第6話「泥に沈む最強騎士と、慈悲の仮面が剥がれる限界深夜便」
「で、本当に来ちゃったわね」
馬車特有のけたたましい揺れで後頭部を強打した私は、お忍び用にレンタルしたオンボロ車両の中で舌打ちをこぼしていた。
暗黒の道なき道を爆走する馬の足音だけが虚ろに響き渡る。
「いや思い切りがいいのは前世からの長所だけどさ!! 深夜テンションってヤバいわ!!」
自分で飛び出しておいて猛烈に胃が痛くなりながら、王都の外へとつながる門が完全に私の背後に閉ざされるのを感じた。
私が着ているのは神聖なる天女のローブなどではなく、身の丈に合わないごわついた暗緑色の厚手外套。完全に目撃者を始末しに行く暗殺者のフォルムである。
「お静かに。外からの風の音で紛れているとはいえ、どの警護の耳に届くか知れたものではございませんよ」
真正面の座席から静かな低音で制してきたのは、同乗している年配侍女のハンナだった。彼女は微塵のブレも見せず、木箱に積んだ毛布や包帯の残数を確認している。
この人がいなければ詰んでいた。夜間に関門を突破するには真っ当な書類が必要だが、「病気で行き倒れた親族への急な慈善訪問と医療品のお届け」という聖女陣営らしさ大爆発の鉄壁の言い訳と実物を、この短い時間で完璧に揃えきった実務能力の化け物である。
さらにこの無骨な手綱を握り、見回り兵を巧みに迂回する最短の隠しルートを爆走しているのはルカだ。神に愛されしうちのスタッフ、有能の極み。彼らのアシストがなければ王宮の門すら越えられていない。
「ええ……ありがとう、ハンナ。私はただ天の声に従い、助けを求める迷える羊たちの嘆きを見極めに向かっているだけ……主のお導きはかくも試練に満ちておられるのですね」
「姿勢を崩さないでください。顔が見えやすくなります」
「あ、ハイ。申し訳ない」
超絶エクセレントな女神フェイスを作りかけたが、物理的な被弾防止指導にあっさり引っ込んだ。
どれくらい揺られただろうか。
ひたすらに暗かった窓の外に、まばらな松明の灯りが現れ始める。王都から最も遠いとされる、南のはずれに位置する町。その空気の質感は、先刻まで私が息をしていた華やかで安全な箱庭のそれとは根本から違っていた。
「ここから先は馬車の輪を外して進みます。これ以上音を立てるのは危険です」
小窓からルカが囁きかけてきた。車高が落ち、暗がりの林の中にそっと車両が止められる。
私たちは布で目元から下を覆い、足音を忍ばせて木々の間を抜けた。やがて視界が開けた瞬間、私の靴先は重い泥の中に沈み、思考回路が一時停止した。
「――っ……」
そこにあるのは町と呼べる代物ではなかった。
かつて広場だったであろう空間は土が大きく抉れ、燃え残った建物の骨組みが黒々と天を突き刺している。重く立ち込める煙と血の臭い。泥土のいたる所に点在する、獣とは到底思えぬ規格外に大きな魔物の爪痕。
泣き叫ぶような悲鳴は無い。あるのはただ、終わりの来ない不安にじっと耐えながら荷車を動かしたり、けが人を運んだりしている民たちの、生気を完全に失った顔だけだ。
(ウソでしょ。何なのこれ……っ)
これが、私の神聖パワーがチュルチュルと見えない管で吸い取られた同じ日の「南」?
信じられない。王都の中心にある神殿では『今年の魔物の出没はやや多めですが結界は健在でございます。主の加護は厚く〜』なんてぬるま湯の宣託を垂れ流していたのに。健在なのはテメエの妄想だけじゃねえか大神官! バッキバキに壊されてるじゃない!!
私が絶句したまま前方の低い土塀に身を潜めた、その時だった。
『陣形を縮めろ! 西からもうひと波来る、絶対に町へ通すな!!』
空気を劈くような、低く叩きつける怒声。
視界の奥、ただの兵士とは動きのキレが明確に違う十数名の黒ずくめの私兵部隊が、迫り来る影の群れに向かって展開していた。
そしてその先頭。魔物が咆哮とともに突進してきた巨体を、ただの一刀のもとに泥へと沈めた背中があった。
見間違えるはずがない。銀の騎士鎧も華美な紋章も外しているが、あの重みのある大剣の振り抜きと、周囲の空気を冷徹に縛り上げる武の圧迫感。
ローデリク・ヴァルガその人だ。
(ホントに来てるじゃん……っ、騎士団のナンバーワンが、一地方のはぐれ魔物鎮圧のお立ち台に!!)
ルカの報告は真実だった。彼は完全にお忍びの姿で、ただ現場を守るためだけに兵を敷き、血の泥土を文字通り全身にかぶりながら一帯を抑え込んでいた。
『剣を振り抜け! 重さに逃げるな! お前たちがここで引けば死人の山になるだけだ。息を継ぐ間はないものと思え!』
兵に投げかけられるローデリクの声には、あの王都の式典で響かせる朗々とした優美さなど一欠片もなかった。限界に達した肺をさらに酷使し、何としてでも今夜の崩壊を防ぐという呪詛めいた執念だけが張り付いている。
魔物の返り血で黒髪が重くべたりと額に張り付き、大きく振るう腕にはかすかな引きつりがあった。明らかに無傷ではない。連日の不眠不休が祟っているような、疲弊の極地にいる者の動きだ。
「ああ、なんて……こと。ここまでの惨状に……あの鉄壁の結界は、もうそこまで破綻に向かって……」
私は喉の奥からせり上がる声を両手で必死に押さえ込んだ。
彼らの中枢機関がこの町の惨状を王都で隠していた理由。少しだけ解像度が上がってきた。
ここまで地方の防壁が薄くなっていると知れれば、安全圏の貴族や富裕層は完全にパニックを起こす。そして国全体の制御が暴走し、結界を管理する神殿も王宮も求心力を完全に失い、国そのものが中から自滅するからだ。
前世での彼の表情を思い出す。
処刑台の脇で私から目を逸らし、『最悪の被害想定。俺は、大勢を守るためには小を切るというあの絶対的な理屈からどうしても抜け出せなかった』と死んだような目をしていた彼。
(そうかよ……そういうことだったのね、あの馬鹿力騎士)
胸の奥で、カチリと何かが反転する音がした。
私はこれまで、私ひとりに濡れ衣を着せてあっさりと死台に追いやった無慈悲な人間として彼らを軽蔑し、死への私怨で歯ぎしりをしていた。
違う。全然違う。
こいつは王都でのうのうとお茶をすすりながら被害リストを見て「んー、この使えない小娘ひとり切り捨てよっか!」なんて気楽な計算をして判子を押した人間じゃない。
実際にこの目を開けていられないほどの血みどろの現場で戦って、自分ひとりの兵ではどうあがいても守り切れない何万という人間がいつ大惨事になってもおかしくない『国の終わりの風景』を幻視し続けたのだ。
そして恐怖に完全に思考を押しつぶされ、「確実におさまる早道」という最悪の劇薬——誰の目にも明らかな【不適格の聖女の生贄】によってこのパニックを鎮火し、体制を繋ぎ止めるという冷たい道を選ばざるを得なかったのだ。
「私を切った理由。そして、後悔を滲ませていた本当の意味……」
泥臭くて、限界で、自分を押し殺した末に「情」を捨て去るしかなかった男の狂気。
私を一顧だにせず殺したという怒りが消えたわけでは決してない。当然だ、首の消えない傷の熱がドクンドクンと脈を打ってふざけんなと暴れ狂っているのだから。
けれど今、私の抱えたそれは単なる『殺された可哀想な女の子の怨恨』から、『ふざけた二択を全うさせようとしている巨大な見えざる暴力への、徹底的な闘争心』へと進化を果たしていた。
(なら全部ひっくり返してやる。私というちっぽけな命か、地方の幾千の命か。そんな胸糞悪い地獄のクイズに律儀に答えて心を壊してんじゃないわよ……両方ふんだくる以外に天界への完璧なお返事は存在しないでしょ!!)
口元に無意識のうちに深い弧が浮かぶ。怖い。いま鏡を見たらたぶん聖女の皮を被ったやべー極悪魔人のツラをしている自覚がある。
この状況を作り出した根幹。無断で私から結界に力をバイパスさせて「使えないニセモノ」という舞台装置を作っている悪辣なる【第三者】を絶対に引きずり出し、息の根を止めてやる。
あの泥に沈む狂った最強騎士は、そのためにも利用できる特大の矛盾証拠になるはずだ。
「……様。リゼ様。お下がりください」
ふと、袖口を強く引かれる感覚で私は前を向き直した。
いつのまにかすぐ背後に迫っていたルカが、静かに首を横に振っていた。戦端がすぐそこまで迫っている。これ以上長居すれば流れ弾かローデリク本人に見つかって一発アウトの世界線だった。
「わかったわ。あの御使いどもの死生観は存分に見届けることができました。光無き道の果てを……私たちが行うべき本懐の地へ参りましょう」
「はい。薬を必要とする臨時治療所の天幕は、ここよりもう少し西です」
私は最後にもう一度だけローデリクの戦場へ冷えた視線を投げ、反転して暗闇の中へ足音を消した。
*
木々に囲まれた粗末な天幕の中には、鼻を刺すような強い血と汗の臭いが充満していた。
壁沿いに筵が並べられ、静かな呻き声をあげる人々が身を寄せ合っている。
私たちが大量の白布と気休めの秘薬を手にして「天界のささやかな御光に代わって医療奉仕に馳せ参じました身の上のもの」という百点のテンプレで現れたことで、中にいた老人たちは怪しみながらも縋るように道を開けた。
「申し訳ありません、包帯を回しますね」
ハンナは視線一つ乱さず、熟練の動きで彼らの血に塗れた患部を浄め、巻き直しにかかった。
私も祈りの手の形で傷口の泥を丁寧に拭うフリをしながら、横目でその患者たちを見渡していた。……ただ、観察していくうちに猛烈な違和感のドリルが頭を突き抜け始める。
「ハンナ」
声にならない吐息で横の老侍女を呼んだ。
「ええ。私も気がかりに思っておりました」
彼女も気づいている。彼女の手元の布を絞りながら視線を走らせている。
患者の大部分の怪我は、魔物に弾かれた切り傷、打撲、瓦礫の下敷きになった骨折など、想像通りの凄惨な外傷だ。しかし。
その中のごく一部。奥の壁際で小刻みに震えながら踞っている何人かの患者たちの肌に刻まれている『傷』が。明らかに……異常なのだ。
(これ、本当に『物理的につけられた傷』……なの?)
私の胸の奥がひやりと急激に温度を下げた。
彼らの傷には共通の不気味さがあった。肌が魔物の鋭利な爪で引き裂かれたわけでも、毒の牙で穿たれたわけでもない。それは例えるなら、「空間の薄皮と一緒に肉体の中の何かが無理やり“外側へ向けて”歪められてひきつっている」ような、黒い幾何学的な痣のひび割れ。
傷口は全く開いていないのに、彼らはまるで臓腑そのものを直接何かでギリギリと吸い出されているかのような異常な冷や汗を流して呼吸を乱しているのだ。
(吸い出されている……?)
ピクリ、と私の限界聖女としての超高精度な脳のアンテナが雷を浴びたように逆立った。
これは。この歪な痕跡は。
どこかで見知っている――いや、“今私自身が”細胞のレベルで刻まれている、【どこかへと勝手に自分のリソースがバイパスされて持っていかれている感覚】の形と、不気味なほど酷似しているのではないか。
息を吸い込む音すら大きすぎると感じた。私は静かに身を乗り出し、薄暗い治療所の奥へと一歩足を踏み入れた。




