第9話「絶望顔の氷の殿下が守る場所、それつまり最高にヤバい禁書の保管室ワンチャン確定ですね」
静寂が重く垂れ込める、王宮中央から神殿へと延びる大回廊。
天鵞絨の絨毯が足音の一切を呑み込み、彫りの深い石柱から差し込む陽光の帯が規則的に斜めに射し入る中。私は白百合も平伏すレベルの圧倒的清浄オーラを振り撒きつつ、両手を淑やかに腹部で組んで歩を進めていた。
(マジかぁ。どうしよ)
思考の中では聖女スマイルの仮面とは裏腹に、暴走気味の不安が超高速のステップを踏んでいる。
前線基地での騎士団長ローデリク氏による「生贄防波堤・哀愁の一極集中宣言」を引き出し、鮮烈なる拒絶でお見舞いした昨日。あそこで物理的大剣からの排除ルートは叩き折ったが、問題の本丸は「巨大すぎる痛みの吸い上げシステム」の真実を神殿と王宮のツートップが黙認し続けていたことである。
というわけで次のミッション。当然、最も分厚い壁を持つ王族様の攻略ルート。
そう、つまり。
前回私が絞首台のお飾りになる最終行程で、見事なまでになーんにも手出ししてこなかった「あの人」の懐へ。
「…………」
光の帯の向こうから、無音で氷像が滑り込んできたような錯覚。
いや、それは幻ではなく。豪奢でありながら虚飾を削ぎ落とした濃紺の軍服に身を包んだ、第一王子セオドール・アルヴェインご本人であった。
(出たよ国定ナンバーワン絶対零度の完璧イケメン。今日の瞳の冷え込み度も女神様が凍傷起こして引き返すレベルにバッチリ仕上がっていらっしゃること!)
彫刻の如き美しい輪郭は、周囲の大理石と同化するかのように一切の感情を表出させていない。私が正面の距離から会釈するために足を止めても、その青氷のような双眸は私という人間ではなく、通路を塞ぐ厄介な障害物に視線を置いたにすぎなかった。
「お見かけでき光栄です、セオドール殿下」
絹のようになめらかなお辞儀を放ちながら、私は静かに目線を引き上げる。
「何用だ、聖女候補」
短く、平坦で、何よりも会話を次に繋げない見事な斬撃のような一言だ。
「ええ。昨日のことになりますが、結界の外縁にて酷い歪みが生じている地を見学してまいりました。多くの傷に胸を痛めるばかりで……」
私が慈愛に満ちた神聖報告を行おうとするよりも早く。
「私兵の一団を引き連れずに外に出たそうだな。神殿の人間は己の祈りの責務と現在位置すら理解できないほど身軽になったとみえる」
(……はい、キレられたァ!)
言葉の表面温度だけなら、王都が誇る大魔法使いがぶち込む吹雪よりも寒い。彼の中で私が何一つ褒められた行いをしていないと明言するに等しい完全拒絶。
「国を守るために、身近な祈りの先を知りたく思った次第です」
少しだけ下唇を噛んで見せる聖女十八番・純粋なる無知ゆえの情熱ポーズを維持しつつ、私はさらに食い下がった。
「そのあまりに歪な引力の偏りを目の当たりにし……ひょっとしてこの王都の中枢側にある、過去のより古い分担儀式の仕組みなどを読み解けば。大いなる王宮の古記録に解決への一筋の光が隠されているのではと……」
「その必要はない」
言葉が、私の喉ごと空間に叩きつけられた。
ビクッと周囲の護衛兵までがわずかに身をすくめるほどの鋭さ。ただ、彼の声が怒号に満ちたものではなかったからこそ、恐ろしい。それは音量を落としたままでなお、鋼のような威圧を空気に乗せてきたから。
セオドール王子はそこまで全く動かなかった私の視界の中に、唐突に靴を滑り込ませてきた。二歩。すさまじく不愉快そうに近づいた彼を見上げる。
青の瞳が私を睥睨していた。いや、私ではない。私の背後の見えない影か何かを見据えているかのようだった。
「祈りによって身を飾ることだけを許された神の鳥が、国の重りを探る資格などない。二度と軽薄に王宮の根源を嗅ぎ回るな」
「それは」
「下らぬ同情や正義感など、お前のような弱い存在には無意味だ。自身の足元の細さも知らずに出歩くなど愚かさの極みでしかない。大人しく用意された自分の籠の中で、目を塞ぎ口を噤んでおくのだな。……お前の分際でこれ以上踏み込めば、どうなるか程度分かるはずだ」
一切の隙もない非情なシャットアウト。
「…………仰る意味、心に深く刻み込みましょう。殿下」
私は完全に屈服した者のように両目を閉じ、静かに後ずさった。
彼はその震える私という結果を確認し、なんら感情の残らない顔のまま。私との距離を維持した最短経路で冷酷に足早に立ち去っていった。
青い背中が廊下の角を曲がるまで。護衛兵が最後に廊下の先へ吸い込まれるまで。
静かな影になった柱の前で、私は閉じていた目をカッと開いた。
その瞳の中の光を神界の熾天使たちへ届くレベルで乱舞させながら、心臓が爆速の鼓動を叩き始めているのを自覚する。
(ああーーー! マジでやってんじゃん! なーるほど完全に完全に理解した! そういうことか第一王子!!)
震えていた? 畏れ入っていた?
馬鹿を言いなさんな。感動と失笑が致死量を軽く突破して身体の制動が利かなくなってただけである。
完璧なまでの冷たい非情。だが、あの王子が私の問い「王家の古記録にあるのかも」と言ったあの瞬間に生じた微細なバグを、誰が見逃すものか!
私が「王宮の資料」という大義名分をふんわり空に放り投げたそのとき。
絶対零度王子の美貌の視線がわずかに床へと落ちた。いや、それだけならまだ平常。だが。
あの超名門育ちの作法オブ作法の塊である御方、無意識に左の手袋の隙間に余計な指の力を込めてやがりましたよね?
(ビビってる! 超絶見え見えなんですけど! 自分ではどうしようも手も足も出ない超弩級の暗部か弱点の方向に首突っ込まれて、反射的に大層な口裏合わせとかでぶん殴りにきたわけですよあれは!!)
しかもだ。
「弱い存在」「大人しく籠の中で」「分際で踏み込めばどうなるか」。
権力者の見下しテンプレ文句みたいに見えて。本気で切り捨てる敵には、あの冷血無表情は絶対にこんな忠告の羅列なんて放たないのである。前世で「私が切り捨てられた決定的な一日」を見せていたあの処刑大広間でさえ、あの顔はどこまでも無関心の傍観を通すふりをして、悲しそうな破綻を見せていたではないか。
(これは私への排他じゃねえ。「ここにいたら死ぬから今すぐ大人しく回れ右して一切近寄らないことで保身しろ馬鹿」って超不器用無気力回避指示なんですけれど!?)
頭蓋の内側を稲妻のごとき推理のスパークが駆け抜けた。
結界を歪める吸収の大元について、あのアホみたいに高いところから政治を見下ろしている王都最大の責任者は、確実に【なにか】を把握しているか気づきつつある。だが手を出せない。その規模に逆らえば「すべてがぶっ壊れる」という規模であることを本能で分かっている。
だから私が真実のすぐ側にある古記録に足を踏み入れた途端に爆散することを超恐れている。要するにこの美形の完全凍結男、現状打破のスキルレベルが存在しないくせに防御手段だけは一丁前に分厚くしやがって、「俺は答えを出せないし救えない、だから危険水域に最初から入れるな!」と必死で看板立ててブロックかましていただけなのだ。
(王室の大黒柱に立つトップが! どうすることもできず、ただ見せまいとするだけの恐怖の中身!)
「見えましたね、これは」
ぽつり。光の落ちる回廊で、静かすぎて誰もいない虚空へ私の冷たい宣告が落ちる。
一人に集中させて我慢すれば全体が長持ちするという、騎士団長の呪われた防衛線の延長上に、すべてをたった一人で黙って背負わされている王子が存在するのだとすれば。
そのすべての負担の発火点は。誰かを切らなければならないその根源たる指示や資料そのものは、他でもないあっちの側が完全に封鎖し隠しているという物理的な証左だ。
(ふふ。教えてくれてありがとうですよ冷血殿下)
「絶対にそこにヤバい情報ありますから近寄んじゃねえぞ」ってご丁寧に旗を振ってくれたなら、逆張りの全力スライディング決めてやりたくなるのが人生の生きがいってやつだ。
大体にして、そっちが一切の解決手段を手放してまで恐怖の沈黙を死守した代償が。この、偽物の刻印を打ち込まれ最後に絞首刑に掛けられた前世の私であるという理不尽が一切許されていない。あなたも無策ゆえの共犯なのだ。誰にも気づかれないところで自己防衛に一人浸りつつ痛ましい絶望のポーズを決めているのも大概にしてもらおうじゃないの。
「隠そうとしているものが資料なら」
私の思考回路の先で、カチャリと明確な照準が音を立てて絞られた。
「私が引きずり出してすべて天界の眩い直射日光の下で公開干しにして差し上げますから」
足早に立ち去ることで完全無血を守りきったと錯覚している青い背中の幻影へ、口元だけの甘やかな笑顔を送る。
次の予定地は完全にロックオンされた。ここ数日の王都中心部の警備の目録、および書物という名の特大雷管が眠っているとされる【王家地下の古文書庫】である。
ああ、本当に楽しいったらありゃしない。隠れ切っていると思っているその分厚い欺瞞を一つずつ論理のメスで剥がし、最終的にお前のその完全なる沈黙顔を、弁解ひとつ口に出せない「証拠一式の前」へ座らせてやるためなら。
こんな消えない死後の痛みのハンデでさえ、神の如き機動力でお返ししてやれる。
さあ行こう。ルカ。ハンナ。そして書類のことなら誰より恐ろしい知識を誇る私が見出した若き有能職員ノアのもとへ。
殿下が後悔の冷気で隠したあの分厚い扉。鍵は私がこじ開けてやる。




