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父の形見は美少女Vtuber  作者: 伊阪証


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33/51

潮の様に

大御所は机に肘をつかず、背もたれにも預けず、妙に中途半端な姿勢で座っていた。目の前には紙が一枚と、触っていないペンが一本。視線は斎太の顔ではなく、その少し横を見ている。

斎太は距離を詰めて、耳元で短く何かを言った。声は外に漏れない。内容も出さない。

その瞬間だけ、大御所の動きが止まる。

呼吸も、瞬きも、反応も。

机の木目の上に、小さな水の粒がひとつ落ちた。

大御所は何も言わない。拭きもしない。ただ一度だけ視線を落として、すぐに元に戻した。

斎太はそれ以上見ずに、椅子を引いて立ち上がる。

何も残さないまま、その場を離れた。

廊下に出ると、さっきまでの空気が薄くなる。人の声は遠く、生活音に近いものだけが残る。扉をいくつか越えて、奥へ進む。

その先の部屋に、煌美かにゃがいた。

椅子に座っている。姿勢は崩れていない。背筋は伸び、膝の上に置いた手の形も整っている。中性的な顔立ちだが、重心の置き方や指先の扱いは明確に女側に寄っている。作っているというより、身体に馴染んでいる動きだった。

完成されている、という印象が先に来る。

そのまま視線が合う。

「……あ」

かにゃが先に声を出した。

返事はすぐだが、ほんの一瞬だけ間が空く。反応の速度が合っていない。目は合っているのに、認識が遅れて追いつく形になる。

「すみません、ちょっと」

言葉は整っている。笑顔も形としては崩れていない。

ただ、切り替えだけが速すぎる。

呼吸も少しだけ浅い。

斎太はそのまま距離を詰めすぎない位置で止まる。

「待たせたな」

「いえ、大丈夫です」

返答は普通だ。普通だが、やはり一拍だけ遅れる。

所作は崩れない。視線も外さない。だからこそ、そのズレだけが浮く。

このタイプで、このズレは出ない。

斎太はそこで確定させる。

壊れ始めている。

「……あの」

かにゃの方から言葉が出る。止めるか迷って、そのまま出した声だった。

「スタッフの方、ですよね」

「いや、自分がスチーラットだ、驚いてくれ」

「あ、驚いときます。わ!」

視線が一度だけ上下する。露骨ではないが、見ている。

柔らかい、と言い換えてもいい。圧がない。仕事の顔に見えない。

かにゃの肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。

意図したものではない。勝手に抜けた。

「……すみません、変なこと言って」

「別にいい」

斎太はそれ以上拾わない。

「座るか」

テーブルの方を軽く指す。

理由はつけない。流れだけ作る。

かにゃは一度だけ頷いて、立ち上がる。動き自体はきれいだ。重心もぶれない。ただ、立ち上がるまでの間がほんの少し長い。

そのまま二人でテーブルの前に移動する。

向かい合う位置に椅子がある。

斎太が先に腰を下ろすと、かにゃもそれに合わせて座る。

正面に顔が来る。

距離が固定される。

かにゃはそこで一度、視線を落としてから上げた。

整った形のまま、ほんのわずかに遅れている。

かにゃは視線を合わせたまま、ほんの一拍だけ遅れて瞬きをした。

「えっと、今日は」

言い出してから言葉を探す。内容自体は決まっているはずなのに、出す順番だけが崩れている。

「その、確認とか、ですよね」

「そうだな」

短く返すと、かにゃはすぐに頷く。頷きは綺麗だ。角度も速さも整っている。けれど戻す時の首の動きがわずかに遅れる。

「すみません、ちょっとだけ、ぼーっとしてて」

「見りゃ分かる」

強く言っているわけでも、責めているわけでもない。ただ事実だけを置く。

かにゃは一度だけ口を閉じた。そのまま笑顔の形を作る。作れているが、維持の方に意識が行っているのが分かる。

「大丈夫です、すぐ戻ります」

戻す、という言い方をする。

戻っていない自覚がある。

斎太はそれ以上踏み込まない。ここで「無理するな」と言えば、そのまま崩れる。逆に放置すれば、この状態のまま削れていく。

どちらも使えない。

「最近、忙しいか」

問いとしては軽い。返答の幅も広い。

かにゃは一度、視線を横にずらしてから戻す。

「……普通です」

即答ではない。言葉を選んだ形でもない。どれを出すか決まっているのに、そこへ辿り着くまでに時間がかかっている。

「配信も、いつも通りですし」

続ける。整えに入る。

「レッスンも、そんなに増えてなくて」

一つずつ並べる。並べ方は正しい。順番も間違っていない。

ただ、間が合わない。

言葉の切れ目ごとに、呼吸が遅れる。

「だから、別に」

そこで止まる。

“別に何でもない”を言い切る前に、喉だけが先に詰まる。

かにゃは一度だけ息を吸い直した。深くではない。浅く、急いで整えるための吸い方。

「……大丈夫です」

最後は押し切る。

押し切った形のまま、視線を逸らさない。逸らさないことに集中している。

斎太はその顔を見たまま、何も言わない。

整っているものは全部整っている。姿勢も、手の位置も、言葉の内容も。

ただ、処理だけが追いついていない。

「昨日、寝たか」

「……はい」

間。

「寝ました」

言い直す。

一回目の返答が曖昧だった自覚がある。

「何時間だ」

「……」

かにゃは答えようとして、数を探す。探している間に、表情の形が一瞬だけ崩れる。すぐに戻す。

「えっと、三時間……くらい」

確定していない数字を出す。

「その前は」

「……覚えてないです」

そこで初めて、言葉が落ちる。

整えきれない部分が出る。

かにゃは一度だけ、唇を噛んだ。噛む強さは弱い。癖としてやっている動きだが、やめるタイミングが遅れる。

「でも、ほんとに、大丈夫で」

続けようとする。

続けるための言葉は用意できている。

ただ、次の一語が出ない。

空白が伸びる。

視線だけが固定されたまま、口が少し開いて閉じる。

そのまま、何も出てこない。

呼吸だけが一拍ずれて、戻らない。

かにゃはそこで初めて、目を細めた。泣きそうな顔ではない。ただ、焦点を合わせようとしてうまくいっていない顔だった。

「……すみません」

小さく言う。

謝る必要のない場面で謝る。

どこが崩れているのか、自分でも把握できていない。

「ちょっと、だけ」

言葉を足す。

「ほんとに、ちょっとだけなんで」

“ちょっと”で押し込もうとする。

斎太はそこで判断を切る。

このまま会話を続けても、戻らない。むしろ削れる。

言葉は使えない。

使えば、その分だけ崩れる。

斎太は椅子から少しだけ体を離した。

視線を外さずに、短く言う。

「待ってろ」

それだけ残して立ち上がる。

かにゃは止めない。

止める言葉を出すまでに、もう一拍必要だった。

斎太はそこで線を切る。

これ以上は触れない。触れても戻らない。

言葉を重ねれば、その分だけ崩れる。

解決は出来ない。

だから一旦、対症療法に留める。

「待ってろ」

短く残して立ち上がる。

止める声は来ない。来る前に動く。

台所へ入る。

新しく何かを作る時間は取らない。

残っているものでいい。

さっきの分の、余り。

鍋に残った味噌汁。

少しだけ減っただし巻き。

米もある。

西京焼きも一切れ残っている。

手を加えるのは最小でいい。

火にかけ直す。

温度だけ戻す。

味はそのままにする。

器に盛り直す。

量は増やさない。

ただ、もう一度“食える形”に整える。

それだけでいい。

盆に乗せて戻る。

かにゃはさっきと同じ位置にいる。

姿勢は崩れていない。

だが、動きが止まっている。

視線が固定されたまま、何も処理していない。

斎太は向かいに座らない。

横に置く。

「食え」

説明はしない。

理由も言わない。

かにゃは一度だけ斎太を見る。

その視線も少し遅れる。

「……今ですか」

「今だ」

間を置かず返す。

かにゃはそれ以上言わない。

言えない。

箸を取る。

持つまでに一拍。

そこから先は止めない。

だし巻きを一口。

噛む。

飲み込む。

そこで初めて、呼吸が変わる。

続けて味噌汁。

湯気に顔を寄せる。

そのまま口をつける。

手元がわずかに揺れる。

落ちた一滴が椀の中に混ざる。

止めない。

そのまま飲む。

米を口に入れる。

噛む。

飲む。

順番は崩れない。

考えずに動ける形に戻る。

かにゃは何も言わない。

言葉にする余裕がない。

ただ、手だけが止まらない。

斎太はそれを見ている。

それ以上はやらない。

戻しているわけじゃない。

ただ、崩れ続ける流れを切っているだけだ。

それで十分だった。

かにゃの手は止まらない。

だし巻き、味噌汁、米。

順番は乱れない。考えなくても辿れる動きに戻っている。

さっきまで引っかかっていた間が消えている。

呼吸も浅いままではあるが、途切れない。

斎太は何も言わない。

視線も合わせない。ただ、崩れが進まないことだけを確認する。

完全には戻っていない。

戻るとも思っていない。

それでも、さっきまでのように削れ続ける状態ではない。

かにゃが箸を止めた。

「……すみません」

小さく言う。

謝る理由はない。

それでも出てくる声だった。

斎太は返さない。

返す言葉が必要な場面じゃない。

かにゃは一度だけ目を閉じて、開く。

視線が合う。今度は遅れない。

「……助かりました」

そう言って、少しだけ息を吐く。

そのまま姿勢を崩さない。

崩さないまま、力だけが抜けている。

斎太はそれを見て、初めて椅子にもたれた。

ここまででいい。

それ以上は、自分の領域じゃない。

何かを変えたわけでも、解決したわけでもない。

ただ、落ち切るはずだった流れを一度だけ止めた。

それだけで十分だった。

アキに聞く為の録画は切った、これ以上心労は与えれない、親父に言ってコラボ相談で覆い隠して休ませるべきだだ。

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