第5話「女神の恩恵強制没収システムと深夜の追跡宣言」
「ああ、なるほど……わかってきたわ。これは『弱いから見捨てられる話』なんかじゃ絶対に終わらない。国ぐるみで私という人権をタンクとして吸い上げる……最凶最悪のお茶会だったのね!!」
インクまみれの指で『限界聖女観察ノート』のページをひしゃげるほど力強く掴み、私は暗闇の寝室で歓喜に近い戦慄の笑みを漏らした。
怖い。いや普通に考えて尋常じゃなくヤバい構造である。
私は前の人生において、どう頑張っても力が長続きしない虚弱のニセ聖女として処刑台に送られた。日ごとに泥のように体が重くなり、祈りの途中で目眩を起こしては「あれでも本物の聖女なのか」と嘲笑された。あれを全部“己の天賦の才が欠如しているせい”だと思い込み、罪悪感に押し潰されて散ったのだ。
……なのに! 今世でちゃんと自分のバイタル記録をつけてみたら、どうだ。
祈りを捧げた量と、ぶち抜かれる体力(魔力のような聖女リソース)の量が、全く正比例していないではないか!
「主よ……なんというあこぎな手配でしょうか。私が神聖なる天への言葉を紡ぎ始めた瞬間、誰かがどこかで目に見えない恩寵吸い上げ機構を起動しているということですか……ッ!」
ブルブルと震える両手を机についたまま、さらに散乱する羊皮紙を突き合わせた。
本日午後、ハンナを通して静かに取り寄せてもらった資料。私が、南の地方から密かに流れてきた結界被害者のエッダさんやユアン少年に聞き取り調査(※という名の神聖なるご歓談)を行い、彼らの被害が発生した“正確な日時”を聞き出したメモ書きである。
彼ら地方民の住処近くで、「やけに大きな結界の震えがあり、子供たちが謎の痛みを訴えて寝込んだ」とされる日。
――そして、私のこの『限界聖女観察ノート』における、「特に特別な祈りなんてしてないのになぜか血液半分くらい持ってかれて三日三晩立てなかったクソしんどい日」の記録。
「完璧だわ……」
ドンピシャ。日付のズレすら皆無。これ以上ないほどの絶対的なシンクロ率だった。
南で結界がほころび、地方の被害が深刻になった瞬間に、ここ王都の安全な私室でお祈りしていただけの私からドゴォッと聖女パワーが天界への供物のごとく強制収奪されていたのである。
「私自身の意志なんて関係ない……! ここ王都から一番遠い南の外れで起きたほころびに、どういうわけか勝手に私の魂のガソリンが給油されに行っている……!」
目を見開く。口元を手で押さえなければ、変な悲鳴が飛び出しそうだった。
前世で私が弱っていったのは必然だ。見えないストローを背中に刺されて、毎分毎秒ひたすらに王都中の……いや国中の決壊を防ぐための緊急パッチとして力を横流しされていたからだ。そんな異常な重労働を一人でやらされてりゃ、そりゃガタも来るだろうが!
そして限界まで吸い尽くされて絞りカスになった挙句、彼らは私をどうした?
(――『あいつ役立たずになったし、民衆の不安逸らしのために生け贄にして処刑しようぜ』って満場一致で台に乗せたんだわ!! ふざけるんじゃないわよ! 魔王の所業すら生温いド畜生の采配じゃない!)
ドクン、と。
処刑の日のあの鮮明な記憶が、またしても私の首元に熱い痛みを走らせる。一度きりの命の引き戻し。神が哀れんだか、あるいは最悪の犠牲の連鎖を断ち切るために誰かが残してくれた、見えざる奇跡の導水管。
ならば私は、同じ手では死んでやらない。
弱き私自身のせいではなく「巨大な制度の強制労働」だったという真実が見えた今、私の視界からは自己肯定感底辺のどんよりとした霧が完全に吹き飛んでいた。
トントン。
その時。分厚い木の扉から、羽の落ちるような遠慮がちな二拍が響いた。
ビクンと肩を跳ねさせた私は、光の速さで散らかったノートの束と裏情報の記された紙片を引き出しの中に突っ込んだ。机の端から優美に白いショールを羽織り直し、窓辺の月の光をバックにして両手を胸の前で交差する「深夜の星々に世界の安寧を願う孤高の祈り手」のポーズを0.3秒で完全再現した。
「入りなさい」
「……夜分に失礼します、リゼ様。ルカです」
わずかな隙間から滑り込んできたのは、つい先日配下に加えた倉庫係のルカだった。
こんな夜更けに下働きの彼が王宮深部の部屋まで忍び込んでくるなんて、尋常なことではない。彼こそは私の命じた「極秘情報の裏ルート監視」という名目を最も機敏にこなしてくれる神の使いだ。
「光の届かぬ暗がりの中、導きの星を追うように訪れてくれたことに感謝しますわ。それで……神は何か囁きを落とされたのかしら?」
(来い来い来い。何か特大の情報仕入れたんじゃないの裏道マスター!)
「はい……あなたが先週から気にかけておられた、ローデリク騎士団長ご本人の動きです。あの厳格な武人殿が……」
ルカは息を潜め、周囲に何者かの気配がないかを再び扉の隙間から確認した後、信じがたいことを口にした。
「つい先刻、騎士団の制服を身につけず、黒の外套とフードで顔を隠した少数の私兵だけを伴って、北の城門ではなく『使われていない裏口』から馬で抜け出していくのを見ました。行先は分かりませんが……荷車の車輪の向きと埃のつき方を見るに、地方の、おそらく被害が出ている外れの地帯かと」
(ブオォー!!! 来たああぁッ!! 騎士団長のド深夜スーパー単独ゲリラ抜け出しッッ!!!)
私は静かな聖女の仮面の裏側で、ドラをガンガン叩いて乱舞した。
間違いない。ローデリク・ヴァルガという英雄は、ただ頭ごなしに地方の騒ぎを握りつぶしているだけの脳筋武官なんかじゃない。あいつは最前線に出向いている。王都の上の連中(なんなら神殿の上層部とか!)にはナイショで、隠しごとの多い地方被害の現場へ物理的に飛んでいるのだ!
「そう……神の祝福をまとったあの者が、暗闇にまぎれるなどということが。王都を守護する剣がなぜそこまでご自身を隠して外へ向かわなければならないのでしょう……」
(何それどういうことよ! 私に“あれ以上被害の傷を見るな”とか圧かけてきやがって! その裏で自分は真っ黒の衣装でコソコソ最前線の火消しに出向いてるわけ? 完全に事情の全貌知ってんじゃんアイツ!!)
「ルカ。そなたは月明かりより澄んだ瞳でよくぞ事実を見抜いてくれました。下がりなさい。私は、少しだけ神とのお対話に沈ませていただきます」
「……はい。ご無事で」
ルカはただ一度深く一礼し、影が溶けるように音もなく部屋を出て行った。頼れる男すぎる。
再び静まり返った私室。
私は窓に両手をつき、星の瞬かない真っ黒な王都の外壁方面を見据えた。
あの時――私が前世で死ぬ直前、あいつら全員がお通夜みたいな絶望顔をしていた光景が脳裏にフラッシュバックする。
『最悪の被害想定。俺は、大勢を守るためには小を切るというあの絶対的な理屈からどうしても抜け出せなかった――』
処刑台の脇で私から目を逸らしたローデリクは、あんな絶叫するかのような押し殺した表情を浮かべていた。
「ローデリク騎士団長……大勢を守るため、ね」
私は爪先が白くなるほどに窓枠を握りしめた。
彼らが真の正義なら、何も隠す必要はないはずだ。彼があえて顔を隠し、部下にも何も言わず一人でその汚れ役のような隠密調査に身を投じている理由。それは、今の王都でのうのうと居眠りをこいている本隊には決して言えない真の地獄――すなわち私が現在進行形で体力をチュルチュル吸われている「結界のヤバすぎる綻びの現状」と繋がっているに違いない。
(あのバカ野郎。何全部一人で「世界中の苦労を背負った男の背中」みたいに浸ってくれちゃってんの? 全部裏で犠牲にされて痛めつけられてる、この私の残高を知りもしないで!)
「お隠れになる気ですか、真実よ。光届かぬ荒野の先で、何人にも見せずに全てを清算できるとお考えか……天の眼を逃れるなど、増上慢も極まれり!」
(このまんま“彼なりの理由”とやらで、勝手に『これもうどうしようもねぇからリゼを生贄にするしか道はねぇ!』なんて結論出されて前と同じ理不尽極まりないコースに行かせてたまるか!! ふざけんなよ証拠も反論の隙も持たないうちに蓋されて終幕は二度とゴメンなのよ!!!)
思考の回転数はこれまでにない最高潮に達していた。
私の推論。南の被害日。謎の吸い上げルート。そして今日発覚した、深夜の不審すぎる単独任務。これら全部をつなぎ合わせれば、向かう先は一つ。
「追うわ」
気づけば私は、自身の荷箱を乱暴に引っ張り出していた。
もう優雅にベッドの中で震えているだけの時期は過ぎた。記録はある。物理的な足場となる協力者(ハンナ・ルカ・ノアのトリニティ・フォーメーション)も仕込んである。あとは、“誰が”“どのように”現場を握りつぶし、私の存在価値を『生け贄専用タンク』へ偽造していくのか。その具体的な「首輪の正体」を自分の目で捉えるのみ!
「これ以上の後悔(処刑おかわり)を残さぬため……。彼が一体どんな残酷な闇を背負い込んでいるのか、直接確かめに行かなければならない。それこそが私に天から下された……慈悲と裁きの第一手!」
分厚い旅行用マントの留め金をガチャンとはめ込む。
そして私は誰もいない室内へ向かって、圧倒的な光属性(という体裁をとった殺気満々のロックオン)の宣戦布告を高らかに叩きつけたのだった。
――待っていなさい、悲劇のヒロイン気取りの脳筋騎士団長。その孤独に震える尻の毛までむしって、全て私が白日の下に晒してやるんだから!!
*
――そして数時間後。深夜。
「で、本当に来ちゃったわね」
馬車特有のけたたましい揺れで後頭部を強打した私は、お忍び用にレンタルしたオンボロ車両の中で舌打ちをこぼしていた。
暗黒の道なき道を爆走する馬の足音だけが虚ろに響き渡る。
「いや思い切りがいいのは前世からの長所だけどさ!! 深夜テンションってヤバいわ!!」
自分で飛び出しておいて猛烈に胃が痛くなりながら、王都の外へとつながる門が完全に私の背後に閉ざされるのを感じたのだった。




