王道楽土
碧野畏敬とのコラボ枠を入れる前に、斎太は三文演義の数字をもう一度見直していた。登録者数、直近の同接、案件履歴、グッズの回転、海外比率、買収前後の契約変更、上層が使い込んだとされる金の流れ。画面上の表はどれも整っている。整っているが、整えた人間の癖が見える。必要な数字はある。だが、誰が最終判断をしたのか、どこで止められたはずなのか、どの支出が本当に必要だったのかは、資料の形だけでは分からない。金は逃げる時に足跡を残すが、責任は書式の隙間へ隠れる。三文演義の失敗は、その隙間が多すぎた。
畏敬の資料には、女王様系Vとある。だが、そこに付いている注釈の方がよほど強かった。リアルでは経済学部志望の高校生。数学と社会に強く、経理の代打もできる程度に優秀。面倒見が良いタイプで、ダメ男に惹かれる。特に、自発的な怠惰ではなく、外部要因によってダメになっている相手に沼る。斎太は最後の一文を見て、眉間を指で押さえた。朱木榊は、削れている人間を見た時に「止めたい」と言った。畏敬の場合は、たぶんその先へ行く。止めたいではなく、支えられると判断する。数字が読める人間ほど、崩れかけたものを見た時に「自分なら補える」と思いやすい。
開始時刻の五分前、アキが飲み物を置きに来た。今日は部屋に入ってきた。榊の時より、少しだけ距離が近い。
「今日は経済の話になる?」
「なる。というか、そこを避けたら畏敬の強みが死ぬ」
「恋愛の話にはしないのね」
「しない。経理と運営と借金の話をする。相手がどこで反応するか見る」
アキは机の端に置かれている資料を一瞥した。
「この子、かなり分かってる側よ」
「だろうな」
「分かってるのに近づくタイプは、分かってない子より危ないわよ」
「分かってる」
斎太が答えると、アキは少しだけ目を細めた。信用していない目だった。斎太が恋愛や結婚を軽く見ることを、彼女はよく知っている。付き合って試して、駄目なら別れて、経験を増やして最後に選べばいい。斎太の中ではそれが現実的な処理だ。だが、相手が未成年で、事務所が傾き、プロデューサーが精神的支柱にされている状況では、その軽さが致命的に雑になることもある。
「大人だから大丈夫、は今日は捨てて」
「努力する」
「努力じゃなくて捨てて」
「分かった。捨てる」
アキはそれでようやく部屋を出た。扉が閉まる。斎太はヘッドホンを着け、配信画面を確認する。スチーラットのモデルはいつも通りだ。虹色の髪、柔らかい顔、姉の雰囲気を抽出した健気さの皮。中身の自分は、経営資料と借金と高校生の恋愛感情を並べている。相変わらず、画面に映るものと手元にあるものの差がひどい。
配信が始まる。画面に現れた碧野畏敬は、青と黒を基調にした女王様系のアバターだった。高い襟、細い手袋、宝石を模した装飾。声は落ち着いているが、榊のような受け止める声ではない。相手を座らせ、背筋を伸ばさせる声だった。リスナーは彼女を「陛下」と呼んでいるらしい。コメント欄には、開幕から「陛下きた」「本日の判決」「スチラくん詰められる?」と流れていく。
『ごきげんよう、スチーラットさん。本日はお招きいただき、感謝いたしますわ』
「ごきげんよう。僕、今日ちゃんと怒られる覚悟をしてきました」
『あら。怒られるようなことをなさったの?』
「過去の発言を洗うといくらでも出てくるんですが、今日は経済と運営の話でごまかそうと思います」
『ごまかしを宣言する方、珍しいですわね』
「隠すより先に言った方が、少しだけ罪が軽くなるかと思って」
畏敬は短く笑った。笑い声には余裕がある。女王様系のロールプレイは崩れていない。むしろ、経済や運営の話題へ入るほど、彼女のキャラは強くなる。斎太は最初から相手の得意な場所へ入った。苦手を突く必要はない。得意な場所でどこまで自分を保てるかを見る方が、今日の目的に合っている。
「畏敬さん、経済学部志望って聞いたんですけど、元から数字好きなんですか?」
『数字だけが好きというわけではありませんわ。数字が社会の言い訳を剥がす瞬間が好きですの』
「初手から強いな」
『たとえば、誰かが“みんなのため”と言った時、本当に全体へ配分されているのか。誰かが“投資”と言った時、それは未来の収益へ接続しているのか。それとも、ただの浪費を綺麗な言葉で包んでいるだけなのか。数字は、そのあたりをかなり無慈悲に出しますでしょう?』
コメント欄が「陛下つよい」「浪費を投資と言うな」「刺さる会社多そう」と騒ぎ始める。斎太は笑いながら、画面外のメモへ短く書いた。数字で嘘を剥がす。社会への関心。言葉より配分を見る。
「三文演義って、元々舞台のバーチャル化からストリーマー路線へ変わった事務所じゃないですか。そういう大きい路線変更って、畏敬さんから見てどうなんです?」
『路線変更そのものは悪ではありませんわ。市場が求めていないものへ固執する方が危険ですもの。ただ、転換には必ず清算が必要です。何を捨て、何を残し、どこまでを過去の資産として使うか。それを曖昧にしたまま、流行っている方向へ走ると、成功している間は美談になりますが、失速した瞬間に全部借金として戻ってきます』
「三文演義へのコメントとして聞くと、かなり怖いですね」
『一般論ですわ』
「便利な言葉だ」
『あなたもよくお使いになるでしょう』
「使います。便利なので」
畏敬は微笑む。一般論という盾の使い方を分かっている。具体名を出さず、しかし誰に刺さるかは分かる言い方。炎上リスクを避けつつ、話題の芯だけは外さない。斎太はその手つきに感心した。高校生としてはかなり強い。配信者としても強い。女王様系のキャラが、ただ高圧的な装飾ではなく、判断の速さと相性がいい。
「浪費と投資の違いって、外から見て分かるものですか?」
『全部は分かりませんわ。ただ、継続して見れば癖は出ます。投資なら、支出の後に何らかの測定があるはずです。数字が悪かったなら切る、良かったなら伸ばす。浪費はそこが甘い。出す時だけ立派な理由があって、使った後の検証がない』
「耳が痛い人が多そう」
『痛いならまだ良いのですわ。痛みを感じる場所には神経がありますもの』
斎太は思わず少し笑った。
「女王様系の説教として完成度が高い」
『説教ではありません。診断ですわ』
「もっと怖い」
コメント欄は盛り上がっている。経済の話だが、重すぎない。畏敬のロールプレイが強いため、説教もコンテンツになる。斎太はここで一段だけ、現プロデューサーに近い領域へ寄せた。
「じゃあ、会社が傾いた後に、現場で頑張ってる人がいるとするじゃないですか。上が使い込んで、前任が消えて、残った人が技術と根性で配信を落とさないようにしている。こういう時、外から何を見ます?」
畏敬の瞬きがわずかに遅れた。榊の時と同じ種類の遅れだが、温度が違う。榊は痛みに触れられた人の間だった。畏敬は計算が始まった人の間だった。
『まず、本人の能力と責任範囲を分けますわ』
「能力と責任範囲」
『はい。能力があるからといって、本来背負うべきでない責任まで背負わせていい理由にはなりません。技術で配信を支えられる人が、経理も契約も未成年管理も背負う必要はありませんもの。むしろ、有能な人ほど押しつけられます。できてしまうから』
「できる人は便利にされる」
『便利にされますわ。そして本人も、できるならやってしまう。そこが一番危ない』
「止める?」
『止めます』
即答だった。斎太は炭酸水を飲まず、手元のボトルに指だけ置いた。
『ただ、止めるだけでは回りません。止めるには代替手段が必要です。業務を分ける。責任者を置く。判断を記録する。お金の入口と出口を見えるようにする。未成年がいるなら、相談窓口を一つにしない。感情が一人へ集中する構造を避ける。そこまでやって初めて、止めると言えますわ』
斎太はメモに書いた。止めるには代替手段。相談窓口を一つにしない。感情集中を避ける。分かっている。かなり分かっている。分かっているから危ない。彼女は問題の形を理解している。理解した上で、自分なら何を置けるかまで考えている。
「畏敬さん、経理の代打できるって聞いたんですけど、実際どこまで見られるんです?」
『代打程度ですわ。本職の方に比べれば、おままごとです。ただ、最低限の入出金、月次の整理、請求書の確認、外注費の異常値を見るくらいならできます』
「高校生の口から出る単語じゃない」
『必要なら覚えますもの』
「必要なら、ね」
『ええ。必要なら』
その返しの速さが、今日一番危なかった。必要なら覚える。必要なら手を出す。必要なら支える。畏敬の強さはそこにある。榊が「逃げ道を置く」と言ったのに対し、畏敬は「代替手段を置く」と言う。情緒ではなく実務で近づく。疲れている人間にとって、実務で支えてくれる相手は強すぎる。
「でも、そこまで見えると、逆に面倒な人に引っ張られません?」
畏敬の表情は崩れない。
『面倒な人、とは?』
「自分でサボってる人じゃなくて、環境で潰されてる人。本人のせいじゃないけど、結果として回ってない人。そういう人って、見てると手を出したくなりません?」
畏敬は微笑んだ。女王様系の余裕を保ったまま、声だけが少し低くなる。
『出したくなりますわね』
「即答」
『だって、原因が外部にあるなら、外部を整理すれば改善しますでしょう?』
「本人が壊れてる場合もある」
『その場合でも、壊れた理由を見ます。怠けている人と、壊されている人は違いますもの。私は前者を甘やかす気はありません。でも、後者を自己責任で切り捨てるのは嫌いですわ』
コメント欄が「陛下……」「これは女王」「甘やかさないけど見捨てない」と流れる。斎太はそこを見ながら、あえて一段だけ軽くした。
「つまり、ダメ男に弱い?」
畏敬は一瞬だけ黙った。
コメント欄が爆発した。「言った」「踏み込んだ」「スチラくん逃げて」「陛下どう返す」。斎太は笑っているが、目は画面から外さない。畏敬はロールプレイを崩さなかった。むしろ、少し顎を上げるような仕草で受ける。
『怠惰な殿方は嫌いですわ』
「外部要因でダメになってる殿方は?」
『評価対象ですわね』
「評価対象」
『改善余地があるかを見ます。本人に意思があるか。環境を変えた時に立ち上がるか。助けた分だけ依存するのか、それとも回復するのか。そのあたりです』
「恋愛というより査定では?」
『恋愛に査定が不要だと思っている方の方が、私は怖いですわ』
斎太は普通に感心した。畏敬は強い。自分の傾向をかなり言語化できている。ダメ男に惹かれるという言い方だけなら危ういが、彼女の中では怠惰と外部要因を分け、改善余地を見て、依存するか回復するかを判断しようとしている。恋愛を感情だけで押していない。理屈がある。理性的に見える。だからこそ、その理屈が恋の正当化に使われた時、止めるのが難しい。
「助けた結果、相手が自分に依存したら?」
『切ります』
これも即答だった。
「早い」
『依存は改善ではありませんもの。支えた結果、相手の足が地面に戻るなら意味があります。こちらへ倒れてくるだけなら、支えではなく固定具ですわ』
「固定具は嫌?」
『嫌ですわ。私も相手も動けなくなりますもの』
ここで斎太は、少しだけ想定を修正した。畏敬は単純に面倒見が良すぎて沼るタイプではない。自分が固定具になることを嫌っている。相手を立たせたい。回復させたい。外部要因で潰れた人間を、環境の整理によって戻したい。そこには経済学部志望らしい社会への視点もある。個人のだらしなさではなく、構造の失敗として見る癖がある。
だが、新プロデューサーはまさにその形をしている。本人の怠惰ではない。上層の使い込み、前任の逃亡、未成年中心の体制不備、桜太からの経営学習、技術面のバックアップ。外部要因で潰れかけている。しかも、改善余地がある。畏敬にとって、最悪なくらい刺さる条件が揃っている。
「じゃあ、改善余地のある人が目の前にいて、自分が少し手を出せば回るとしたら?」
畏敬はすぐに答えなかった。画面の中の女王様が、ほんの少しだけ静かになる。
『手を出す前に、権限を確認しますわ』
「権限」
『はい。見えているからといって、触っていいとは限りません。数字が読めるからといって、他人の財布へ手を入れていい理由にはなりません。運営の問題なら、運営の権限が必要です。個人の問題なら、本人の許可が必要です。そこを飛ばすと、善意ではなく侵入になります』
斎太は炭酸水を一口飲んだ。予想よりもさらに理性的だった。権限を確認する。善意ではなく侵入になる。その線が見えているなら、まだ危うさは制御されている。少なくとも、いきなり新プロデューサーの経理や生活へ手を突っ込むタイプではない。
「畏敬さん、かなり線引きするんですね」
『線引きしない女王など、ただの暴君ですわ』
「名言っぽい」
『名言として扱ってくださいませ』
コメント欄が「線引きしない女王は暴君」「陛下語録」「今日の判決」と流れる。畏敬は笑う。場は軽い。だが、斎太は彼女の反応速度をメモしていた。外部要因のダメさに惹かれる。改善余地を見る。権限を気にする。依存なら切る。固定具は嫌う。強い。強いが、強いから、自分が支える形をかなり正当化できる。
「三文演義、今大変そうじゃないですか」
斎太は自然な範囲で箱の話へ戻した。
『そうですわね』
「外から見てると、タレントが強いのに運営の足場が怪しい。こういう時、所属側としては何を一番嫌がります?」
『不透明さですわ』
「金じゃなくて?」
『金も不透明さの一部です。誰が決めたのか分からない。なぜそうなったのか分からない。責任を取る人がいない。失敗した時に、現場だけが謝る。そういう状態が一番嫌ですわ』
「前プロデューサーの失踪もそこに入る?」
畏敬の目が、ほんの少しだけ止まった。コメント欄もわずかに反応する。斎太は踏み込みすぎないように、すぐ言葉を足す。
「一般に、ですよ。人が消えた時、現場に残る不透明さの話」
畏敬はゆっくりと頷いた。
『入りますわ。いなくなったことそのものより、いなくなった理由が分からないまま次へ進むことが問題です。死亡なら死亡、退職なら退職、逃亡なら逃亡。言葉が決まれば、責任の置き場も決まります。でも、失踪という言葉は便利すぎる。誰も確定しなくて済む代わりに、残った人間が曖昧さを背負います』
斎太は、画面外で指を止めた。
正確だった。畏敬は恋愛問題の当事者としてではなく、運営を見る人間としても、失踪の問題を理解している。失踪という言葉の便利さと、その後始末の重さを分かっている。斎太が桜太と話した内容に近いところまで、彼女は自分の言葉で届いていた。
「残った人間が曖昧さを背負う」
『ええ。だから、残った人間が短い言葉しか返せなくなっても、私は責めづらいですわね』
そこだった。
声は平静だった。ロールプレイは崩れていない。だが、今の一文は一般論として整いすぎている。短い言葉しか返せなくなっても、責めづらい。新プロデューサーの短文対応を、畏敬は既に理解している。理解しているだけでなく、責めない理由を作っている。斎太は表情を変えなかった。
「短文って、誤解されません?」
『されますわ』
「それでも責めづらい?」
『責めるべきは短文そのものではなく、短文にせざるを得ない環境ですもの』
「本人が、それに甘えてたら?」
畏敬は少しだけ口を閉じた。今日初めて、返答が遅れた。
『そこは、見極めます』
「どうやって?」
『……継続して見ます。忙しい中でも記録を残すか。必要な時に説明をするか。感謝と謝罪を混同しないか。助けを受けた時に、そのまま依存するのか、次から自分で回せるようにするのか』
「かなり見ますね」
『見る必要がありますわ』
「好きだから?」
コメント欄が一瞬で速くなった。斎太は今度、踏み込んだ。だが、相手個人の名前は出していない。恋愛相談にもしていない。理屈の先にある感情の有無を、一般論として聞いただけだ。畏敬は笑った。笑いは崩れていない。だが、声の芯が一瞬だけ細くなった。
『好きという言葉は、便利すぎますわね』
「失踪くらい便利?」
『ええ。便利で、曖昧で、責任の置き場をぼかします』
「じゃあ使わない?」
『使うなら、内訳を見ます。尊敬なのか、庇護欲なのか、恋なのか、役割への執着なのか。好きと呼ぶ前に、そこを分けたいですわ』
斎太は何も言わず、ほんの少しだけ頷いた。畏敬は分けようとしている。好きという言葉へ逃げていない。自分の感情を分類しようとしている。だが、分類できることと、分類した後に離れられることは別だった。
配信はその後、経済学部の話、数字に強くなる方法、家計簿アプリ、事務所運営ゲームがあったら何をパラメータにするか、という軽い方向へ戻した。畏敬は終始強かった。コメント欄の扱いも上手い。高圧的なキャラでありながら、視聴者を置いていかない。難しい話題に入っても、言葉を噛み砕く。経理や運営の話を、女王様の判決として娯楽に変える。その技術は本物だった。
終了間際、斎太は最後に一つだけ聞いた。
「畏敬さん、もし自分が誰かを支えすぎてると思ったら、どうします?」
畏敬は微笑んだ。
『帳簿を見ますわ』
「恋愛の話で帳簿?」
『ええ。時間、労力、感情、得られたもの、失ったもの。数字にできないものほど、せめて言葉にはします。自分が何を払っているのか分からない支払いは、恋でも仕事でも危険ですもの』
「強いな」
『強くありませんわ。見えないものが怖いだけです』
その言葉で、斎太は彼女の輪郭を少し掴んだ。畏敬は強さで立っているのではない。見えないものへの恐怖を、数字と整理で押さえている。だから、外部要因で潰れた相手を見ると、見える形へ戻したくなる。帳簿を作り、責任を分け、改善余地を探し、支える。そこに恋が乗った時、彼女は自分で自分を止められるかもしれない。だが、止めるための材料もまた、相手を継続して見ることによってしか集まらない。
配信を締める。コメント欄は好評だった。畏敬の語録がいくつも拾われ、経済学部志望らしい話の強さが切り抜かれそうな空気になっている。炎上要素はない。恋愛の話に見える箇所も、外から見れば一般論で処理できる。コラボとしては成功だった。
終了ボタンを押した直後、斎太は椅子に背を預けた。
アキが入ってくる。
「どう?」
「分かってる。かなり分かってる」
「危ない?」
「危ない。けど、雑に止めるタイプじゃない。怠惰と外部要因を分けてる。権限も見る。依存なら切ると言った。固定具になるのも嫌がってる」
「なら安全?」
斎太は首を横に振った。
「逆。そこまで分かってるから、自分が支える理由をいくらでも理性的に作れる。好きって言葉にも逃げてない。尊敬、庇護欲、恋、役割への執着を分けたいと言った。だからこそ、本人の中ではかなり誠実な動きになる」
「誠実なら問題ないとは限らないわね」
「ない。新プロデューサーは、外部要因でダメになってる人間として条件が揃いすぎてる。本人が怠けてるわけじゃない。改善余地がある。支えれば立つかもしれない。畏敬にとっては、一番見捨てづらい」
アキは静かに聞いていた。斎太はメモを見直す。
「榊は、削れている人間を見て止めたい。畏敬は、外部要因で崩れている人間を見て整えたい。二人とも善意と理性がある。だから軽く扱えない」
「恋は否定しない」
「否定しない。でも、この二人は恋じゃなくても近づく理由がある。そこに恋が混ざると、本人たちも綺麗に分けられなくなる」
アキは頷いた。
「次は抹茶さん?」
「古い友人だから、少し面倒」
「やりやすいんじゃなくて?」
「やりやすい相手ほど、余計なことを聞きそうになる」
斎太はヘッドホンを外し、机に置いた。畏敬の声がまだ耳に残っている。線引きしない女王は暴君。好きという言葉は便利すぎる。見えないものが怖い。どれも配信用の言葉として綺麗に収まっている。だが、その奥にあるのはかなり生々しい恐怖だった。見えないものを整理したい。崩れているものを構造で直したい。外部要因で潰された人間を、自己責任で切り捨てたくない。
斎太は画面を落とし、暗くなったモニターに映る自分の顔を見た。
「大人だから大丈夫、って考える方が雑だな」
小さく呟くと、アキがすぐに返した。
「今さら?」
「今さら」
「遅いけど、ないよりはいいわ」
斎太は反論しなかった。畏敬は、新プロデューサーを甘やかそうとしているのではない。査定している。改善余地を見ている。支えることで回復するなら意味があると考えている。だから、もし新プロデューサー側がその視線に甘えた時が一番危ない。恋愛の事故ではなく、役割の事故になる。
部屋の外では、ベルが誰かと話している声がした。今日はヘッドホンをしていないので、かすかに聞こえる。斎太は聞く前に立ち上がり、ドアを閉めた。聞かないことにも技術が要る。だが、もう知らなかったことにはできない。
次は新緑抹茶だった。
古い友人で、茶に狂っていて、七時間正座できて、普段はあぐらで、好きな理由に納得していない女。
斎太は、榊と畏敬のメモを保存した。
善意の形が、二つ並んだ。
どちらも綺麗で、どちらも危うかった。




