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父の形見は美少女Vtuber  作者: 伊阪証


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やや残酷な天使

菫天紫の資料は、他の三人よりも説明の順番が悪かった。天使系V。志望先が逆風どころか会社の破産などで消滅し、友人から誘われてこの業界へ入った。自分は伸びたが、自分以外は離脱してしまった。その失意の中で心が惹かれた。書かれていることは分かる。だが、分かりやすいだけに、斎太はそこへそのまま乗りたくなかった。失意の中で惹かれた、という言葉は便利すぎる。壊れた進路、離れた友人、残された自分、そこに現れた支え。そう並べれば、誰でも納得した顔を作れる。だが、納得しやすい話ほど、本人の中で本当に整理されているとは限らない。新緑抹茶の「選んだことにしたい」と同じで、天紫もまた、自分の好きな理由に腹落ちしていない可能性が高かった。

斎太は配信画面を開き、待機枠の文面を確認した。今日は天使系Vとの雑談である。視聴者が期待する話題は分かりやすい。癒やし、救済、祈り、失敗した時の立て直し、夢破れた時の居場所。どれも危ない。朱木榊の時は神社と献身の話に寄りすぎないようにし、碧野畏敬の時は支える理由が査定に変わる瞬間を見た。新緑抹茶では、選ぶことそのものへの執着を拾った。天紫では、おそらく「残された側」の処理を見ることになる。友人の誘いで業界に入り、自分だけが伸びた。自分だけが残った。そういう人間は、勝った顔をしている時ほど、どこかに置き去りにしたものの数を数えていることがある。

開始前に、アキが部屋の前まで来た。

「今日は、かなり近いところに触れると思うわ」

「分かってる」

「消えた進路の話と、離れた友人の話は、本人の中でまだ混ざってる可能性がある」

「だから恋の話にはしない」

「ええ。恋の話にしないまま、何で相手に惹かれたのかを見る」

斎太は頷いた。アキはそれ以上言わなかった。扉の向こうで足音が遠ざかる。斎太は深く息を吐き、ヘッドホンをつけた。今日は手元に飲み物を置かないことにした。落ち着くための小道具があると、逆に間を埋めたくなる。天紫との話では、間を埋めすぎない方がいい。彼女が自分で整えるのか、誰かに整えられるのを待つのかを見る必要がある。

配信が始まる。画面に菫天紫のアバターが現れた。白と薄紫を基調にした天使系の少女。背中には小さな羽の意匠があり、頭上に光輪を模したアクセサリーが浮かぶ。だが、作りは露骨に神聖へ寄せすぎていない。清楚というより、少しだけ舞台衣装に近い。誰かの救いになるための天使ではなく、天使という記号を身につけて表に立っている人間のデザインだった。声は柔らかい。柔らかいが、軽くはない。言葉を出す前に、一度だけ相手の呼吸を待つような間がある。

『こんばんは、スチーラットさん。本日はよろしくお願いいたします』

「こんばんは。こちらこそよろしくお願いします。天使系の人と話すの、少し緊張しますね。僕、普段の行いがアレなので」

『アレなんですか?』

「アレです。細かく説明すると、この配信が懺悔枠になります」

『それはそれで、少し面白そうですね』

「面白くはなるかもしれませんが、僕の社会的生命が削れるので今日は普通の雑談でお願いします」

天紫は小さく笑った。コメント欄も軽く流れる。導入は問題ない。天使系Vという肩書きに合わせて、懺悔や救いへ軽く触れる。だが、そこに居座らない。斎太は最初に、彼女の名前へ触れた。

「菫天紫さんって、名前からして天使ですよね。これ、先に天使系があって名前を決めたんですか? それとも名前の方が先?」

『ほぼ同時ですね。天使系としてやることは決まっていたんですけど、完全に白い天使にはしたくなかったんです。白だけだと、汚れないものみたいに見えるでしょう?』

「白いと汚れが目立つ」

『はい。だから、少し紫を入れました。菫色は綺麗ですけど、真っ白ではありませんし、少し影もあります。そういう方が、自分には合っていると思いました』

「天使なのに影がある方がいい」

『天使だからこそ、かもしれません。救いを語る時に、自分が何も失っていない顔をするのは、少し怖いですから』

斎太はその言葉をメモしなかった。メモしたくなる言葉ほど、すぐにはメモしない。救いを語る時に、自分が何も失っていない顔をするのは怖い。そこにはもう、彼女の過去が少し出ている。だが、配信上の言葉としても十分成立している。視聴者は「天紫ちゃんらしい」と受け取るだろう。本人の中でどこまで傷に繋がっているかは、まだ分からない。

「天使系って、癒やしとか救いを求められやすそうですけど、重くないですか?」

『重いです』

即答だった。

『でも、軽く扱われるよりはいいです。癒やしって言葉は便利ですけど、実際に誰かが疲れている時、ただ甘い声を出せば済むわけではありません。見ている方が何を求めているのか、こちらがどこまで受け止められるのか、そこを間違えると、お互いに依存になってしまいますから』

「依存って言葉、かなり早めに出ましたね」

『避けても出てくる言葉なので、先に置いた方が安全かなと思って』

「安全のために依存を置く天使」

『物騒ですね』

「でも分かります。言わないでいる方が危ない単語ってありますよね」

天紫は頷いた。彼女はふわふわしたタイプではない。癒やしを提供する側でありながら、その危うさを言語化している。榊や畏敬と同じく、本人なりの理性がある。だから厄介だった。恋や依存に向かう人間が必ず無自覚とは限らない。むしろ、自覚しているからこそ、理屈を整えて進めてしまうことがある。

「天紫さんは、元々この業界を目指してたわけじゃないんですよね」

天紫の表情は崩れない。声も変わらない。ただ、返事までの間が半拍だけ長くなった。

『そうですね。元々は別のところを目指していました』

「志望先が消えたって、かなりきつくないですか。落ちたとか不採用とかじゃなくて、場所そのものがなくなるわけですよね」

『きつかったです。自分が届かなかったなら、まだ自分の問題として扱えます。でも、会社がなくなるとか、業界全体の風向きが変わるとか、そういう形で消えると、努力の置き場所が急になくなるんです』

「努力の置き場所」

『はい。何かを頑張っている時って、目標があるだけで、失敗してもそこへ向かっていた自分は残ると思うんです。でも、目標そのものがなくなると、自分が何に向かっていたのかも分からなくなる。そこが一番嫌でした』

斎太は画面を見た。天使系のアバターは、穏やかに微笑んでいる。その声も穏やかだ。だが、言っている内容はかなり重い。努力の置き場所がなくなる。志望先の消滅は、単なる進路変更ではなかった。本人の中で、それまで積んできた理由が消える出来事だった。

「そこで友人に誘われた?」

『はい。配信やってみないかって。最初は、そんな簡単に言わないでと思いました』

「怒ったんですか?」

『怒るほど元気ではなかったです。ただ、何も知らないくせに、とは思いました』

「その友人は続けたんですか?」

また間が空いた。今度はさっきより長い。

『続けませんでした』

コメント欄が少し静かになる。天紫はすぐに笑うでもなく、話題を変えるでもなく、その言葉を置いたまま続けた。

『誘ってくれた子たちは、みんなそれぞれ理由があって離れていきました。向いていなかった子もいますし、生活が変わった子もいます。伸びなかったからやめた子もいます。誰かを責める話ではないです。でも、気づいたら自分だけが残っていました』

「自分だけ伸びた」

『そうですね。伸びてしまった、という言い方の方が、最初は近かったかもしれません』

斎太はその語尾を拾った。伸びた、ではなく、伸びてしまった。成功の言葉に罪悪感が混ざっている。菫天紫は自分が伸びたことを否定していない。だが、その成功が友人たちの離脱と同じ時間軸にあるせいで、綺麗に喜べないのだろう。

「伸びてしまった、か」

天紫は小さく笑った。

『嫌な言い方ですよね。今は、伸びたと言えるようになりました。でも、その時は本当にそうでした。自分が特別上手かったというより、たまたま残って、たまたま噛み合って、気づいたら数字が増えていた。周りにいた人たちが減っていく中で、自分だけが見られるようになるのは、思っていたよりずっと落ち着かなかったです』

「嬉しいより先に?」

『先に、申し訳なさがありました。あと、怖さです。自分が残っている理由を説明できないのに、残っていることだけが結果として出てしまうので』

「説明できない成功って怖いですか」

『怖いです。失敗は理由を探しやすいですけど、成功は理由を間違えると次に壊れますから』

斎太は少しだけ感心した。天紫は失意の中で誰かに惹かれた、というだけの人間ではない。成功への恐怖がある。自分だけが伸びたことを、綺麗な達成として受け取れなかった。だからこそ、残された側の自分を説明してくれる何かを探している可能性がある。

「天使系って、その頃から?」

『途中からです。最初は、もっと普通のデザイン案もありました。でも、自分が残ってしまった感覚と、誰かの居場所になりたい気持ちが混ざって、天使系に寄っていきました』

「残ったから、救う側へ?」

『救うなんて大きい言葉は、まだ使いたくないです。ただ、離れていった人たちを見て、残った自分が何もしないのは嫌でした。だから、せめて見ている人が戻ってこられる場所にはしたかった』

「戻ってこられる場所」

『はい。毎日じゃなくてもいいし、ずっと追っていなくてもいい。疲れた時や、何かが駄目だった時に、まだここがあると思える場所です』

コメント欄に「戻ってきてる」「天紫ちゃんの配信そういうとこある」「泣く」と流れる。斎太はそこで話題を少し軽くした。

「じゃあ、天使というより避難所運営では?」

天紫が笑った。

『急に現実的ですね』

「いや、でも居場所って運営必要じゃないですか。雰囲気だけじゃ続かない。時間、体力、告知、配信頻度、荒らし対応」

『そうですね。天使も運営しないといけません』

「嫌なタイトルだな。天使運営シミュレーター」

『少しやってみたいです。雲の維持費とか、羽の修繕費とか』

「上層が雲の費用を使い込むイベントがあります」

『現実味が急に嫌です』

コメント欄が笑う。三文演義の上層を直接言っているわけではない。だが、見る人が見れば分かる軽さだった。天紫も笑って処理した。炎上するほどではない。ロールプレイの範囲で、現実の影が薄く混ざる。

「戻れる場所って、作る側は疲れません?」

『疲れます』

「それでもやる?」

『やります。というより、やってしまいます』

「やってしまう」

『はい。自分がそういう場所を欲しかったので。志望先がなくなって、友人たちが離れて、自分だけ残った時、どこに戻ればいいのか分からなかったんです。だから、自分が作る側になった時、戻れる場所にしたいと思いました』

斎太はそこで、今日の中心に触れた感覚があった。戻れる場所が欲しかった。だから自分が作る側になった。天紫の天使系は、単なる癒やしキャラではない。自分が失った場所を、配信の形で作り直している。その動機自体は強い。だが、その場所を支える相手が現れた時、彼女は何を感じるのか。

「その場所を、一緒に守ってくれる人がいたら?」

天紫は静かになった。コメント欄はまだ普通に流れている。質問としては自然だ。配信者と運営、タレントとプロデューサー、活動者と支えてくれる人。どこにでもある話だ。だが、天紫の返事はすぐには来なかった。

『心強いと思います』

「それだけ?」

『……それだけではないかもしれません』

「どう違うんですか」

『一人で残ってしまった感覚が、少しだけ薄くなります。自分だけがここにいるのではなくて、誰かと場所を支えていると思えるので』

「その人が忙しそうだったら?」

『手伝いたくなります』

「その人が無理してたら?」

『止めたいです』

榊と同じ言葉が出た。だが、意味は少し違う。榊は削れている守り手を見た時に、止めたいと言った。天紫の「止めたい」は、居場所を失いたくない気持ちと重なっている。支える人が壊れると、場所そのものが消える。彼女にとってそれは、かつて志望先が消えた時の感覚に近いのかもしれない。

「止めたいし、手伝いたい」

『はい』

「それは、恋ですか?」

コメント欄が揺れた。直接的な問いに見える。だが、一般論としてはまだ保てる。天紫は天使系Vとして、救いと居場所を語っている。その延長で、支える人への感情を問われた形だ。天紫は笑わなかった。怒りもしなかった。ただ、少し困ったように目を伏せる動作をした。

『分かりません』

斎太は何も言わなかった。

『恋と呼べば、分かりやすくなる気はします。感謝、尊敬、安心、寂しさ、失ったものへの未練。そういうものが混ざっている時、恋という名前を付けると、一本の線になったように見えるので』

「見えるだけ?」

『かもしれません』

「じゃあ、恋じゃない?」

『それも分かりません。恋じゃないと言うには、相手のことを考えすぎています。恋だと言うには、自分の喪失を相手に預けすぎている気がします』

その返答は、斎太が予想していたよりも正確だった。天紫は分かっていないのではない。分からない理由を分かっている。相手への感情があることは否定できない。だが、その感情に、自分が失った進路や友人や居場所への穴が混ざっていることも自覚している。好きな理由に納得していない、という資料は正しかった。ただし、それは浅い迷いではない。かなり深く見た上で、なお分類しきれていない状態だった。

「それ、かなり誠実ですね」

『誠実でしょうか』

「少なくとも、恋ですって押し切るよりは」

『押し切れたら楽だったかもしれません』

「楽したい?」

『したいです』

即答だった。コメント欄が少し笑う。天紫もそこでようやく笑った。

『でも、楽をすると後で苦しくなることが多いので』

「経験則?」

『はい。志望先がなくなった時も、友人が離れた時も、すぐに別の理由で埋めようとすると、後で余計に穴が広がりました』

「だから今回は慎重?」

『慎重なふりをしています』

「ふり?」

『本当は、もう少し早く決めてしまいたいです。これは恋です、だから進みます、と言えたら楽です。でも、それを言った瞬間に、失ったものまで全部その人に預けてしまいそうで怖いんです』

斎太は息を止めそうになり、意識して呼吸を戻した。そこまで言うなら、もう本人はかなり見えている。天紫は自分の危うさを知っている。自分だけが残った喪失、戻れる場所を作りたい気持ち、支えてくれる人への安心、そこに恋の名前をつけたくなる衝動。その全部を、少なくとも言葉にはできている。

「預けられる側も大変ですからね」

『そうですね』

「相手が大人でも?」

天紫は少しだけ斎太を見たような間を作った。画面越しなのに、視線が合った気がした。

『大人でも、です。大人だから受け止められるとは限りません。大人だから、受け止めたふりが上手いこともあります』

斎太は返事を少し遅らせた。アキに言われたことと同じだった。大人だから大丈夫ではない。むしろ、大人だから言い訳が上手くなる。天紫はそこも分かっている。彼女は相手を美化しているだけではない。新プロデューサー側の危うさも、ある程度は見ているのだろう。

「じゃあ、相手が受け止めたふりをしていたら?」

『嫌です』

「怒る?」

『怒ると思います。でも、たぶん先に悲しくなります。自分が見たいものを見ていたのだと思ってしまうので』

「自分のせいにする?」

『してしまいますね』

「そこはよくない」

『はい。よくないです』

あまりにも素直に認めたので、斎太は少し困った。天紫は自分の悪い癖も見えている。見えているのに、止まるとは限らない。ここが難しい。無自覚なら指摘できる。自覚がある相手には、指摘しても「分かっています」で終わる。その先でどうするかを、本人が決めなければならない。

斎太は話題を、天使系Vとしての活動へ戻した。

「天紫さんの配信って、戻ってこられる場所にしたいって話でしたけど、実際に戻ってきた人って分かるものですか?」

『分かる時もあります。久しぶりですってコメントしてくれる方もいますし、何も言わずにまた見に来てくれる方もいます。名前が変わっていても、話し方で何となく分かる時もあります』

「怖い観察力」

『配信者は、意外と見ていますよ』

「それは本当にそう。見てないふりをしてるだけで、見てる」

『はい。だから、戻ってきてくれた時は嬉しいです。でも、戻ってこなかった人を数え始めるときりがないので、そこは気をつけています』

「数えます?」

『昔は数えていました』

「今は?」

『数えそうになったら、配信の準備をします』

「作業で逃げる」

『逃げるというより、置き換える、でしょうか。戻ってこない人を数えるより、次に来た人のために場所を整える方がいいので』

斎太はその言葉を聞いて、天紫の強さを少し見た。喪失に沈み続けるのではなく、場所を整える方へ動ける。戻ってこない人を数えるより、次に来た人のために準備する。これは悪いことではない。むしろ、配信者としてかなり健全な処理だ。だが、その処理を支える新プロデューサーが現れた時、彼女はその人を「場所を一緒に整える人」として見てしまう。そこに恋の名前が付くと、かなり重い。

終了時間が近づいた。斎太は最後に、軽く締められる話題を探した。

「天使系って、羽の手入れとか設定あるんですか?」

天紫は笑った。

『あります。湿気に弱いので、梅雨は大変です』

「羽も日本の湿気に負けるんだ」

『天使もカビ対策します』

「急に生活感」

『生活できない天使は長続きしませんから』

「名言っぽい」

『では、名言にしてください』

コメント欄が「生活できない天使は長続きしない」「羽のカビ対策」「天使運営シミュレーター」と流れる。空気は戻った。配信としては綺麗に終われる。斎太は笑いながら、最後の挨拶へ移った。

「今日はありがとうございました。かなり深い話もできた気がします」

『こちらこそ、ありがとうございました。スチーラットさんは、軽く聞いているふりが上手いですね』

斎太は一瞬だけ固まった。

「褒めてます?」

『半分くらいは』

「残り半分は」

『警戒です』

「最近そればっかり言われる」

『言われる理由があるのでは?』

「否定できない」

天紫は穏やかに笑った。最後まで崩れなかった。だが、全部を隠したわけでもない。むしろ、かなり踏み込んだ言葉を出していた。恋かどうか分からない。恋じゃないと言うには考えすぎている。恋だと言うには喪失を預けすぎている。あれは、配信上の雑談で出せるぎりぎりの線だった。

配信を終了すると、斎太はしばらく画面を見ていた。コメント欄のログには、天紫の言葉がいくつも残っている。戻ってこられる場所。努力の置き場所。生活できない天使は長続きしない。視聴者は感動している。重い話だったが、彼女の天使系ロールプレイの範囲に収まっているため、炎上にはならない。むしろ、良い雑談として消費される。

アキが入ってきた。

「かなり出たわね」

「出た。しかも自分で分かってる」

「恋かどうか」

「分かってない。ただ、分からない理由はかなり分かってる。相手のことを考えすぎているから恋じゃないとは言えない。でも、自分の喪失を相手に預けすぎているから恋だと言い切れない」

アキは椅子の横に立ち、腕を組んだ。

「一番慎重ね」

「慎重なふりをしてるって本人は言った」

「ふり?」

「本当は早く決めたい。でも決めると、失ったものまで相手に預けそうで怖い。そこまで見えてる」

アキは少しだけ目を伏せた。彼女はそういう人間に弱いわけではない。だが、見えているのに止まれない可能性がある人間を、軽く扱わない。

「四人、かなり違うわね」

「違う。榊は削れている守り手を止めたい。畏敬は外部要因で崩れた相手を整えたい。抹茶は選ばなかった後悔から、今度こそ選んだことにしたい。天紫は失った場所と残された自分を、相手に預けるかどうかで揺れてる」

「全員、恋を否定するほど浅くない」

「だから面倒なんだよ」

斎太は椅子にもたれた。これで四人分の雑談は終わった。誰も単純ではなかった。誰もただの恋愛脳ではない。四人とも、本人なりの理由と理性を持っている。だから、応援できる部分もある。だが、全員の感情が新プロデューサーへ向いている以上、放置すれば事故る。恋そのものではなく、同じ中心へ違う形の負荷が集まっていることが問題だった。

「次は整理ね」

アキが言う。

「家族会議?」

「ええ。それと、新プロデューサー側」

斎太は少し顔をしかめた。

「大人だから大丈夫、は捨てた」

「本当に?」

「今日、天紫にも言われた。大人だから受け止められるとは限らない。大人だから受け止めたふりが上手いこともあるって」

「いい言葉ね」

「嫌な言葉だよ」

「必要な言葉よ」

斎太は反論しなかった。天紫は天使系Vとして、最後まで穏やかだった。だが、その穏やかさの中で、かなり明確に危険を言語化していた。恋という名前で喪失を預ける危険。大人が受け止めたふりをする危険。戻れる場所を求める気持ちが、誰か一人へ集中する危険。

斎太はメモを保存した。

四人の雑談は終わった。

全員、恋を否定できないだけの理由を持っていた。

同時に、全員、その恋をそのまま進めるには危うすぎた。


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