第3話「氷の断罪者の震える手元」
神と天への恩寵を一方的に振りまく秋の大祈祷。それを自己最短のベストタイムで駆け抜けたわたくしは、儀式の白い衣裳の余韻もそのままに、真っ直ぐ王国騎士団の本拠地へと足を向けていた。
道中の信徒たちの羨望と礼賛のまなざしを、いつもの二割り増しのホーリーな微細スマイルで打ち落としつつ、本心は焦燥で燃えたぎっている。
(この首の根元を撫で回している「ワンチャン次はないぞチキンレース特等席」からの強制帰還! ボケッとしてたら速攻でバッドエンド処刑台にUターン直行なんだから。大人しく悲劇のおままごとなんか誰がやってやるか!!)
狙うのは第一王子の側近にして、私の処刑に最も強力な物理加担をかましていた武の頂点。
ローデリク・ヴァルガ騎士団長、その人である。
執務棟の頑丈な鉄扉の前。警備の騎士たちが目を丸くして私を見た。無理もない。前世の私なら、こんな血と鉄の匂いしかしない前線基地に自分から足を踏み入れる度胸なんて持ち合わせていなかったのだから。
「り、リゼ様! 此度はどのような女神の導きで――いや、その。お声掛けもなくこちらへとはいかがなさいましたか」
「大いなる祈りのさなか、騎士の皆様の気高き献身が心の目に映りました。団長閣下は中に?」
「は、はい。ですが、今は山積する急報の対応で……少々、ご機嫌の底が抜けかかっているといいますか」
苦虫を三万匹噛み潰したような顔をする警備兵。気安く近付けば腕を噛みちぎられると怯える態度が丸見えだった。前世ならば「そ、そうですか。出直します」とおずおずと踵を返して終わりだろうが。
今のこちとら、その男に無感情に見捨てられて最後通告を下された経験済みのガチ生還者なのだ。怖いか? 笑わせる。マジで地獄みたいな面で殺してきた連中より百倍可愛いものではないか。
光を抱くような優美な仕草で胸元に両手を重ねた。
「どうか案ずることはありません。彼とて神の恩恵を退けることはないと、天がささやいているのですから」
「おお……流石は聖女様だ。でしたら」
ころりと開いた道。
私はゆっくりと足音を抑えながら、神の使いらしいしとやかなフォームで室内へと滑り込んだ。
広々とした執務室は、まるで凍てつく氷原のような張り詰めた空気に沈んでいた。
机の奥で、膨大な羊皮紙の束を次々と殺人的な速度で裁いている黒き騎士の威容がある。首元まで厳格に留められた軍服。背筋に一滴の妥協も許さない分厚い肩のライン。無骨で鋼のような右腕。
視線を書類に落としたまま、ローデリクは私が立ち止まったことに気づいてペンの動きを止めた。
「何用だ」
氷の塊を床に叩きつけたような冷音だった。
視線すら向けてこない完全無欠の塩対応に、内臓が一気に冷え上がりそうになる。
こえー!! 前世では、これ食らう度に(私なんかが祈ったところで不敬だよねごめんなさいもう来ません)って震え上がって全肯定で逃亡してたんだ!そりゃ舐められ放題の見限られコース一直線になるってものだ。
「大祈祷のお恵みを終え。神より授かった安寧を、一番に日夜お支えくださっているヴァルガ団長にお届けしたく参ったのです。王都周辺の結界の見回り、並ならぬご負担かと」
ローデリクが、わずかに苛立ちの眉間を寄せて私を見上げた。鋭い眼光は敵を見るものと同じ熱度のなさだ。
「聖女の役目はただ無垢なままに祈りを捧げることだ。ここに貴様の慈悲を持ち込む必要はない。帰れ」
「冷たきお言葉の中にも、王国の秩序を憂う尊き祈りがあるのだと受け止めさせていただきますわ」
「……帰れと言ったはずだ。私が何を憂おうが、貴様のように安全な籠の底で光を見上げている者には何の足しにもならん」
うおお、ド正論の皮を被った絶対的遮断シールド。一歩踏み込めば物理的に斬撃が飛んできそうなお決まりの問答だ。前回の私はまさにこの言葉を鵜呑みにして「私ごときの世間知らずが口出しなんて……」としおらしく沈黙の沼へ引き返したのだ。
だが私は。一回落とされた私だけは、そんな表層のポーズに騙されない。
――ローデリク・ヴァルガ様よ。あなたは前回、死にかけの私の真ん前で、「安全な場所にいれなかった可哀想な生け贄を見る」ような惨状ヅラして黙ってた。アレを絶対に私怨とは呼ばない。
神聖なる微笑を貼り付けたまま、私はスカートを優雅に引きながら机にたった半歩だけ踏み込んだ。
口を開く。私が向かう予定になっている、本日の「午後の公務」。半年前には私が深刻さにこれっぽっちも気が付かなかった単なる辺境のお悩み事、だと思い込んでいた地雷そのものへと。
「王都は確かに平和ですわ」
「当然だ。そこまで見えているのならとっとと――」
「では。公の目に留まることのない外れの町で噴出している、あまたの“癒えぬ病と不可解な負傷”は。すべて私への気遣いとして封殺なさいましたか?」
――ピキィン、と。
何かが軋む音がした。いや、本当に物理的な音ではなく、目の前の武神が生命活動を丸ごと五秒間停止した気配だ。
机の上を行き来していた冷酷なペンの走りが止まった。ローデリクの肩の筋肉が、分厚い制服の下で爆発的な緊縮を起こしている。息が一切出入りしていないのが丸わかりの胸郭の固定。鋭い眼光の底に走る、誰よりも強固な土台を踏み外しかけた不気味な微細な眼球の揺らぎ。
極めつけは、その手が私を見上げながら机の中央にある幾束かの資料を――「読まれないため」に己の左の分厚い剛腕ごと強引に押し潰して覆い隠していたことだ。
図星、百発百中のど真ん中!
「…………何を、どこで聞いた」
放たれた声音は底を打っていた。喉を無理やり通過する空気がひび割れている。
「午後には第三塔で私の儀式。それとは別に、今日は……南から小さな客人がお見えになりましてよ。なんの力も届かない地方の実状を訴えにね。光が行き渡らないとはどのような事情であるのか、私は深く悲しく思っているのですけれど」
「それは妄言の類だ。すべて。……ただの一語も拾うな」
机の奥の暗闇から聞こえる獣の呻き声。威圧の波動だけで小鳥なら十羽は気絶して空から墜落するかもしれないド級の魔王オーラだった。
「ただ静かに祈ればいいと申し上げましたか?」
「そうだ! お前は余計なものを見聞きする必要はない!」
ドン!と覆い被せた腕ごと、机の資料が痛ましい音を立てた。紙がくしゃくしゃにひしゃげるのも厭わずに叩きつけられたローデリクの鉄の拳。
私への軽蔑でも私怨でもない。それは完璧に。自分よりも立場の弱い人間(聖女)を絶対禁忌の特大情報に「巻き込むことを防ぐための怒声」。必死の囲い込みだった。
あー、もうバッチリ完全にお繋ぎいたしました。ありがとうございます!!
お前もやっぱりそっち側だったか。ただ嫌いだから「貴様のように甘ったれたやつは用無し」と言ってたんじゃないんだ。表向きに一切の波風も立てちゃいけない異常な『なにかの歪み=被害』を国単位で丸ごと一人で押さえ込んで、自分の限界を超えたまま狂ったような隠蔽対応をひたすらやってたのか。
だったら私の処刑の時、一人で後悔背負い込んだみたいな絶望の土気色にもなるだろうよ! お前の目の中には、全体を護るためには一部を封殺して押し切らなきゃならない大層で非情な盤面が見えてて、それを選ばされちゃったんだ。
すべてが合致したところで。追及してやみくもに相手の正気を蹴っ飛ばしても、私が首輪にかけられるルートが爆速進行するだけだ。
ここはおしとやかに撤収してあげるのが最高のお遊戯だろう。
「荒ぶる声にすらも、すべてを背負う重責をお見受けいたしました」
聖女の型・第三番、「憂いを含みつつの大慈悲礼のターン」。私はまぶたを重そうに伏せ、微塵も彼の秘密を嗅ぎまわっただなんて空気を出さない完璧な無知ぶりをキープした。
「すべては神のおぼしめしのもとに。どうかお体にお気をつけて。不毛な杞憂を持ち込みましたこと、水に流していただけるなら幸いですわ。では失礼いたします」
「待て――いや。二度と来るな」
喉元まで追及が出かかっていたのを必死に堪えたのはそっちの方じゃないか。
踵を返し、何事もなかったかのように執務室を出る。
その直前。ドアが閉まる寸前の十数センチの細い暗がりの隙間から。私は決して忘れない決定的な動きを見た。
私が完全に消えたと思った瞬間に。冷血鉄面皮騎士の権化である彼が、滝のような油汗をうっすらと浮かべながら、必死に体で隠していたその資料束のなかから「黒い教会の蝋印」のような不吉な封で閉じられた書状だけを引き抜き。己の椅子の下に組み込まれている極秘の小金庫の中へ、祈るような荒い呼吸で手荒くねじ込んで、物理鍵と暗号式で二重三重のガチガチの封をしていく様を。
ガチャリ。
視線を完全にシャットアウトした分厚い扉の外で。私は思わず片手で口元を覆い、爆発しそうな嘲笑と戦慄を必死で抑え込んだ。
「――――馬鹿馬鹿しいくらい大爆発間近なんじゃないのさ」
どう考えてもこの男、個人に任されるには許容量オーバーにもほどがある劇薬爆弾を後生大事に守り続けている真っ只中だった。
結界と外れ町の異変。極秘の神殿暗号印つきの謎資料。そして、なぜか安全な祈り手だったはずの私というスケープゴートへの断罪ルート。
これが繋がってない訳がない。私の命綱をへし折ってきたこの殺人装置の中心部にある連中は、それぞれの場所で勝手な被害と後悔と隠蔽に振り回されながらパニックを起こし、私を生贄へ運んでいたということだ。
私が知らない間に彼らの何らかの地雷は着火しており、放置すれば結局「この事態すべてを無かったことにする魔法のカード・何も知らないお粗末な無力偽聖女の処刑コンボ」へと至るだけ。
なら答えはシンプルだ。
「一人残らずこの絶体絶命隠蔽工作を白日の下に引っ張り出して。誰一人勝手に楽にしてなんかやるものか!」
午後からの南代表との面会にどんな伏線がぶら下がっているか、これで私にも最高のはっきりと明確な目的が生まれたのだった。




