フリクラ・フルクラ
四人分のコラボ雑談を終えた日の夜、斎太はキッチンに立っていた。食事のためというより、考えるために手を動かしている。白菜を切り、長ねぎを斜めに落とし、鶏肉の余分な脂を外し、きのこをほぐして袋に分ける。昨日までと同じように味付けはしない。材料だけを分けておけば、鍋にもスープにも、炒め物にも寄せられる。作るものを決めきらないまま、使える状態にしておく。その感覚が、今の三文演義の四人を扱う時にも近い気がして、斎太は少し嫌な顔をした。人間を材料みたいに考えるのは良くない。だが、まだ味を決めてはいけない、という部分だけは似ている。
食卓にはアキが先に座っていた。ノートを開き、四人の名前を並べている。ベルは鍋の火を見ながら、時々こちらへ視線を向けていた。常盤はデザートを手に取ろうとして、斎太に睨まれて一度戻し、すぐに別の小皿を取った。伊行は食卓の端で、四人の配信ログを切り抜き単位で見直している。桜太はいない。新プロデューサーの経営教育側を見ているため、この場に呼ぶと話がそちらへ寄りすぎる。今日必要なのは、四人が何を言ったかではなく、四人がどう揺れたかを家族内で揃えることだった。
「最初に言っておくけど、四人とも雑に止める相手じゃない」
斎太は袋の空気を抜きながら言った。アキは頷き、ベルは少しだけ安心した顔をした。恋を否定しないという前提を、彼女はまだ気にしている。自分が教えた距離の詰め方や労わり方が問題を進めてしまったことは理解しているが、それでも相談してきた子たちを悪く扱いたいわけではない。その甘さが危ない時もある。けれど、最初から罪悪感で潰してしまえば、今度は何も見えなくなる。
「榊は、削れている人間を見ると止めたい側だ。支えたいより先に、止めたいが出る。身を滅ぼすくらいの献身に惹かれるって言うと危ないだけに見えるけど、本人は身を削ること自体を肯定してるわけじゃない。むしろ、守る側が守られていないことに反応する。神社や観光地の話でも、祈る人間より場所を維持してる側へ目が行く」
「なら、ただの恋とは言いにくいわね」
アキが言う。
「言いにくい。でも恋じゃないとも言い切れない。止めたい、逃げ道を置きたい、守る側も守られるべきだって感覚が、一人に向いた時に恋と混ざる。本人の中ではかなり誠実な動きになるから、外から否定すると多分反発される」
ベルが鍋の火を弱めた。
「榊さんは、優しいというより責任感が強いのね」
「そう。優しさだけで処理すると間違える。場所に入ってきた願いを雑に扱いたくない人間だと思う。だから、疲れている人間を見えないふりする方が疲れると言った」
常盤が小皿を持ったまま、少しだけ黙った。
「それ、支える側に回ったら止まらなさそう」
「止まらない可能性がある。だから見る」
斎太は次の袋へ鶏肉を入れた。アキがその袋を受け取り、日付を書く。手伝う動作は自然だったが、彼女の視線はノートから外れない。
「畏敬はもっと厄介。頭がいい。経理の代打ができる程度には数字が見えるし、浪費と投資の区別も言語化できる。外部要因で壊された人間を、自己責任で切り捨てるのを嫌う。怠惰と、環境に潰された状態を分けている」
伊行が画面から目を上げた。
「新プロデューサーは後者に見える」
「そう。本人が怠けてるわけじゃない。上層が金を使い込み、前任が消えて、技術と経営と未成年管理が一気に乗っている。畏敬から見たら、外部要因でダメになっていて、改善余地がある相手だ。しかも、本人が手を出せる。数字も見られる。経理も多少できる。支える理由が立ちすぎる」
「でも、畏敬さんは線引きするタイプでしょう?」
ベルが聞いた。
「する。権限の確認も言っていた。善意で触るのと侵入は違うとも言った。依存なら切る、固定具になるのは嫌だとも言った。だから無自覚に突っ込むタイプじゃない」
「なら安心?」
常盤が聞くと、アキが首を横に振った。
「分かっていても危ないのよ。分かっているから、自分が支える理由を正しく作れてしまう」
斎太はアキの言葉に頷いた。
「そういうこと。好きという言葉は便利すぎるとも言った。尊敬、庇護欲、恋、役割への執着を分けたいと言っていた。かなり誠実だよ。でも誠実な分類が、逆に離れる理由にならない。継続して見ないと分類できないから、見るために近づく」
伊行は小さく息を吐いた。
「正しい手順が接近になる」
「そう。だから危ない」
斎太はまな板を洗い、次に大根を出した。大根は鍋用に厚く切る。薄くすれば早く火は通るが、冷凍してから煮ると崩れやすい。急ぐために薄くすると、後で持たない。そういうことを考えながら、彼は三人目へ移った。
「抹茶は古い友人だから、こっちもやりにくかった。あいつは茶と身体には納得がある。七時間正座も、着物も、鍛えていることも、嫌じゃないと言える。面倒なものは、面倒を越えた分だけ自分の形になると言った。そこは強い」
「恋愛は?」
アキが聞く。
「語尾が揺れる。選んだ、じゃなくて、選んだことにしたい。待ってくれる人には甘えて遅れる。待ってくれない人には間に合わない。躊躇して失敗した恋が多いことは本人も認めてる。だから今回は、相手を選んでいるというより、選ぶ側に回りたい可能性がある」
ベルはそこで少し悲しそうな顔をした。
「それは、恋じゃないの?」
「恋じゃないとは言えない。あいつの中に本心はあると思う。ただ、その本心が相手に向いているのか、選ばなかった後悔を消すための行動に向いているのかが分からない。茶なら選べる。身体なら形にできる。でも人間相手には、まだ茶ほど基準がない」
常盤が腕を組んだ。
「抹茶さん、強いのにそこだけ弱いんだ」
「弱いというより、遅い。しかも遅い自覚がある。だから今回は急ぎたい。急ぎたいから、選んだことにしたい。そこを見ないで応援すると、多分あとで本人が苦しくなる」
アキはノートに短く何かを書いた。斎太はそれを横目で見たが、何を書いたかまでは読まない。彼女は抹茶について、たぶん「本心と選択行為の分離」とでも書いているのだろう。そういう硬い言葉にされると少し腹が立つが、内容としては合っている。
「天紫は、一番自分で危うさを見てる」
斎太が言うと、食卓の空気が少し変わった。菫天紫の配信は、他の三人よりも言葉が深いところまで出ていた。恋かどうか分からない。恋じゃないと言うには相手のことを考えすぎている。恋だと言うには、自分の喪失を相手に預けすぎている。斎太はその言葉をそのまま出した。
ベルが小さく息を呑む。
「それを自分で言ったの?」
「言った。志望先が消えて、友人たちが離脱して、自分だけ伸びた。戻れる場所を作りたいという気持ちは本物だと思う。ただ、その場所を一緒に守ってくれる相手が現れると、一人で残ってしまった感覚が薄くなるとも言った。そこで恋の名前を付けると、失ったものまで相手に預けてしまいそうで怖い、と」
アキは黙って聞いていた。彼女が一番慎重になるタイプだ。自覚があるから安全、ではない。自覚があるから、見えたまま落ちることもある。
「天紫さんは、進めたいの?」
伊行が聞いた。
「早く決めてしまいたいとは言っていた。これは恋です、だから進みますと言えたら楽だと。でも、そう言った瞬間に喪失まで相手に預けそうで怖い。だから慎重なふりをしている、とも言った」
常盤が小皿を置いた。
「重いな」
「重い。でも、配信では天使系Vの雑談として成立している。視聴者には戻れる場所の話として届く。炎上もしない。だから余計に難しい」
斎太はそこで包丁を置いた。四人分を並べると、単なる恋愛相談ではないことがはっきりする。榊は守る側の疲労に惹かれる。畏敬は外部要因で崩れた相手を整えたい。抹茶は選ばなかった後悔から、今度こそ選んだことにしたい。天紫は失った場所と残された自分を、相手に預けるかどうかで揺れている。四人とも、ただ「好きだから付き合いたい」とは言っていない。むしろ、それぞれが自分の理由を持っている。だから、否定すれば雑になる。肯定すれば危ない。
「つまり、全員それなりに本気なんだ」
常盤が言った。
「本気ではある。だが、本心かどうかは別」
斎太は手を拭きながら答えた。
「本心じゃない本気って何」
「環境で押し出された本気。追い込まれた時の判断は、その瞬間には本気だ。でも、後から見た時に本人の選択だったのか、環境に選ばされたのかが分からなくなることがある」
アキが静かに頷いた。
「だから今すぐ交際へ進ませるのはまずい」
「でも、止めるだけでも駄目だろ」
斎太は椅子へ座った。ようやく食卓の話になる。料理の作業をしている間は、手が忙しかった。ここからは言葉をちゃんと置かなければならない。
「俺は、正直、恋愛や結婚にそこまで重い意味を置いてない。付き合ってみて、駄目なら別れて、他も経験して、最後に選べばいいと思ってる。近くで暮らす相手に、最初から過大で過剰な要求をするのは、ただ手が遅くなるだけだと思う。一回目で人生全部決めるみたいな顔をされる方が怖い」
「あなたらしいわね」
アキは否定しなかった。ただ、その言い方には注意が含まれている。
「だから、本人の意思があって、理性的な理由があって、相手側にも問題がなくて、事務所管理上も事故らないなら、俺は手を貸すべきだと思ってる。恋を潰す理由はない。経験すればいい。失敗したって、それも経験だろ」
ベルは迷うように口を開いた。
「その考え方は、分からなくはないの。でも、今回は相手が学生で、事務所も揺れているわ。失敗して経験になればいい、だけでは済まないこともあると思うの」
「そこは分かってる」
「本当に?」
ベルの声は柔らかいが、逃げ道がない。斎太は少しだけ黙った。分かっている、と言いたい。だが、彼女にそう聞かれると、自分の中の雑さが浮く。恋愛は繰り返せばいい。だが、未成年が、傾いた事務所で、現プロデューサーに感情を向ける状況は、ただの経験として処理するにはリスクが大きい。
アキがノートを閉じた。
「斎太、あなたは相手側を軽く見てる」
「四人を?」
「違う。新プロデューサー」
食卓が少し静かになった。斎太は眉を動かす。
「新プロデューサーは、今のところ悪い人ではない。技術で支えてる。桜太さんから経営を学んでる。忙しい。そこまではいい。でも、JKに好かれて、頼られて、四方向から支える理由を向けられて、それで調子に乗らない保証はない」
斎太はすぐに返そうとして、言葉を止めた。前にも言われた。桜太にも、アキにも、天紫にも似たようなことを言われた。大人だから大丈夫ではない。大人だから受け止められるとは限らない。大人だから、受け止めたふりが上手いこともある。
「流石に大人だし、とは思う」
斎太は正直に言った。
「そういうところが危ないって言ってるの」
「分かってる。いや、分かってなかったから今言われてるんだろうけど」
常盤が少しだけ身を乗り出す。
「斎太くんって、たまに大人を信用しすぎるよね」
「信用というか、そこまで馬鹿じゃないだろと思ってる」
「それ信用じゃん」
「違う。自分より立場があるなら、最低限その立場分の判断はできるだろって見積もり」
伊行が短く言った。
「過大評価だな」
斎太は伊行を見た。言葉は少ないが、外れていない。斎太の中には、大人や立場ある人間への妙な過大評価がある。相手を尊敬しているわけではない。むしろ、自分が人間をそこまで低く見たくないだけだ。大人なら、プロデューサーなら、経営を教わっているなら、未成年に好かれたくらいで調子に乗るほど雑ではないだろう。そう思いたい。その思いたさが、リスクを削っている。
「卑下も混ざってるわね」
アキが言う。
「俺の?」
「ええ。自分はそういう立場ではないから、立場のある相手は自分より分かっているはずだと思う。でも、立場は人格保証じゃない」
斎太は返事をしなかった。言われて腹は立つ。だが、外れていない。彼は恋愛に過剰な理想を持たない一方で、大人や職能には雑な信頼を置くことがある。相手を過大評価する。特に、自分が興味を持っていない領域ほど、専門の人間なら最低限できるはずだと思う。そこが今回、かなり危ない。
ベルが静かに言った。
「新プロデューサーさんも、追い込まれているのよね?」
「追い込まれてる。桜太から経営を教わってるから時間がない。技術も見てる。返信も短い。四人に向き合う時間もない」
「なら、なおさら調子に乗るというより、受け止めきれずに流される可能性もあるわ」
アキが頷く。
「積極的でも消極的でもアウト。積極的に返せば距離が近い。消極的に返せば、相手が勝手に意味を盛る。短文の『了解』が肯定に見える。『助かる』が特別扱いに見える。本人が意図していなくても、受け手が疲れていれば意味は膨らむ」
「それで四人が外堀を固める可能性がある」
常盤が言う。
斎太はそこで、少しだけ変な顔をした。
「外堀を固めるなら、全員でやった方が逃げ道は減るけどな」
アキが即座に視線を向けた。ベルも止まる。常盤は「今の何?」という顔をし、伊行は無言で斎太を見た。
「冗談だよ」
「冗談でも言うな」
アキの声は低い。
「いや、違う。恋愛として外堀固めるって話じゃなくて、管理の話。個別に行くから誤読が増える。全員で共有された形にすれば、少なくとも秘密の接触は減る。新プロデューサーが一人ずつ受けるんじゃなく、誰かが見ている場所で関わる。逃げ道を塞ぐというより、密室を減らす」
アキはまだ厳しい顔をしていたが、少しだけ考えた。
「言い方が悪すぎる」
「それは認める」
「でも、密室を減らす必要はあるわ」
ベルも頷いた。
「個別に抱え込ませない方がいいのね」
「そう。四人がそれぞれ別々に接触するから、短文が膨らむ。なら、接触の場所を見える化する。恋愛を止めるのではなく、事故る形を減らす」
伊行が言う。
「それを四人が恋愛の外堀固めとして受け取る可能性は?」
斎太は少し黙った。
「ある」
「かなりある」
常盤が言った。
「この状況だと、『みんなで協力して逃げられないようにしよう』って受け取る子、普通にいるでしょ」
「……いるな」
斎太は顔をしかめた。自分の言葉が、管理ではなく恋愛戦術として受け取られる可能性を今さら認識する。ベルが営業のためだと信じてテクニックを教えたのと同じ構造だ。言葉自体は使いようがある。だが、受け取る側の目的が違えば、別の方向へ進む。
アキはため息を吐いた。
「だから確認が必要なの。四人の感情も、新プロデューサーの受け止め方も、接触の形も。恋を否定しないなら、なおさら事故らない形を作る必要がある」
斎太は頷いた。反論はなかった。
「次は新プロデューサーを見る」
彼はそう言った。
「四人がどういう理由で惹かれているかは見た。全員、雑に否定できない。次は相手側だ。積極的でも消極的でもアウトな席に座っている人間が、実際にどう受けているか。調子に乗るのか、流されるのか、仕事として処理しているのか、クリエイター気質で環境として受け取るのか。そこを見ないと進めない」
ベルは少し安心したように息を吐いた。
「恋を応援するかどうかは、その後ね」
「そう。本人の意思があって、理性的な理由があって、相手側にも問題がなくて、管理上も事故らないなら応援する。でも今は、まだ条件が揃ってない」
常盤が小皿を持ち上げた。
「じゃあ、私はデザート食べていい?」
「今それ?」
「会議終わりそうだったから」
斎太は呆れたが、止めなかった。常盤がデザートを食べる。伊行が食器を片付け始める。ベルは鍋の火を完全に落とし、アキはノートを閉じた。食卓の重さが少しだけ解ける。だが、問題は軽くなっていない。四人の恋は否定されなかった。むしろ、それぞれが深い理由を持っていることが確認された。その分だけ、扱いは難しくなった。
斎太は残った材料の袋を冷凍庫へ入れた。平らにした袋が、引き出しの中で綺麗に並ぶ。まだ味は付いていない。どれを鍋にするか、どれをスープにするか、どれを炒め物にするかは決まっていない。決めるには、使う日の体調や時間や相手を見る必要がある。
四人も同じだとは言わない。
だが、今すぐ味を決めるには、まだ早すぎた。
そして斎太は、ようやく自分の中にあった一番雑な見落としを認めた。
大人だから大丈夫、ではない。
大人でも、好かれれば揺れる。
大人でも、追い込まれれば流される。
大人でも、受け止めたふりくらいはできる。
新プロデューサーを見る必要があった。
恋を応援するかどうかは、その後でしか決められなかった。




