を傾げた。
ララウィンは顔に絶対の自信を持っている。クラスで一番どころか、世界で一番かわいいのは自分だと本気で思っている。
けれど、己が人気だとは思っていない。これは卑屈になっているわけではなく、客観的に見た結果だ。
まず、出自に問題がある。そのうえ、『悪辣』という噂も広がっている。正直、友達は多くなく、ララウィンに近づいてきてくれるのは限られた人間だけ。
学校の人気者とは、もっと人が集まってくるような、明るく気さくで、リーダーシップのある人間のことを言うはずだ。そもそも極論、攻略対象者以外を切り捨ててもいいと考えているララウィンには、まったく当てはまらない人物像である。
「告白なんて、されたことないわ。知っているでしょう? わたし、遠巻きにされることが多いもの」
「そうなのかい? みんな見る目がないんだね。少し関われば、魅力的な女の子だってすぐにわかるのに」
お世辞、だろうか。
それでもララウィンは体温をあげてしまった。
「あ……ありがとう……。なんだかちょっと、照れくさいかも……」
「ふふ、どういたしまして。でも、口にはまだ出していないかもしれないけれど、きみを魅力的だと思っている人は少なくないはずだよ。私が確信しているだけでも、数人は名前を挙げられる。無粋だから、挙げないけれどね」
セストセールは穏やかに微笑んで、さらに続ける。
「だから変に悩まなくても、きっとすぐに見つかるよ。ララウィンを大切にしてくれて、ララウィンがきちんと好きになれる人」
途端に、ララウィンの体温は下がりきった。
まるで自分を除外しているかのような言い草。その人に自分はなり得ないかのような物言い。
まったくもって、おもしろくない。——意識させたい。
『お、おい。ララウィン?』
「セス」
ムードの呼びかけも無視して、ララウィンは立ち上がる。大きなカーディガンから抜け出したことで、夜風が肌を撫でた。
「ララウィン? もしかして、もう帰る?」
「ううん。いろいろと————助言をしてくれたお礼。セス、わたしの魔術が好きって言ってくれたでしょう?」
「うん。好きだよ」
「約束通り、洗浄魔術はあとで使うわ。だからそれとはべつに、もっといいものを見せてあげる」
一歩進み、ゆっくりと杖先を正面に向ける。
対象は、視界に入っている木々すべてだ。
「いまね、練習しているの、魔術付与」
「……もしかして、ミッドが贈ったガラスペンのために?」
「そう。けっこう、うまくなったんだから」
魔力を込める。比例して、杖先からこぼれる星屑が多くなる。
集中して、丁寧に、けれど思い切りよく、ララウィンは杖を振った。
——赤。青。黄。
まだまだ足りない。
——白。紫。ピンク。
カラフルに。鮮やかに。木の葉を望みのままに光らせる。イメージはそう、クリスマスイルミネーションだ。
結果はもちろん大成功。自信はあったが、これだけの範囲に魔術をかける——しかもセストセールの前ということもあって、若干緊張していたのも本当だ。
思い通りの光景が目の前に広がり、緊張がほどけ、喜びが湧き上がってくる。
衝動のままにララウィンは「やった!」と跳び跳ね、満面の笑みで振り返った。
「ね、綺麗でしょう?」
ララウィンが目を向けた先のセストセールは、なぜか呆けたようにララウィンを見ていた。イルミネーションではなく、だ。
「……ちゃんと見てる?」
屈んでセストセールの顔を覗き込むと、セストセールはびくりと肩を跳ねさせて身を引いた。
「……あ、ああ、ごめんね。ララウィン、本当に魔術が好きなんだなって」
「セスは綺麗って思わなかった?」
「ううん。綺麗だよ、すごく。本当に、驚くくらい——綺麗だった」
「なら、見せた甲斐があったわね」
ララウィンはにんまりと口角をあげた。
この綺麗な光景と一緒に、ララウィンの姿も頭に焼き付ければいい。なんだったら、夢に見ればいいのだ。
大満足したララウィンは、再度杖を振って光を散らした。
「ガラスペンにはふたつの魔術を重ね掛けしたいから、まだまだ練習は必要だけど……でも、きっとすぐに完璧なペンにしてみせるわ」
「……ねえ、ララウィン」
「ん?」
「もし……もし、ガラスペンに魔術付与をするときが来たら、私も一緒に……隣で見ていてもいいかな」
そう言ったセストセールは、なにやら少し緊張しているようにも見えた。
もしや、断られると思っているのだろうか。完成品ではなく魔術付与をする過程を見たいと言った理由は不明だが、そんなのは些細なこと。彼の好感度を稼ぎたいララウィンがセストセールの頼みを無下に断るわけがないのだ。
だからララウィンは、『迷惑なんて思ってないですよ』『大歓迎ですよ』という気持ちを込めて、笑顔で答えた。
「もちろん! いつになるかはわからないけど、楽しみにしてて!」




