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父の形見は美少女Vtuber  作者: 伊阪証


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神童

コラボ枠の待機画面を出した時点で、斎太は飲み物を二つ用意していた。一つは自分用の炭酸水、もう一つは画面に映るわけでもないのに淹れた温かい茶だった。相手が巫女系だからというわけではない。新緑抹茶と後で話す予定があるせいで、ここ数日、家の中に茶葉の種類が増えている。キッチンの棚は料理用のスパイスと茶葉と、誰が買ったのか分からない菓子で圧迫されていた。斎太はそれを見て、ため息を吐きながらマグカップを机に置いた。配信前に余計な作業を増やすのはよくない。けれど、手元に温度のあるものがある方が、変な沈黙に耐えやすい。

画面の中では、スチーラットのモデルがいつも通り瞬きをしている。手元の資料には、朱木榊の情報が並んでいた。巫女系V。リアルでは神学部を目指す高校生。実家はそこそこ大きい神社で、周辺も観光スポットになっている。身を滅ぼすくらいの献身に惹かれる。最後の一文だけが、資料の中で妙に重かった。本人がそう言ったのか、周囲がそう見ているのか、そこはまだ曖昧だ。だからこそ、今日の雑談で直接聞いてはいけない。聞けば相談になる。相談になれば、アキやベルへ話したことが斎太へ漏れていると思われる。斎太が使えるのは、出遅れているという立場だけだった。知らない体で、何も知らない相手として、ただ話す。

通話が繋がる直前、アキが部屋のドアを軽く叩いた。

「音だけ聞いてるわ」

「監視?」

「安全確認」

「言葉の置き換えが上手いな」

「あなたほどじゃないわ」

扉越しの声はそこで止まった。入っては来ない。斎太はそれでいいと思った。今日の場にアキがいる気配を強く出す必要はない。相談を受けた人間が近くにいると分かれば、榊は余計に固くなる。だが、完全に一人でもない。家の中には、聞いたことを勝手に外へ出さない人間がいる。その距離感だけが必要だった。

開始ボタンを押す。待機画面が切り替わり、コメント欄が流れ出した。相手側のモデルが表示される。朱木榊は、赤を基調にした巫女装束の少女だった。白と赤の強い対比に、榊の葉を模した髪飾り。声は落ち着いているが、作って低くしているわけではない。神社の境内で参拝客へ案内する時のような、相手を急かさない声だった。

『スチーラットさん、本日はお招きいただきありがとうございます』

「こちらこそ。三文演義の巫女さんと話せる機会、普通にありがたいですね。僕、実家が神社の人って、どこまで神社の人なのかずっと気になってたんですよ」

『どこまで、ですか?』

「生活圏まで神社なのか、仕事として切り分けてるのか。あと、観光地近いと、日常に観光客が混ざるじゃないですか。あれって結構、感覚変わりません?」

入り方は軽くした。恋愛ではない。プロデューサーでもない。神社と観光地。榊がいくらでも話せる場所から入る。榊は一拍置いて、柔らかく笑った。

『変わりますね。私の場合、家と神社が完全に切れているわけではないので、朝から人がいることに慣れてしまっています。普通の家なら閉じている時間にも、誰かが祈りに来る。観光の方もいれば、本当に切羽詰まっている方もいる。だから、誰かの用事が自分の生活に入ってくること自体には、あまり抵抗がないかもしれません』

「最初から開いてる家って感じですか」

『そうですね。閉じ切れない家、の方が近いです』

コメント欄が「表現好き」「神社の家大変そう」と流れていく。斎太は炭酸水を一口飲んだ。閉じ切れない家。いきなり核心に近い言葉が出たが、まだ触れない。榊が自分で出した生活感だ。そこへ急に人間関係を重ねると、観測ではなく誘導になる。

「それ、疲れません? 自分の家なのに、誰かの願い事が入ってくるわけでしょ」

『疲れますよ。でも、嫌ではないです。願い事って、綺麗なものばかりではないんです。合格したい、病気が治ってほしい、商売が上手くいってほしい。そういう分かりやすいものもありますけど、誰かを許せないとか、自分だけ助かりたいとか、そういうものもある。それでも、そこへ来るまでにその人が抱えてきたものがあるなら、雑に扱いたくはないです』

「優しいですね」

『優しいというより、雑に扱うと自分が嫌なんです』

斎太はそこで少しだけ視線を下げた。優しいと言われて否定する人間は多い。だが、榊の否定は照れではなかった。雑に扱いたくない。自分が嫌だから。そこには、他人への奉仕と自分の倫理が結びついている。献身というより、境内へ入ってきたものを乱暴に扱わない責任に近い。

「神学部を目指してるって聞いたんですけど、実家が神社でそれって、自然な流れなんですか? それとも逆に、ちゃんと外から見たい感じですか」

榊の表情が少し明るくなった。語れる話題だった。

『どちらもあります。家のことをそのまま信じたい気持ちもありますし、信じているものを外から見た時に、どういう形になるのか知りたい気持ちもあります。神社にいると、祈る人の顔は見えます。でも、その祈りが歴史や思想の中でどう扱われてきたのかは、家にいるだけでは分からないので』

「現場と理論の両方が欲しい」

『はい。現場だけだと、良くも悪くも近すぎます。理論だけだと、人の手触りが抜けます』

「手触り」

『はい。誰かが本当に困っている時の声や、賽銭箱の前で立ち止まっている時間や、お守りを選ぶ時の迷い方。そういうものは、資料だけでは分からないので』

コメント欄が少し落ち着いた。榊の声の温度が、最初よりわずかに低く、深くなっている。ロールプレイは崩れていない。巫女系Vとしての語りの範囲に収まっている。だが、言葉の中に現実の観察が混ざり始めていた。斎太はここで話題を一度ずらす。

「観光地の神社って、写真だけ撮って帰る人もいるじゃないですか。あれ、どう思います?」

『ありがたいですよ』

「意外と即答」

『来てくださるだけでありがたいです。もちろん、場所によって守ってほしいことはあります。でも、入り口が写真でも、そこから何か一つ覚えて帰ってくださるなら、それはそれで意味があります』

「配信者みたいですね。サムネで来てもらって、十秒見て帰られても、来ないよりはいい」

榊は少し笑った。

『そうかもしれません。神社も配信も、最初から深く分かってもらうことを求めすぎると、入口が狭くなりますから』

「でも、入口が広いと、雑な人も来る」

『来ますね』

「そこは嫌じゃないんですか」

『嫌な時もあります。ただ、入口を広くした以上、雑な人が来ることも含めて受け止める必要があると思っています。もちろん、何でも許すという意味ではないです。荒らす人を止めるのも、場所を守る側の仕事です』

斎太はその言葉を拾った。受け止める。止める。場所を守る。榊の中では、献身はただ耐えることではないらしい。そこは重要だった。身を滅ぼすほどの献身に惹かれるという資料の一文だけを見ると、危うさばかりが立つ。だが、本人の言葉には境界線もある。何でも許すわけではない。荒らす人は止める。場所を守る側の仕事。ここを見落とすと、榊をただ危ない子として処理してしまう。

「じゃあ、守る側が削れてる時はどうします?」

榊の瞬きが一つ遅れた。

コメント欄の流れは変わらない。質問としては自然だ。神社でも配信でも、運営側が疲弊することはある。斎太はあくまで一般論として聞いた。だが、榊の中では別の対象に触れたらしい。彼女はすぐに笑顔を戻したが、その戻し方が少しだけ丁寧すぎた。

『削れている時、ですか』

「人が足りないとか、仕事が多いとか、責任だけ乗ってるとか。守る側が守られてない時」

『……それは、見ていて苦しくなりますね』

「手伝いたくなる?」

『なります』

即答だった。そこだけは迷いがなかった。斎太は何も言わず、炭酸水のボトルを手に取った。榊は自分の答えが速すぎたことに気づいたのか、少しだけ声を整える。

『ただ、手伝うと言っても、できることには限りがあります。無理に入っても、かえって邪魔になることもありますから』

「でも、見ていたら手は出したい」

『はい』

「その人が、自分を削ってでも場を守ろうとしていたら?」

また、わずかな間。

『……止めたいです』

「助けたいじゃなくて?」

『助けたいです。でも、まず止めたいです。身を削ればいいというものではありませんから』

資料の一文と違う。斎太はそう思った。榊は身を滅ぼすくらいの献身に惹かれる。だが、本人の言葉では、身を削っている人間を美化するだけではない。止めたい。助けたい。そこには惹かれる気持ちと、止めるべきだという理性が同時にある。問題は、その二つが同じ方向を向いた時だ。止めたいから近づく。助けたいから支える。支えているうちに、自分の役割を恋と呼び始める。そういう道はあり得る。

榊は話題を自分から戻した。

『神社でも、地域の行事でも、頑張りすぎる方はいます。そういう方を見ると、どうしても気になります。本人が好きでやっている場合もありますが、好きで始めたことでも、いつの間にか逃げ道がなくなることはありますから』

「逃げ道がない人を見ると、放っておけない?」

『……そうですね』

今度は即答ではなかった。自分の言葉を選んでいる。ロールプレイを崩さないためではなく、言葉がそのまま誰かに向いてしまうのを避けているように見えた。斎太はそこへ踏み込まない。代わりに、観光地の話へ戻した。

「観光スポット近いと、イベントの時期とか死にません?」

榊の表情が少しだけ戻る。

『死にます』

「巫女さんが言っていい言葉ですか」

『配信なので許してください。年末年始と大きなお祭りの時期は、本当に家の感覚がなくなります。朝から人がいて、誰かが何かを聞きに来て、落とし物があって、道案内があって、御朱印があって、写真を頼まれて、気づいたら夜です』

「体力勝負だ」

『はい。だから、神聖さだけで続くものではないです。かなり普通に、体力と人手です』

コメント欄が笑う。「急に現場」「神社も労働」「ありがたい話から労務へ」と流れる。斎太はその空気に乗った。

「神社運営シミュレーターとかあったら榊さん監修できますね」

『やりたいです。参拝客対応、天候、地域行事、会計、清掃、近隣のお店との関係、全部入れましょう』

「難易度高すぎる」

『でも、そういう細かいところを知らずに綺麗な部分だけ見ると、支えている人の顔が消えてしまうので』

また出た。支えている人。榊の視線は常に、場を維持する側へ向きやすい。神社の話でも、配信の話でも、観光地の話でも、彼女は表に出る華やかさより、それを裏で持たせる人間の方へ引っ張られる。斎太はそこをメモした。画面外でキーボードを打つ音は出さない。手元のメモパッドに短く書く。

支える側を見る。

削れている人に反応。

美化だけではない。止めたいが先にある。

ただし近づく理由になる。

「榊さんって、推しを見る時も裏方目線になります?」

『なりますね。配信者さんが楽しそうにしているのを見るのも好きですが、それ以上に、無理をしていないか気になります。声が少し枯れているとか、配信の間隔が詰まりすぎているとか、告知の文章がいつもより雑だとか』

「そこまで見ます?」

『見ます』

「怖いな」

『すみません』

「いや、謝るところじゃないです。多分ありがたい側の怖さです」

榊は笑った。今度の笑いは軽かった。

『ありがたい怖さなら、まだ良かったです』

「でも、それだけ見えると疲れません? 他人の疲れって、見えすぎると自分に残りません?」

榊は少し黙った。画面の中の巫女装束が、呼吸に合わせて小さく揺れる。モデルの動きは綺麗だ。だが、その沈黙はモデルではなく中身のものだった。

『残ります』

「ですよね」

『でも、見えないふりをする方が疲れます』

斎太はそこで返事をしなかった。榊の言葉は整っている。ロールプレイも崩れていない。だが、内容だけ見るとかなり危うい。見えるものを見えないふりする方が疲れる。だから見てしまう。見たら手を出したくなる。相手が削れているほど、止めたいし助けたい。そこに恋が混ざるなら、本人にとっては自然でも、周囲からはかなり判別しづらい。

「じゃあ、相手から『大丈夫』って言われたらどうします?」

榊はまた一拍遅れた。

『信じます』

「本当に?」

『信じたいです』

「信じたい」

『はい。大丈夫と言われたら、その言葉をまず尊重したいです。でも、明らかに大丈夫ではない時は、言葉だけを信じるのも違うと思います』

「踏み込む?」

『踏み込むというより、逃げ道を置きます。今すぐ話さなくていい、でも必要ならここに置いておく、という形にしたいです』

斎太は少しだけ目を細めた。アキに近い。抑圧しないための逃げ道。榊は危ういが、全く制御がないわけではない。自分が支える、自分が救う、そういう言い方ではない。逃げ道を置く。本人の言葉を尊重する。だが、明らかに大丈夫ではない時は見過ごさない。この言葉だけなら、恋に突っ込む人間ではなく、相談役として優秀な人間にも見える。

問題は、その逃げ道を置く相手が一人に固定された時だった。

「榊さんがそういう話するの、三文演義の中でも多そうですね」

『そう、でしょうか』

「だって聞き方が上手い。押しすぎないし、でも見てるところは見てる」

『……ありがとうございます』

褒めた瞬間、榊の声が少しだけ小さくなった。照れではある。だが、単純な照れよりも、褒められた部分が自分の危うさに繋がっていることを分かっている反応だった。

斎太はすぐに軽い話へ戻した。

「じゃあ、神社で一番困る質問って何ですか?」

『え、急ですね』

「急に軽くしないと、僕の配信が神社労務相談になってしまう」

『それはそれで少し見たいです』

「僕は見たくないです。神社の労務に詳しいネズミ、肩書きが渋滞するので」

榊は笑った。コメント欄も笑う。そこからしばらく、話は御朱印、祭りの屋台、観光客から聞かれる道案内、実家で手伝っていて困ったことへ移った。榊はよく話した。ロールプレイは崩れない。巫女系Vとして、神社と生活の境目を上手く語る。炎上しそうな話題には触れず、家の規模や場所の特定に繋がるところは自然にぼかす。プロ精神はある。少なくとも、配信上の自分を維持する力は十分にある。

だが、最後の十分で、斎太はもう一度だけだけ、薄く触れた。

「今日話してて思ったんですけど、榊さんって、祈る側より守る側に目が行きますよね」

榊はすぐには答えなかった。

『……そうかもしれません』

「巫女系だから、祈りの話が中心なのかと思ってたんですけど、実際は場所を維持してる人とか、支えてる人の話が多い」

『祈りは、場所がないと届きませんから』

その言葉は綺麗だった。綺麗すぎた。斎太は一瞬だけ、ここで踏み込むべきか考えた。だが、今日は雑談だ。相談ではない。榊はロールプレイを保っている。こちらが崩す理由はない。

「じゃあ、場所を守る人も守られないとですね」

榊は画面の中で微笑んだ。

『はい。そう思います』

「その時、自分が守る側へ行きすぎないようにしてください。視聴者目線でも、榊さんが倒れると困るので」

コメント欄が「それはそう」「榊ちゃんも休んで」「守る側も守られろ」と流れる。軽い注意として通る範囲だった。榊も笑って受け取れる範囲だった。だが、榊の声は少しだけ柔らかく沈んだ。

『ありがとうございます。気をつけます』

そこで配信を締めた。最後まで、恋の話は一度も出していない。新プロデューサーの名前も出していない。三文演義の騒動にも触れていない。ただ、神社と観光地と支える側の話をしただけだ。外から見れば、巫女系Vとの真面目寄り雑談。コメント欄も荒れていない。むしろ好評だった。

配信終了後、斎太はしばらく画面を消さなかった。コメント欄のログを遡る。視聴者は榊の真面目さを褒めている。神社の現場感が良かったという声も多い。支える人の話で少し感動している者もいる。誰も恋愛の話だとは思っていない。当然だ。そう見えないように話した。

アキがドアを開けた。

「どうだった?」

「危うい。でも雑ではない」

斎太はヘッドホンを外して、椅子の背に掛けた。

「献身に惹かれるって言うと危ないだけに見えるけど、本人は身を削ることを肯定してるわけじゃない。むしろ止めたいが先にある。守る側を見てしまう。疲れている人間を見えないふりする方が疲れる。逃げ道を置きたい。そこまではかなり理性的」

「問題は」

「その理性が、そのまま一人に固定された時。止めたい、助けたい、逃げ道を置きたい。全部まともな言葉なのに、相手が新プロデューサー一人になると恋と区別しにくい」

アキは頷いた。

「本人の意思はありそう?」

「ある。少なくとも、誰かに言わされてる感じではない。ただ、恋かどうかはまだ分からない。尊敬、救済願望、責任感、環境への反応が混ざってる。本人もたぶん、綺麗に分けられてない」

「進める?」

「次を見る。榊だけで決めると、支える側に引っ張られる構造だけが見えて終わる。畏敬はたぶん、もっと具体的に支える話になる」

斎太はメモを閉じた。榊は崩れなかった。ロールプレイを維持した。炎上するような隙も見せなかった。だが、完全に何も漏れなかったわけではない。守る側が削れている時、彼女は止めたいと即答した。あの速さだけは、ロールプレイの外側に近かった。

マグカップの茶は冷めていた。斎太はそれを一口飲み、顔をしかめた。

「まずい」

「冷めたから?」

「違う。淹れ方が雑だった」

「抹茶さんに怒られるわよ」

「次がその前に畏敬でよかった」

斎太は立ち上がり、冷めた茶を片付けに行った。廊下の向こうでは、ベルが誰かと電話している声が小さく聞こえる。内容は拾えない。拾わない方がいい。今日の榊との雑談で、一つだけは分かった。家族へ流れ込んできた相談は、ただの恋バナではない。かといって、病名をつけて切れるものでもない。

恋は否定しない。

ただし、支えることと恋することが重なった時、人はかなり静かに危うくなる。

朱木榊は、その静かな危うさを、最後まで巫女の声で包んでいた。


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