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父の形見は美少女Vtuber  作者: 伊阪証


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絶対王者

控室として用意された部屋は広くはないが、狭さで人を圧するような造りでもなかった。白い壁、角の丸い机、人数分より少し多いくらいの椅子、飲みかけの水を置くためだけにあるような低い棚、そのどれもが、長く留まるためではなく、一度気持ちを落ち着けてから次へ行くために置かれている。けれど、そういう部屋ほど、落ち着けない人間には容赦がない。何も起きていないという顔をした空間の中で、起きていることだけが自分の内側から浮き上がってくるからだ。


「で、どうなったの」


アキはそう言って、隣の部屋で斎太と手元のカップを持ち上げた。湯気はもう薄い。少し前まで熱かったはずなのに、話を待っている間に温度を失っていたらしい。斎太はテーブルの向こうで椅子の脚を少し鳴らし、それから肘をつかずに座り直した。顔だけ見ればいつも通りだったが、返事までにほんのわずかな間がある。考えているというより、口にする順番を並べている時の遅れだとアキには分かった。


「揉めてはない」


「じゃあ、綺麗に終わった?」


「綺麗ではない。あの人が綺麗に済ませるわけないだろ」


そこだけは即答だった。アキは小さく鼻で笑い、カップを置く。斎太は視線を逸らさなかった。


「社長は心配してるし、リスクだとも思ってる。そこは変わらない。でも、どの選択も許容してる。切るか、抱えるか、全部分かった上で、最終的に現場で並ぶ人間が決めろってさ」


「……投げたのね」


「いや、逆だな。あの人が背負えるものは背負い切った上で、最後の判断だけ残した。あの場で誰が選ぶのが一番マシか、ちゃんと分かってる」


斎太はそこで一度言葉を切った。アキは続きを促さない。促せば、今必要なものまで一緒に零れ落ちるのが分かっていたからだ。斎太は数秒だけ黙り、ようやく短く言った。


「出来ることは特にない、ってことも、あの人は最初から分かってる。だからまぐれに渡した。大御所が何を以て大御所なのか、思い知るさ、って感じだ」


「自分でやらないのが一番上手い人間ってことね」


「そういう言い方もできる」


アキは腕を組み、わずかに首を傾げた。まぐれの顔は知っている。配信上の立ち回りも見ている。だが、それだけだ。名前の重さは分かっていても、全体像は掴めていない。まして、なぜそこまで斎太が言い切れるのかまでは見えていなかった。


「でも、そんなに断言できるほど、何を知ってるの」


「全部じゃない」


斎太は素直にそう言った。


「全部じゃないけど、見える範囲だけでも充分なんだよ」


かにゃは机の端に指先を置いたまま、そこから手を離せずにいた。力は入っていない。けれど、離すと膝の上に置いた両手が震えるのが自分でも分かっていたから、机の角に触れているしかなかった。喉は乾いているのに、用意された水へ視線が向いても、飲むという順番まで頭が動かない。呼吸も乱れているわけではないのに浅い。整えようと意識するたび、今度は意識していることそれ自体が息苦しさになる。少し前までは、まだ、話が終わった直後の張りつめた状態のまま持っていた。だが、張っていたものは時間が経つと別の形で落ちる。何がどうなったかはもう分かっている。分かった上で、結論が頭の中を何度も同じ順番で回るから苦しいのだ。


残れば遠ざかる。離れれば切れる。どちらにしても夢が死ぬ。もっと感情的な破綻ならまだよかった。嫌だ、怖い、無理だ、と子供みたいに泣き散らしていれば、いずれ涙と一緒に少しは抜けるものもある。けれど今のこれは違う。自分の中で通ってしまった理屈が、反芻されるたびに余計に正しく見える。だから、切ればいいという結論だけが、変に整った形で残ってしまう。


「残っても意味ないんだよね」


独り言のつもりで口に出した声は、思っていたよりよく通った。誰もいない部屋では、かえってそういう小さな声の方がよく響く。


「続けるほど遠くなる。今やってること全部、夢と逆なんだよ」


そこで一度、笑いが喉まで上がった。自嘲とも違う、乾いて短いもので、すぐに消えた。


「それなら、早い方がマシじゃん」


もう少しで、自分を切る側の言葉へ滑り切るところだった。どうせ同じなら、使い潰すなら、終わるなら、早い方がいい。そう言えば、自分で自分に筋が通る気がしたからだ。


ノックは一度だけだった。返事を待つほど長くもなく、乱暴でもない。その一拍の後で扉が開き、六芒星まぐれが部屋へ入ってきた。かにゃは顔を上げなかったが、足音と空気の動きだけで誰かは分かった。まぐれは部屋の中央まで来てもすぐには声をかけず、机を挟んで真正面に立つことも、慰めるみたいに隣へ寄ることもしなかった。かにゃの斜め前、視線だけ動かせば見える位置で止まり、そこに一脚あった椅子へ静かに腰を下ろす。近すぎず、遠すぎず、逃げようと思えば視線は外せるが、話は終わらない距離だった。


「水、飲めそう?」


最初の一言がそれだった。体調を案じる言い方ではあるが、優しさを押しつける声ではない。かにゃは机を見たまま答えた。


「喉は乾いてるけど、今は別に」


「そう」


まぐれはそれ以上、無理に勧めなかった。大丈夫とも言わないし、飲んだ方がいいとも言わない。その引き方が、逆にかにゃの中の何かを少しだけ逆撫でした。気遣いが欲しいわけではない。だが、ここまで手を抜かれずに静かでいられると、自分の崩れ方が大袈裟みたいに見えてしまう。


少しの間、どちらも喋らなかった。沈黙が苦しくなる前に、かにゃの方が先に口を開いた。


「残っても意味ないよ」


まぐれは動かない。


「続けるほど遠くなるし、今やってること全部、夢と逆。残ったところで削れるだけだし、離れたら離れたで、ここまでの全部が切れる。だったら、早い方がいいじゃん。どうせ同じなら」


自分の言葉を途中で止めずに最後まで出せたのは、それが既に頭の中で完成していたからだった。まぐれはそこでようやく、かにゃの顔をきちんと見た。哀れむような目ではなかった。反論を探している目でもない。ただ、相手がいま何を自分の結論にしているのかを、ずらさずに受け取ろうとする目だった。


「今の形のまま続けるなら、そうだね」


否定されると思っていたかにゃは、一瞬だけ言葉を失った。まぐれは続けない。だからかにゃの方が食いつくしかない。


「……じゃあ、やっぱり同じじゃん」


「同じじゃない」


短い返答だった。けれど、さっきの肯定を取り消すような言い方ではない。かにゃが眉を寄せると、まぐれはそのわずかな変化を見て、初めて少しだけ言葉を足した。


「今の形のまま続ける必要はないってこと」


「形の問題じゃないよ」


「うん、夢の問題だよね」


そこを先に取られてしまって、かにゃは一度目を閉じた。そうなのだ。今、自分が苦しいのは、安全の話でも居場所の話でもない。夢を諦めろと言われるなら、何を守られても意味がない。


「それだと、夢が叶わない」


今度ははっきりと言えた。ここだけは、弱った声で言いたくなかった。


「場所が変わるだけでも違う。箱が変わるだけでも違う。そうなった時点で、もう同じ夢じゃなくなる。私はそういう形で残りたいわけじゃない」


まぐれは頷いた。


「うん」


「うん、じゃなくて」


「そこを捨てる話はしてないよ」


かにゃは顔を上げる。まぐれはそこでようやく、一つだけ、負担の小さい形で具体を差し出した。


「私の家族の義理の家族として、一回やり直してみない?」


かにゃは意味を取るのに少し時間がかかった。理解した瞬間、息が詰まる。


「……何それ」


「そのまま」


「それじゃ意味ない」


反射だった。まぐれはそれを遮らない。


「それだと夢は果たせない。守られて残るとか、家族扱いに寄せるとか、そういう話じゃない。そんな形で続けても、やりたかったことと違う」


「うん」


まぐれはまたそう言ったが、今度の「うん」はさっきより少し重かった。


「そこを死なせるつもりはない」


「じゃあ、どうするの」


かにゃの声は強かったが、その強さの底はもう薄くなりかけていた。ここで「分からない」と返されたら、今度こそ全部が閉じるという自覚があったからだ。


まぐれはその薄さを分かっている顔で、しかし大袈裟にやわらかくすることなく、ただ必要なだけの強さで答えた。


「大丈夫」


それだけだった。根拠を並べない。慰めるようにも聞こえない。けれど、逃げずに置いた言葉だった。


かにゃはすぐには言い返せなかった。そういう言葉は嫌いなはずなのに、目の前の人間がそれを気休めで使うタイプではないことも知っているからだ。まぐれは、さらに負担を増やさないまま、中身を一つだけ出した。


「新しく事務所を作る許可は貰ってる」


部屋が静まり返ったように感じたのは、さっきまでの静けさとは意味が違ったからだ。かにゃの視線が初めてまぐれの上で止まる。


「……何」


「新しく箱を作る。今のまま残るか、ここで切るか、その二つだけじゃなくする。夢を減らすためじゃなくて、続けるために」


「そんなの」


かにゃは言いかけて止まった。無理だと言い切るには、まぐれの言い方が落ち着きすぎていた。出来るか出来ないかを一緒に悩んでいる声ではない。もう通す前提で置きに来た人間の声だった。


「今すぐ全部理解しなくていい」


まぐれはそこでようやく、ほんの少しだけ声の角を落とした。


「今日ここで決めるのは、夢を捨てるかどうかだけでいい。捨てないなら、残りはこっちで組む」


それは説明ではなく、判断項目を減らすための言い方だった。かにゃが今、一番きついのは、全部を一度に決めなければいけないように感じていることだ。残る、去る、守られる、切られる、夢、名前、今まで、それから先。まぐれはそれを全部机に広げない。先に一枚だけ抜く。


かにゃは唇を噛んだ。ずっと閉じていたはずの盤面へ、別の手が一つだけ置かれてしまった。希望が欲しかったわけではない。むしろ、希望なんて一番負担が重い。まだ捨てなくていいと言われた途端に、ではどうやって、と考え始めなければならなくなるからだ。それでも、その一手は既にここへ置かれている。


「……本当に、夢は死なないの」


声が揺れる。まぐれは即答した。


そこには、余計な飾りがなかった。自分の能力も、仕組みも、今ここでは語らない。ただ、プロとして引き受けた時の重さだけが残る。


かにゃは目を閉じた。涙は出なかった。出たら楽なのに、出せるほど子供ではいられない。代わりに、机の角を押さえていた指先へ少しだけ力が戻る。まぐれはその変化を見て、無理に結論を急がなかった。急がせれば、それだけで今差し出した手が重くなることを知っているからだ。


しばらく待ってから、まぐれは最後に、ごく狭い問いだけを残した。


「夢、まだ捨てない?」


大きな決断ではない。全部を背負わせる問いでもない。けれど、今のかにゃが答えられる範囲まで削られた、その一段だけが、静かに目の前へ差し出されていた。


斎太はそこで少しだけ目線を下げ、テーブルの木目を見た。すぐに答えが返ってくると思っていたアキは、逆にその一拍で何を引っ掛けたのかを察した。斎太がこういう間を挟む時は、大抵自分の記憶に身体感覚が混じっている。


「……あの人、編集は苦手なんだよな」


アキの言葉が先に出た。斎太は目を上げる。


斎太は短く息を吐いた。そこに説明の起点が落ちたことで、少しだけ喋りやすくなったらしい。


「編集って、派手な作業だと思われがちだけど、実際は単調な作業の連続なんだよ。同じ確認、同じ修正、同じ切り出し、同じ書き出し、延々と繰り返す。センスだけで終わる段階なんて一瞬で、その先は集中力の消耗戦になる。普通のやつは途中で飽きるか、嫌になるか、雑になる」


「うん」


「まぐれは、そこを自分で抱え続けるのをやめた」


アキは眉を寄せる。


「投げた、ってこと?」


「違う。切り出したんだよ。単調で、人が壊れやすくて、でも必要な作業だって見抜いて、そこだけ別の現場にした」


「別の現場」


「集中だけできる環境を作る。会話がなくても成立する。愛想も連携もいらない。指示と成果だけで回る。喋れないやつでも働けるし、逆に喋らせない方が性能が出るタイプもいる。そういう人間を引っ張ってきて、余計な消耗なしで編集を回す」


アキはすぐには頷かなかった。理解できないというより、その発想の方向が自分の職場感覚とずれていたのだろう。斎太はそれを見て、説明を一段階だけ手前へ戻した。


「能力がない人間でも働けるようにした、って言い方だと少しズレるな。能力がないんじゃない。発揮する形が狭いだけの人間を、その形のまま使えるようにした。単調作業に強い、集中が切れにくい、でも普通の職場だと会話や空気で潰れる。そういうやつを拾って、会話ゼロでも成立する場所に置く。無駄がない。適材適所をそのままやってる」


アキはそこでやっと、さっきまでの話と自分の記憶が繋がったらしかった。目元の緊張が少しだけ変わる。


「……だから、あの人は潰れないの」


「潰れるところを減らしてる。自分も他人も」


斎太は続けた。


「しかも、そこだけじゃない。自分のカリスマや会話能力でクリエイター能力として高く、自分ではこれ以上成長出来ないと見切ってる。そこから先は自分を伸ばすんじゃなく、人をどう置くかに切り替えてる。能力が無いと分かるなり頼りつつも信頼させ、上手く関係性を作る。表ではコミュ障ぶってる癖に、実際は冷徹なまでのコミュニケーション能力の鬼だ。業界に完全に独自のネットワークを作って、編集者や技術者を地位を利用しつつも集めて、情報漏洩を徹底防止してる。まぐれが一目置かれている理由って、そういうところなんだよ」


一気に言い切った後で、斎太は珍しく自分から付け足さなかった。アキの顔を見る。理解できたかではなく、どこまで飲み込めたかを待つ顔だった。アキはしばらく黙っていた。だが、その沈黙は拒絶ではない。頭の中で一つずつ噛み砕いている時の間だ。


「色んな男女に絡んで関係壊すだけ壊して、自分に依存させたりして遊んで、恨み買いまくった挙句に、先んじて外見バラした男とは違うわね」


「お前、その比較を今ここで出すのか」


「ちょうどいいでしょう。壊して繋ぐのと、壊れないように配置するのは別よ」


斎太は露骨に顔をしかめたが、反論はしなかった。アキの言葉が乱暴でも、比較としては正確だったからだ。まぐれのやっていることが善良かといえば違う。人を見抜き、場所を与え、依存ではなく機能として関係を成立させる。その冷たさは充分に怖い。だが、壊す方へは振っていない。


「名義も複数あるしな」


「いくつ」


「五つ」


「馬鹿なの?」


「しかも他事務所でも主力やってる。十万超えている人がいる事務所以外はすぐに活動が止まるから相対的に多く見えるが難しいからな。配信活動は実質一週間で三十回近い。動画編集は外注、それ以外の育成と管理は単独でも回るレベル。だから、さっきの話が現実になる。登録者数こそ差は多いがどれも気付かれない様に上手く組んでいる」


アキはそこでようやく背もたれに体を預けた。理解が追いついたというより、理解したくない規模まで飲み込んでしまった時の、諦めに近い沈黙だった。


「……大御所って、名前だけじゃないのね」


「一番胃を痛めてそうなマネージャーには同情してあげたいかな」


その言葉が落ちたところで、話はそこで終わった。斎太がこれ以上言えることはないし、アキももう質問を重ねなかった。何が起きるかは分からない。だが、起きた時に、まぐれが口先だけで手を差し出す人間ではないことだけは、今ので足りた。

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