第1話「天の導きフル無視の超絶大惨事なんですけど!?」
「異端だ!」
「偽物を吊るせ!!」
「災いの魔女め、消え失せろ!!」
おお、空を裂く大喝采。
次々と投げ入れられる汚泥のごとき呪詛、飛んでくる謎の木切れ。それらを慈愛に満ちた微細な首振りで避けつつ、私は深く伏し目がちに瞑目した。悲しみを内に秘め、静寂なる祈りで天に心を預ける見事なる聖女の型である。
その実、一歩でも動けば膝の震えがバレるほどの絶体絶命ルートど真ん中だった。怖い。マジで怖い。女神のミラクル防御魔法かなんかないのかコレ!ワンチャン今から背中に光の羽根とか生えませんか無理ですか!
王都の中心にそびえる大広場。足元では私に向けられた憎悪の坩堝が沸点に達している。最近の王都はやたらと結界が乱れるし不穏なことが重なっているらしく、「見えない恐怖をとりあえずコイツ一人のせいにしようぜ」の盛大な生け贄フェスティバルが開催されていた。
私は分厚い縄で縛られ、木でできた嫌に高い足場の上にポツンと立たされている。視界の少し上には輪っか結びされたぶっといロープがスタンバイ完了。ちょっと待って、これ普通に私が吊られるヤツじゃないか?冗談ですよね天界の皆様。私の日々の祈り、天引きされ過ぎてるのか出力弱めでしたけど、神に誓って真面目に祈ってましたよね!?なのに「でたらめ」とか「王都を騙した異端」ってなに?裁きの工程があまりに飛躍しすぎてないか!
「皆さん、鎮まりなさい」
ふいに、広場を揺るがす騒音の上に重厚な響きが落ちてきた。
人々が一斉に頭を垂れる。足音もなく進み出たのは、黄金の刺繍を重く纏う権威の頂点、大神官マティアス。絶対不滅の教理の権化であり、私をこの死への特等席へと一番に推し進めた人間の一人である。
白髪の交じる頭部と冷ややかな彫りの深い横顔。神殿の決定事項には一ミリの私情も挟まぬと宣言する冷血っぷりがウリなのだから、きっとさぞ堂々と神の鉄槌を下しに来たのだろう。
――え。なんで、あんな風に杖を握り締めてるんだ。
祈りの形に組まれている大神官の両手は、関節が白く浮き上がるほどに異常な力で圧接されていた。表情こそ凍りついているが、分厚い唇の端がぶつぶつと音を立てる直前の不気味な震えを起こしている。私を完膚なきまでに悪魔扱いして気持ちよく神意を説いてくれればいいものを、まるで見えない悪霊に背中を噛み付かれているような強張りを湛えていた。
「静かに」
群衆の隙間から凍えるような静気を放って姿を現したのは、銀色の装束に身を包んだ冷徹の知。宮廷魔法使いユリウス様だ。私の力がないことを精密に計測し、処刑決定の理論を組み立てた絶対理性の象徴である彼。いつもならこんな凡俗の怒号になど片眉をあげるだけのはずだ。
ところが彼が手にしているあの綺麗な観測用の魔石盤。指の腹で神経質に擦りすぎだ。目元にも異様なほどクマが浮いている。まるで自らの頭の中に積んだ盤石なはずの数字から逃げ惑っているように、視線の先が一向に私に定まらない。なんだろう、すごい、怖いんですけど!普通に悪党ヅラで見下してくれよ!
「道を開けろ」
続く低音に広場の空気が急冷却された。真っ黒い騎士の正装を纏い、威圧のままに現れたのは最強の盾である騎士団長、ローデリク様である。
常に最前線で命のやり取りをしている本物の軍人。それだけに、王都に巣食う偽聖女なんて問答無用で物理的に両断してくれる冷徹さをお持ちだと思っていたのだが。彼はこちらを見上げておきながら、私に向ける殺気が極限までひしゃげていた。
(何それ)
私に向けるべき怒りが、完全にどこかで迷子になっているのだ。口を一文字に結んで微動だにしない巨躯。だがその視線はどうしようもないほど暗く澱んで、私の縛られた手首を見たあと、自分でもどうしていいか分からないような暴力的な苦痛の影を滲ませた。
(待って。ちょっとマジでなに?この状況なんなの)
私は極限状態の脳内で荒ぶりかけた。処刑の段取りだ。私一人が圧倒的に不幸で、「自分以外はみんな喜んでいる最悪なエンディング」を受け入れようと死に物狂いで感情の防衛線を構築していたというのに。
「罪人」
声が落ちた。冬の湖のように、痛いほど静かで滑らかな男の響きだった。
彼だ。群青の重いマントを翻し、処刑の場の最後にやって来た男。すべての裁定者である、第一王子セオドール・アルヴェイン殿下が私の前に立ちふさがったのだ。
国を背負う、決して取り乱さない美貌の継承者。王都の平穏を守るためには私程度の存在など冷たい決断ひとつで切り捨てるだけの覚悟を持つ方だ。現に彼は私の処刑という結論を最終承認した。私が神殿にも見限られた後、いの一番に王室権限を使って隔離処刑の段取りを決定した人間だ。冷たい見下しの眼光で私の喉笛を完全に折ってくれるはずである。
「お前の存在は……結界を損ない……いや」
王子の美しい薄い唇から零れた声が、奇妙な摩擦を起こして途切れた。
(……ええ?)
はっきりと見えた。下から私を見上げた彼の手首の袖口。微細な、けれど取り繕えない明確な震えがあった。
まつ毛を下げた王子の目は、罪人として葬られる哀れな私のものよりずっと、ずっと深く冷ややかな暗闇に沈み込んでいる。
「その罪をもって、命で贖うよう命じる」
処刑宣告。絶対に揺るいではならない王者の判決だった。だが、彼の最後の一言にはどうしようもない破滅的な響きが混ざり込んでいた。まるきり勝者のそれではなかったのだ。
なんだ、それは。
なんだ、今のあんたたちのその様子は。
私という「目障りな災いの種」を完全に根絶やしにするっていう瞬間なのに。自分たちが圧倒的な強者の位置に立ち、私はただ抵抗すら許されず縛り首にされる立場なのに。
(大神官殿、ユリウス様、ローデリク殿、……そして殿下)
一人として、「すべてが上手くいって安堵した勝者の顔」なんて欠片もしていなかった。
大神官の目はただ虚ろに逃げており、魔法使いは壊れた機械のようにうわごとを呟くように唇を動かし、最強の騎士の柄を握る腕は石のように硬直していた。そして死刑を命じた張本人の第一王子の目は、大事なものをこの手で粉々に握り潰したかのような痛みに見開かれている。
なんだよ。何その悲惨極まる連帯感。お通夜みたいな顔してんじゃないよ。
こっちは! これから死ぬんですけど!!
本当に憎くて悪魔を払う正義だと信じているなら、最後まですっきりと胸を張って断罪すればいいじゃないか!そっちから切り捨てたくせに!処刑されるこっちの悲哀なんかよりも百倍くらい致命傷を負ってます、みたいな絶望的な顔を、なんで!
理由なんてわからない。神から遣わされた使徒たちでも解き明かせないレベルの大混乱。ふざけるな、意味がわからない。なんなの、一体誰のための処刑なんだよ!
「執行!」
彼らの不可解すぎる絶望に思考を持っていかれたそのとき、誰かが下した合図とともに、私の足元の踏み板が外れた。
「――っ!?」
内臓が全部上に浮き上がるような圧倒的な落下感。視界が一瞬で下にブレ、全身の重力が見事に首の一点だけへ集中しようと引っ張られる。
痛っ、あっつ、
喉に強烈に食い込んだ太いロープが凄まじい衝撃を伴って擦れ、信じられないほどの鋭利な痛みと火のついたような熱が爆発した。
喉が詰まり、暗黒に突き落とされていく視界の中で最後に切り取られたのは。
死ぬ私なんかよりもずっと深い悲しみで顔を歪め、指が千切れるほど拳を握り込んで立ち尽くす、断罪側の英雄たちの惨憺たる姿だった。
(な、なんなん、あの顔マジでえええええ――っ!!)
天が崩れるかのような極上の理不尽さにぶつけようとした渾身の怒りも、すべて強烈な痛みの中に融けていき。
首元の熱い感覚だけを残したまま、わたくしリゼの生涯の第一章は、問答無用で暗闇へと没していったのである。




