11
「なんだ、今日はもう終いか? お優しい先生たちからの頼まれごとも早く済んで、勉強をみてやれそうだったのに」
「……いきなりなんですか、あなたは」
手を引っ込めたオルカルが、不愉快そうに睨みつける。その相手は、緑のネクタイとゴールドライン、にこやかな笑みを浮かべたジージャだった。
行き場をなくしたララウィンの手を見てか、ジージャは笑みを深める。
「もしや、デートの邪魔をしてしまったかな」
「課題を一緒に進めていただけよ。オルカルと対のテーマでレポートを書いていたから」
「ふうん……オルカル、ね」
笑みを絶やさぬまま、ジージャがオルカルを見やった。
「俺はジージャ・キュエリア。よろしく?」
握手を求めるジージャ。その手を一瞥したオルカルは——無視してノートやペンを片づけ始めた。
「オ、オルカル」
慌ててララウィンはオルカルの袖を引く。
「あのね、ジージャはこう見えても二年生の首席で」
「こう見えてもって。ああ、でもたしかに、初対面のララウィンも俺を睨んできてたっけ」
「う……そ、そのときのことはごめんなさい。だって、ジージャが怪しく見えたんだもの……」
そう話している間も、オルカルは無視を続けている。
成績で好悪の差をつけるオルカルに『主席』を持ち出せば態度が軟化するとばかり思っていたララウィンは、その意外さに驚く。
そのままララウィンの荷物までまとめてしまったオルカルは、ふたりぶんの鞄を持ってララウィンの手を握った。ララウィンは自然と立ち上がる。
「行きましょう、ララウィン」
「おいおいおいおい。そりゃ邪魔したのは悪かったけど、あんまりなんじゃないか? 俺も意地悪したくなるだろ」
ジージャが杖を振る。
するとオルカルの鞄からノートが飛び出し、ふわりとジージャの手に収まってしまった。
「……随分と幼稚な気の引き方ですね。参考になります」
皮肉とともに今度はオルカルが杖を振り、ノートはオルカルの鞄へと戻る。
ジージャは肩をすくめ、困ったように眉を下げた。
「無視するってのも、かなり幼稚だと思うけどな。俺、そこまでのことをキミにしたか?」
「オルカル、どうしたの? オルカルが嫌うタイプの人じゃないと思うけど……。本当に主席だし、優秀な先輩よ?」
「…………あなたの言葉を疑ってはいません。あなたが優秀だと言うのなら、そうなのでしょう」
ララウィンへと向けられるオルカルの眼差しは、いつも通りララウィンを気遣う想いで彩られている。
「ですが——」
しかし、ひとたびそれがジージャの方に向けられると、驚くべき切り替えの速さで敵意しか感じられないものへと変化した。
「二年の主席だとしても、それはほかの二年より優秀だというだけで、ララウィンより優秀だという証にはなりません。もちろん、僕より優秀だとも限らない」
「へえ?」
「あとは率直に言って、生理的に気に食わない人間です」
「なるほどね。釘を刺すべきは、ララウィンじゃなくてこっちだったか」
オルカルとジージャの間に火花が散っている。恐らく魔術ではなくララウィンがそう幻視しているだけだと思われるが、ふたりがそれだけ険悪な雰囲気を漂わせているのはたしかだ。
攻略対象者同士がここまで仲が悪いというのは、乙女ゲームではよくあることなのだろうか。少なくとも本来の世界線では、ふたりともムードを倒すための仲間だったはずなのだが。
ここはわたしが仲介するべきなのか、放っておくべきなのか、とララウィンは悩む。
するとその悩みが直に伝わったわけではないのだろうが、心の動きである程度察したのか、ムードが声をかけてきた。
『仲間割れはこっちも歓迎だ。万一のとき、女神側の戦力低下になるからな。お前がわざわざ動くことでもないだろう』
——それもそうか。
たしかに、籠絡作戦が失敗して攻略対象者と敵対することになった場合を想定するなら、険悪なままでいてくれた方が助かるのだ。
ララウィンはムードの助言を受け入れることにした。
「ねえ、ジージャ」
「うん?」
「勉強を教えに来てくれてありがとう。でも今日はもう、本を探すだけの予定だから。また今度、時間ができたときに教えてくれる?」
「……ふっ」
オルカルが鼻で笑った。ララウィンが見上げると、オルカルは勝ち誇った顔でジージャを見ていた。
「ララウィン」
苛立ちを含んだ声で、ジージャが呼んだ。思わずララウィンは肩を跳ねさせる。
「本を探すのにも俺は役立つぜ? 一年坊主なんかよりもよっぽど、な」
「え、でも……本当に探すだけよ? そんなことにわざわざ時間を割いてもらうのも——」
「前に見せたろ。俺は知ってる本なら、魔術で呼び寄せられる。使う時間なんて数秒だ」
「あっ。そういえば、そうだったわね。あの魔術、もう一回見せてもらいたかったの」
「そうだろ、そうだろ。ほら、なんの本を探してるんだ?」
「ええと、魔術付与に関す————むぐ」
ぱちくりとララウィンは瞬く。オルカルの大きな手のひらで、口を塞がれたからだ。
「おーい。女の子相手にそれはどうなんだ? 付き合ってるってんなら、俺もとやかく言わないが」
「あなたの魔術は不要です。僕が手伝うので」
「話聞いてたか? 俺が探した方が時間短縮になるんだって。キミのエゴで、ララウィンの勉強時間を無駄に潰す気か?」
オルカルが次の言葉を飲み込んだ。
どうやら、舌戦はジージャに軍配があがったようだ。
ララウィンの口から、渋々といった様相ではあるがオルカルの手が離れたので、ララウィンは先ほど途切れた答えの続きを述べることにする。
「わたしの私物に魔術付与を施してみたいの。それで、関連の本を探そうとしてたところで」
「へえ、魔術付与か。二年からの専攻授業でなら扱ってるかもしれないが、あいにく俺の専攻は決闘魔術でね」
「つまり役に立たないということですね。行きましょう、ララウィン」
「残念でした。魔術付与の実践経験はないが、趣味の範囲で本を読んだことはある」
ジージャが杖を振れば、以前見たのと同じように本が飛んできた。ただし今回は列をなすように次々と本が現われ、最終的に計二十冊程度の数がテーブルの上に積み重なる。
そのなかの一冊を手に取ったジージャは、ページを捲りながら席についた。
「とはいえ、専攻じゃないのはたしかだからな。どれがどれくらい有用なのかは断言できないが」
ちらり、とジージャの目がララウィンたちに向けられる。ほら座れよ、と言わんばかりだ。
ララウィンはオルカルの様子をうかがった。眉間の溝はかなり深く、いまにもイスを蹴飛ばしそうだ。
しかしオルカルは、不快感を逃がすかのように大きなため息をつき、それからイスを蹴飛ばすこともなく着席した。
「ララウィン、手分けして読みましょう。僕はこちらの山から読むので、あなたはこちらを」
「う、うん……」
ララウィンもおとなしくオルカルの隣に座る。
目の前にある本は、『ウソ? ホント? 魔術道具は爆発する』——なんというか、あまり読む価値を感じないタイトルだ。しかし、ジージャが選んだのであれば、内容自体はしっかりしているのだろう。彼はかなりの読書家で、この図書室の蔵書について一番詳しいのは彼なのだ。
「ひとまず、めぼしいところはメモをとっておきますね」
「えっ、そこまでは……。わたし、リボンたくさん持ってるから、栞代わりに使って。こっちの方が時間もかからなくていいでしょう?」
ララウィンは鞄からポーチを取り出す。開けて逆さにすれば、色も長さもバラバラなリボンたちが出てきた。
「うわっ、すごい量だな。女子ってこんなに持ち歩いてるものなのか?」
「たぶん、わたしだけだと思う……」
これらはすべて、ミッドミンからもらったプレゼントの名残である。
お菓子や花の包装に、よくリボンがかけられているのだが、時折もったいないくらい綺麗だったり高級そうだったりするものがあるのだ。それでつい、いつかなにかに使えるのではないかと思って、ポーチに保管してしまっている。
公爵令嬢らしからぬ貧乏性。気恥ずかしくて、あまり他人に詳細を語る気にはなれない。
これ以上の追及が来る前に、ララウィンは押しつけるようにしてふたりにリボンを渡した。
「自由に使ってちょうだい。それと、自分の勉強がしたいとか、帰りたいとか思ったら、遠慮なく言って。無理に手伝わせたいわけじゃないもの」
「気にするなって。どうせ寮に帰っても本を読んでるんだ。図書室が閉まる時間くらいまでなら余裕で付き合うよ。な、オルカル」
「は?」
唸るようなその低い声は、もちろんララウィンに向けられたものではない。しかしララウィンは、それがわかっていながら少し身をすくめてしまった。
「気安く名前を呼ばないでください。話しかけないでください。というか、もう用済みですので帰ってくださって結構です」
「歩み寄ってやってる寛大でオトナな俺に対してそれかよ…………このクソガキ」
最後は囁くような声だったが、比較的静かな場所だからか、ララウィンはしっかり聞き取れてしまった。恐らくオルカルもそうだろう。
以降、閉館時間を知らせる鐘が鳴るまで、三人は無言で本を読み続けた。
オルカルとジージャの険悪さは、ララウィンやムードにとって歓迎すべきところ——なのだろうけれど。しかし正直、ギスギスした空気はララウィンの気を削ぐばかり。集中して本を読むこともできやしない。
息のしやすい快適な時間を作るべく、ふたりの仲を取り持ってあげる方が賢い選択だったのではないだろうか。ララウィンはそう思ってしまった。




