第2話「コンティニュー不可のデスマーチとかふざけないでほしい」
「かはっ……ああっ!!」
窒息。引き千切れるような凄絶な擦過痛。極限まで跳ね上がった首の一点への圧力。
すべてが終わる絶望のどん底から、私は弾かれたように上半身を跳ね起こした。
あまりの恐怖に両手で自分の喉を掻きむしろうとして、爪が布地の柔らかな感触に引っかかる。指に絡みつくのは分厚い処刑用の縄でもなければ、流れる血でもない。上質な絹で仕立てられた、さらさらとした就寝用の肌着だった。
「ひゅ、はあ……っ、え、なに。あれ」
乱れた呼吸のままに視線を彷徨わせる。
落ちるはずの真っ暗な底なんて、どこにもなかった。目の前には上品な彫り込みが施された重厚な天蓋の柱。視界の隅では朝日がレースのカーテンを黄金に透かしている。空気は甘く静かで、どこからか聞こえてくる小鳥のさえずりが、脳髄を切り刻むような処刑広場の大怒号をすっかり彼方へ押し流していた。
王都中心部から隔離された、神殿の奥深く。紛れもない私の私室である。
(な、なんで? 私、落とされたのに)
指先がガチガチと音を立てんばかりに震えていた。握りしめたシーツにはじわじわと汗が染み込んでいく。
これは死後の世界にしては生々しすぎる。それとも処刑という非日常の極みがもたらした極悪非道な明晰夢の類か。いやいやいや、そんなはずがない。あの、喉の奥の軟骨が砕けそうになった痛烈な熱が。英雄と名高い最強メンバーたちが一堂に会して「自分たちが世界一可哀想です」みたいに披露してきた前代未聞のお通夜ヅラフェスティバルが、夢なんかにすぎないなんてあるものか。
こんこん、と。
お上品に二回、分厚いオーク材の扉がノックされる音がした。
続いてカチャリと金属のノブが回り、部屋の入り口から遠慮がちに入ってきたのは見慣れた初老の姿だ。少し背を丸め、濃緑色の地味な神殿制服に身を包んだ私の筆頭侍女である。
「リゼ様。お目覚めの時刻にございます」
「……ハンナ」
「どうかなさいましたか。たいそう、お顔の色がよろしくないですが」
ワゴンにお茶の用意を乗せて入ってきた彼女は、私を処刑の朝まで変わらぬ声音と距離感で世話してくれていた数少ない人間だ。だが、私の視線はハンナの皺の寄った親しげな顔ではなく、ワゴンの上を這うように釘付けになっていた。
陶器の花瓶。そこに挿されているのは、王都の南でのみこの季節にひっそりと花をつけるラティウムの真っ白な蕾だったからだ。
(つ、蕾? 秋……の初め。私の処刑日はたしか春に差し掛かっていたのに)
乾ききった口内を持て余しながら、私は自分をごまかすためだけにどうにか唇を開く。
「ハンナ。少し頭がぼうっとしていて……今日の予定を教えてくれる?」
「今日は第一回大祈祷の日ですから、午前中から儀式室へ入られますよ。午後は第三塔への訪問と、それから南区の代表者様との面会が入っております」
嘘だろ。大祈祷は秋を告げる最大儀式だ。
それだけではない。午後の第三塔訪問は「宮廷魔法使いが管轄する測定器への登録日」で、南区代表との面会は「地方での不自然な魔物被害報告」の耳に入った最古の記憶の日だ。私が「本気を出せば誰も傷つけずに国を護れるかも」なんて純真に思い込んで、無駄に祈りの出力を上げた記念すべきハードワークの開幕日じゃないか。
あまりの合致っぷりに私は沈黙した。
ガンッ!!
「きゃあ! もうっ」
「――――!」
次の瞬間、外の硝子窓に何かが勢いよく衝突して、鈍い音を立てた。窓辺の掃除をしていたハンナが小さな悲鳴を上げている。迷い込んだカラスが外壁に叩きつけられたのだ。
私は目を見開いたまま固まっていた。まったく同じだ。何もかも、あの日起きたことの寸分違わぬ再現である。あの窓ドンカラス事件、半年前の私はおびえて羽のお祓いなんぞをしてやったけれど、記憶通りの順序でイベントが発生しすぎている。
(……確定。天界の記録台帳でもバグらない限り、間違いなく私は、半年前に完全に時間が戻ってる)
これ以上の状況説明は必要ない。私が絞首台から落ちた後、どういうミラクル女神のパワーが働いたのかは知らないが、王都が私の存在ごと死の結界の口実に踊らされたその最期から、「半年分」きっちりリセットを食らったということだ。
「リゼ様?」
「ああ……なんでもないの。ただの悪い夢。朝の祈りをしたら向かうわ」
「承知いたしました。では着替えを」
「少し一人にさせて」
「……はい。外におりますゆえ」
不思議そうなハンナを下がらせて、一人きりの室内に静寂が落ちる。
誰もいなくなった瞬間、抑え込んでいた膝の震えが再び狂い咲き、私はベッドの上に崩れ落ちた。
「嘘だろ嘘だろ嘘だろ……」
時間遡行。天界のバーゲンセールで引くべき当たりとしては申し分ない奇跡だ。やり直せるのなら次こそ逃げ出せばいい。けれど。
――あつい。
――どうしようもなく、首の裏があつい。
私の手を導くように、見えない熱がうなじの付け根で疼いているのだ。火傷の痕なんてどこにもないのに、その部分は処刑台のロープが最後に残した感覚を今も鮮明に引き継いでいる。それは、単に恐怖の幻覚ではなく、私が何らかの「極細の一本釣り」の恩恵でどうにかこの崖っ淵に引っ掛かっただけに過ぎないと訴えかけてきていた。
感覚が教えている。これを天の大盤振る舞いだなんてはしゃぐな。次にどこかのバッドルートに迷い込んで足場が外れた日には、あの絶対的窒息が今度こそ現実の最後を迎えるぞと。コンティニューなんて無いのだ。文字通り首の皮一枚で踏みとどまったにすぎない。
(また私が、処刑台まで……? いやいやいやいや、そんなふざけた未来図、二度と御免ですからね!)
絶望と震え。それがピークに達したとき、私の中にある別の黒い炎が一気に爆発して状況への恐怖を塗りつぶした。
そうだよ、前回の私がどうやって死んでいったかを考えろ!私は神殿の聖女のひな型通りの「清らかにただ神と国へ祈りを捧げ、不本意な噂が流されても静かに真面目にしておけば必ずわかってくれる」と信じるクソ真面目ヒロインを全うしていた。で、どうなった?誰が迎えに来た?
私を出迎えたのは国境警備のお偉いさんではなく、白日の下に設置された立派すぎる公開死刑のお立ち台と、無意味で大衆に媚びまくった呪詛のパレードだ。
さらに思い出すだけで顔の筋肉がひくつくな!
最後に私の最後通告に来たあの英雄たち。第一王子の美しい氷の面は絶望の土気色。王都一と名高い大神官の両手は神に唾を吐く寸前のような異常な緊張で強張り、すべてを解き明かしてきたはずの天才魔法使いの顔色は三徹開けの地縛霊以下。そして、無表情に一閃で首を落としてくれりゃいいものを、騎士団長に至っては自分の方が喉元かっ斬られて今にも号泣するんじゃないかってほどの痛ましい顔でうろたえ腐っていただなんて。
「……何よそれ」
呟く自分の声は、低くかすれていた。
「誰かを犠牲にするしかない事情でもあったっていうの? 全部知った上で見捨てたあんたたちが、いざ処刑の場になったら痛くてたまりませんみたいな被害者ヅラ?」
はっきり言わせてもらおう。知るか、そんなもの!
同情なんか湧かない。誰がどんな重い国のしがらみで病もうと、殺されるこっちにしてみりゃ全く慰めにはならないのだ!私が何の手柄もなく弱いからだの、私が無価値のゴミ魔女だの言って踏みつけにしたくせに。祈って流すだけで一方的に私が枯渇していくようなバカみたいな力を吸い取られて、その原因すら分からずに最後は全責任だけ負わされて見世物にされるとか、理不尽極まりない悪夢にも限度があるだろう。
息を大きく吐き出し、鏡の前に立つ。
そこには恐怖に血の気を引かせた弱い小娘が、けれど怒りでぎらついた真っ黒い瞳だけを異様に輝かせている姿があった。
「もう二度と、前みたいに大人しくなんかしてやらないんだからね」
聖女の看板なんて綺麗ごとでおままごとをやっている時間はゼロ秒だ。復讐なんておあつらえ向きの非効率な趣味にかまけている余裕すら無い。私はただ生き残るために最速のタスクリストを組み立てる。
あの断罪システムが私を完全に仕留めにくる前に。
なぜ私から不均等に過剰な祈りの力が消えていたのか。なぜ神殿も、王宮も、すべてがあんな急ごしらえの口実で私の破滅のハンコを押したのか。それを明らかにして証拠を集め、クソッタレな冤罪装置そのものを木端微塵にしてやればいい。そのあと誰がお飾りとして残るべき国の問題で頭を抱えようと知ったことか!
方針は固まった。
お上品に「ひい、可哀想な私、また巻き戻ってしまいましたぁ」なんてお星様を見上げて泣き言を漏らす脳細胞の在庫は切らしている。問題はどこから攻め落とすかだ。あの訳のわからない国務の怪物四人衆は、絶対に何かを知っているか、どこかの事情で縛られている。あそこから何らかのヒントのしっぽを引きずり出さなくては話が進まない。
王子に近づくのは最も分が悪い。前回の動きを見る限り、どう足掻こうと冷酷に私の介入を弾きにくる。神殿でのお飾りである私の状況上、情報の大元である大神官に探りを入れるのはまだ時期尚早。偏屈の権化である魔法使いも証拠なしでは突破できない鋼の扉だ。
残るは一人。
あの時、前列に立ちながら処刑そのものの決定に一番の反発とも、自滅ともつかない重い怒りを自分の内側に溜め込み、不毛なジレンマに引き裂かれていた分かりやすい巨壁。大前提として実力行使ができる立ち位置の最強戦力。
「あの日、死にかけの私に向かって限界間近な負け犬みたいな顔を見せた男……ローデリク・ヴァルガ様。おのれだ」
彼のもとから綻びをこじ開けてやる。まずはこの絶体絶命ルートに大穴をぶちあけてやるためにも、最高の騎士殿の下へと最短最速の強行面会と洒落込もうじゃないか。




