調査報告
旧プロデューサーの捜索は、恋愛相談とはまるで違う顔をして進んだ。誰が誰をどう思っているか、どの言葉にどれだけ熱が混ざっているか、そういうものを見ていた時間とは違い、こちらは足跡と時刻と金と噂の出所を見る作業だった。斎太は三文演義の業務共有枠が安全柵として一応の形を持った翌朝、キッチンではなく桜太の部屋にいた。机の上には地図が出ている。最後に旧プロデューサー本人が確実に確認された場所、本人が出入りしていたと言われる飲食店、三文演義の旧事務所、買収前に上層が使っていた会議室、借金関係の噂が強く残っている地域、そして、それぞれの情報に確度を付けたメモ。赤い線は本人確認あり、黄色い線は伝聞、灰色の線は噂だけ。画面に落とすと、赤はすぐに途切れた。黄色はやたら長く伸び、灰色は街の上に薄い煙のように広がっていた。
「見つからないな」
斎太が言うと、桜太はすぐには返事をしなかった。モニターの片側には、アスリート共からの報告が並んでいる。ミミヨンは借金筋を洗ったが、直接の取り立てや連行を見た証言は拾えていない。虎尾一は最後に本人が確認された場所からの動線を辿ったが、本人と断定できる映像は途中で消える。夢夢六句は噂が広がった時間と投稿を追い、丁字咲耶は「借金で連れていかれた」という言い方が、実際の目撃ではなく、上層の使い込みと失踪告知を見た外野の連想から発生している可能性を強く示した。つまり、失踪は失踪として残っているが、誰かに連れていかれたと断定できるものはない。逃亡と断定するにも、本人がどこへ消えたかがない。可能性だけが残り、本人だけがいない。
「見つからないこと自体が情報だ」
桜太はようやく言った。
「都合のいい言い方だな」
「都合が悪いから言っている。見つからないなら、今いる人間で回すしかない。戻ってくる前提で考える段階は終わっている」
斎太は椅子に深く座り直した。旧プロデューサーの顔写真は、何度見ても決定的な印象を残さない。真面目そうで、疲れていそうで、悪人にも善人にも見える。そういう顔は一番困る。物語なら、逃亡者の顔には逃げる前から逃げそうな影が差していてほしい。現実に近いものはそうではない。昨日まで現場を回していた人間が、ある日いなくなる。理由は残らず、名前と席だけが残る。
ドアが開き、ミミヨンが入ってきた。続いて虎尾一、夢夢六句、丁字咲耶。四人とも恋愛問題に入れてはいけない顔をしているが、こういう調査には向いている。感情を読ませると雑だが、足と目と反射は使える。ミミヨンは資料を机に置き、勝手に椅子へ座った。
「借金で連れていかれた説、弱い」
「理由は」
「見た人間がいない。あるのは、あれだけ借金があればそういうこともあるだろって話だけ。あと、上層が金を使い込んだ話と混ざってる。旧P個人の借金なのか、会社の借金なのか、上が押しつけた責任なのか、外では全部同じ鍋に入ってる」
斎太は嫌な顔をした。
「鍋に謝れ」
「たとえ話だよ」
「食材が悪い」
「じゃあゴミ箱」
「それは合ってる」
虎尾一が地図を出した。最後に本人確認が取れている場所から、複数の線が伸びている。駅へ向かう線、車で移動した可能性のある線、徒歩で消えた線。だが、赤い線は途中で止まっている。
「映像はここで切れる。本人っぽい後ろ姿はあるけど、顔がない。歩幅や姿勢も似てるけど、断定はできない。逃げたならこの先で交通機関に乗るのが自然だけど、購入記録をこっちで取れるわけじゃない。連れていかれたなら車両が必要だけど、それっぽい車の証言も弱い」
「つまり、分からない」
「分からない。ただ、無理やり連れていかれた感じは薄い。騒ぎもないし、急な抵抗の跡もない。自分で移動した可能性の方がまだ強い」
夢夢六句は机に肘をつき、眠そうな顔で言った。
「噂の走り方が変。実際に見た人が広げた噂じゃなくて、みんながそうだったら面白いと思って補強してる感じ。借金、失踪、買収、上層の使い込み、この四つがあると、連れてかれたって話は勝手に育つ。で、育った後に『そう聞いた』が増える」
丁字咲耶がその続きを引き取った。
「噂の初期投稿を追うと、断定形ではないの。『借金で連れていかれたんじゃないか』『逃げたのでは』『上に押し付けられたのでは』という推測が、引用と切り抜きで少しずつ確定に近い言い方へ変わっている。実際の証言ではなく、推測の熟成ね」
「嫌な発酵だな」
斎太が言うと、丁字咲耶は無表情で頷いた。
「腐敗に近いわ」
桜太は四人の報告を聞きながら、旧プロデューサーの資料に付箋を貼った。逃亡寄り、ただし断定不可。連行説は噂として強いが根拠薄い。死亡情報なし。目撃途絶。本人不在は確定。斎太はその最後の言葉を見た。本人不在は確定。それだけが、現場にとって一番重い。
「元個人勢三人は?」
斎太が聞くと、桜太は別の通話枠を開いた。三文演義のストリーマー時代からいる三人。海外勢として大きく伸び、数字で言えば大御所と同じ棚に置ける者たち。彼らは恋愛相談の当事者ではない。企業がなくても活動できる。三文演義が沈んでも、自分たちは泳げる。それでも通話には出た。興味があるからではない。巻き込まれたくないからだ。
最初に声を出したのは、以前も斎太と話した一人だった。アバター表示のまま、背景は簡素で、配信中の派手さはない。
『旧P、やっぱり見つからない?』
「見つからない。借金で連れていかれた説は弱い。逃亡寄りだが断定はできない」
『だろうね』
「驚かないな」
『驚く材料がない。あの人が戻ってきて全部説明します、の方が驚く』
二人目の元個人勢が、少し低い声で割り込んだ。
『こっちから見ると、前Pが何者だったかより、消えた後に誰が席を埋めたかの方が大事だよ。空席って、放っておくとみんなが勝手に意味を置くから』
三人目が続ける。
『今の新Pが座っているのは、ただの担当席じゃない。逃げたかもしれない人間の後任で、使い込んだ上層の後始末で、未成年組の相談窓口で、技術の最後の砦。そこに恋まで乗ったら、そりゃ歪む』
斎太は返事をせず、その言葉を聞いた。元個人勢三人は、四人の恋を馬鹿にはしなかった。だが、そこへ入って一緒に揺れる気もない。遠い。遠いが、見えている。数字が大きく、単独で成立する人間の距離だった。
「三人は、三文演義をどうしたい」
斎太が聞くと、通話の向こうが少しだけ静かになった。答えづらい質問ではない。だが、答え方を間違えると、事務所への義理も冷たさも露出する。
最初の一人が言った。
『別に、箱に人生預けてない。上の膿が出たなら、それはそれでいい。自分たちは一人でも稼げる。三文演義がなくなったら困るかと言われると、正直、活動そのものは続く』
二人目が続けた。
『でも、変な死に方は困る。未成年管理の失敗、プロデューサーとの距離感事故、借金絡みの続報、そういうので燃えると、うちの名前にも泥が跳ねる。ファンも不安になる。外部コラボも組みにくくなる』
三人目は少しだけ柔らかく言った。
『あと、残ってる子たちが全員どうでもいいわけじゃない。恋愛は知らない。でも、運営が狂って潰れるのは嫌だよ。前にいた企業所属の子たちが抜けた時も、残った側はかなり揺れた。次に何かあれば、若い子たちはもっと直撃する』
「だから、統制だけ見てる」
『そう。恋の勝ち負けじゃない。内部統制。誰が何を決めて、誰が記録して、誰が止めるか。そこが見えない状態で、好きです付き合います支えますって始まったら、もう事務所じゃない』
碧野畏敬が聞いたら頷きそうな言葉だった。斎太はそう思った。元個人勢三人は、畏敬よりさらに外側から同じものを見ている。恋愛感情ではなく、箱の機能として。朱木榊のように守る側へ感情が向くのでもなく、新緑抹茶のように選ぶことへの後悔を抱えるのでもなく、菫天紫のように喪失を預けるのでもない。ただ、壊れ方を見ている。冷たいが、必要な視点だった。
「業務共有枠は見た?」
『見た。あれは良い』
一人目が即答した。
「歪だろ」
『歪だけど、個別DMより百倍マシ。新Pが短文で返して、若い子が勝手に意味を盛るより、共有された場所で業務と感情を分けた方がいい』
二人目が言う。
『ただ、恋愛戦術になった瞬間に潰す。外堀とか逃げられないとか、そういう言い方は外に漏れたら終わる。中でも使わない方がいい』
「もう言った」
三人目が少し笑った。
『ならいい。安全柵って言い換えたんでしょ? あれは良い。落ちないように囲う。逃げないように囲うんじゃない。その違いを全員が忘れなければ、しばらく持つ』
しばらく。
その言葉が正確だった。永続ではない。解決でもない。しばらく持つ。三文演義は今、そういう箱になっている。元々は舞台をバーチャル化しようとした企業で、ストリーマー路線に転向し、海外勢で伸び、上層の使い込みで沈み、買収され、前任が消え、今は新プロデューサーが経営を学びながら技術で繋いでいる。そんな事務所が、一発で正常化するはずがない。できるのは、沈まない形を一つずつ増やすことだけだった。
桜太が通話に入った。
「三人には、業務共有枠の外部確認を頼むことがある。恋愛には口を出さなくていい。だが、運営上の危険が見えたら止めろ」
『止める権限は?』
「正式な権限ではなく、警告権だ。記録を残せ。止めた理由を残せ。無視された場合は上へ回す」
『上って今どこ?』
皮肉の混じった声だった。上層が金を使い込んで買収され、前プロデューサーが消えた後の「上」は曖昧だ。桜太は表情を変えずに答えた。
「買収後の管理側と、俺だ」
『桜太さんが上か』
「仮の重しだ」
『重しがあるだけマシだね』
桜太は否定しなかった。斎太はそのやり取りを聞きながら、元個人勢三人の距離感を理解した。彼らは三文演義を家とは思っていない。だが、現在地ではある。家ではなくても、足場が腐れば転ぶ。だから腐り方を見る。必要なら板を置く。愛情ではなく、活動者としての生存感覚に近い。
通話が終わると、部屋には少しだけ静けさが戻った。アスリート共はまだ残っている。ミミヨンが椅子の背にもたれながら、旧プロデューサーの資料を指で叩いた。
「で、こっちはどうするの」
「見つからないで一旦止める」
斎太が言うと、虎尾一が眉を動かした。
「止める?」
「探して見つからないことは分かった。これ以上は警察でも探偵でもない俺たちがやることじゃない。借金で連れていかれた説は弱い。逃亡寄りだが断定不可。死亡情報なし。本人不在だけ確定。それ以上は、今の三文演義を動かす材料にならない」
夢夢六句が欠伸を噛み殺しながら言った。
「じゃあ失踪のまま?」
「表向きはな。ただ、こっちの扱いは変える。戻ってくるかもしれない前任じゃなくて、戻らない空席として扱う」
丁字咲耶が頷いた。
「空席を空席として扱う。前に元個人勢の人が言っていたわね」
「そう。そこに誰かが戻る前提で動くと、今座ってる新プロデューサーが壊れる。旧プロデューサーの責任は消えないが、席はもう空いた。現場は今いる人間で回すしかない」
ミミヨンは少し不満そうだった。
「見つけて殴るとかないの?」
「ない」
「逃げ得じゃん」
「逃げ得だよ。現実はたまにそうなる」
その言葉を出すと、部屋の空気が少しだけ重くなった。逃げた人間が捕まり、全部説明し、責任を取る。そういう形になれば綺麗だ。だが、今回はならない。少なくとも今は。旧プロデューサーは見つからない。借金関係の真相も、上層との具体的な押し付けの線も、断定できない。残っているのは、逃げたかもしれない人間と、逃げられなかった現場だけだった。
桜太が資料を閉じた。
「アスリート共はここまででいい。あとは、追加情報が出た時だけ動け」
「恋愛の方は?」
ミミヨンが聞いた瞬間、斎太と桜太が同時に見た。
「触るな」
斎太が言う。
「なんで」
「お前らが触ると、人間の心を障害物競走か何かだと思って処理するから」
「失礼だな」
「違うのか?」
ミミヨンは少し考えた。
「違わないかも」
「触るな」
虎尾一は素直に頷いた。夢夢六句は眠そうに手を振った。丁字咲耶だけが少しだけ笑った。
「恋愛側には触らない。ただ、外で変な噂が走ったら拾うわ」
「それは頼む」
四人が部屋を出ていくと、斎太は椅子に座り直した。体が少し重い。恋愛の四人と話していた時とは違う疲れだった。あちらは感情の輪郭を見る疲れ。こちらは、何も掴めない空白を掴もうとした疲れ。どちらも面倒だが、質が違う。
桜太が言う。
「旧プロデューサーは、物語の中心には戻らない」
「分かってる」
「だが、穴としては残る」
「それも分かってる」
「なら、新プロデューサーを見ろ。旧プロデューサーを追い続けるより、今の席に座っている人間がどう歪むかを見る方が早い」
斎太は返事をしなかった。第十話で見た新プロデューサーは、拘束を制作環境として受け取っていた。歪だが悪いとは思えない。四人の業務共有枠は、安全柵として機能し始めている。元個人勢三人は、内部統制を外から見る気でいる。アスリート共は、旧プロデューサーを見つけられなかった。つまり、現場は旧プロデューサー抜きで進むしかない。
夕方、斎太は三文演義の共有チャンネルに目を通した。業務共有枠の名前は正式に変わっていた。外堀という言葉は消えている。逃げられないという表現もない。個別接触の削減、返信誤読の防止、未成年管理、業務負担の分散。硬い言葉が並んでいるが、少なくとも事故りにくい。榊は相談前に自分たちで整理する項目を更新していた。畏敬は返信テンプレートの使用範囲を明確にしていた。抹茶は深夜の即決を防ぐ「一杯置く」手順に、なぜか茶以外の飲み物も許可すると追記していた。天紫は感情相談を新プロデューサー本人へ直接投げないための文面を整えていた。
四人は動いている。
新プロデューサーも動いている。
元個人勢三人は見ている。
アスリート共は空席を確認した。
斎太は、旧プロデューサーの資料を最後にもう一度開いた。顔写真、経歴、失踪告知、最後の確認地点、噂の一覧。どれだけ見ても、本人は戻ってこない。斎太はファイル名を変えた。
「旧プロデューサー捜索」ではなく、
「旧プロデューサー不在確認」。
保存する。
その瞬間、問題の形が少しだけ変わった。探すべき人間がいる話ではなくなった。いない人間の席を、どう扱うかの話になった。
夜、アキが部屋に来た。彼女は斎太の画面を見て、すぐにファイル名の変更に気づいた。
「見つからなかったのね」
「見つからなかった」
「借金関係は?」
「噂はある。根拠は弱い。逃亡寄りだけど断定できない。死亡ではない。連行も断定できない。結局、本人不在だけが残った」
アキは少しだけ目を伏せた。
「それで十分なのかもしれないわね」
「何に対して」
「今の現場に対して。戻るかもしれない人を待つより、戻らない前提で形を作る方が、少なくとも残っている人たちは助かる」
斎太は椅子にもたれた。
「逃げ得だけどな」
「そうね」
「腹立つな」
「腹が立つことと、今やることは別よ」
「分かってる」
アキはそこで少しだけ笑った。
「分かってる顔になってきたわ」
「前は?」
「分かってると言いながら、まだ旧プロデューサーが見つかれば全部整理できると思っている顔だった」
「そこまで期待してない」
「期待ではなく、便利な回収を求めていたのよ」
斎太は言い返さなかった。旧プロデューサーが見つかれば、前任の責任、上層との関係、逃亡か連行か、失踪告知の曖昧さ、そのあたりが一気に整理される。そういう便利さを、自分もどこかで欲しがっていたのかもしれない。だが、見つからない。なら、見つからないまま進むしかない。
アキは画面の共有チャンネルへ視線を移した。
「次は収束ね」
「収束と言えるほど綺麗じゃない」
「だから収束。解決ではないわ」
斎太は頷いた。恋は否定しない。四人の感情も消さない。新プロデューサーの拘束状態も、安全柵として一旦運用する。元個人勢三人は内部統制を見て、アスリート共は旧プロデューサー捜索から引く。旧プロデューサーは戻らない。三文演義の根本問題は残る。それでも、沈まない形へ少しだけ移した。
斎太はモニターを閉じた。
空席は空席のまま残る。
そこに誰かを戻すことはできない。
だが、空席を空席として扱えば、今座っている人間を幽霊の代わりにしなくて済む。
旧プロデューサーは見つからなかった。
見つからないことで、ようやく三文演義は、失踪した人間ではなく、残った人間の問題として扱えるようになった。




