鋼鉄
「…いいですか。自分は別に、彼女たちの絵が上手いという事実を情緒的に称賛したいわけじゃない。そんなものは出力された結果を見れば一目瞭然ですし、わざわざ自分が言葉を費やすまでもない。自分が今日論じたいのは、その絵師という存在が配信という構造において、いかに歪な性質の上に立たされているかという分析です」
画面の向こう側、姉の面影を執拗に追い込み、名前すら設定せずに作り上げた仮想の皮を被りながら、自分は冷めた紅茶を口に含んだ。今日の配信は、特定の個人を愛でるための雑談ではない。ジャンルの解体作業だ。
「まずは絵師ライバーについて。特に、家庭を持ちながら活動している女性、いわゆる人妻ライバーと呼ばれる層を例に挙げましょう。彼女たちの最大の強みは、単に絵が上手いことではなく、そのコンテンツとしての資産性にあります。一枚の絵が完成するまでの十数時間はそれ自体が反復視聴に耐えうるコンテンツであり、完成した成果物はサムネイルやSNSでの宣伝素材として、配信が終わった後も延々とインプレッションを稼ぎ続ける。入口の広さと、完成後も見返されるリピート率の高さ。これは他のジャンルにはない圧倒的な強みです。ですが同時に、致命的な欠点もある」
自分はキーボードを叩く音すら抑制し、その構造的な欠陥を指摘する。
「絵というものは、完成までの制作時間が長すぎるせいで、リアルタイムでの瞬発力が決定的に弱い。進行は地味になりやすく、配信本体を最初から最後まで追う人間は稀です。特に生活時間に制約のある人妻ライバーの場合、この地味な長時間という要素が視聴者の離脱を招き、結果として効率的に要点だけを抽出した切り抜きの方へ需要が流れてしまう。本編の強さと切り抜きの強さが一致しない。入口は広いが、配信本体への拘束力が伴わない。これが、絵師ライバーというジャンルが抱える、資産性と引き換えの不自由な構造です」
コメント欄には納得と、ジャンル愛好家からの反発が混ざり始める。自分はその熱を無視し、比較対象を提示する。
「ゲーム実況は、この構造を薄くしたようなものです。コンテンツ側の力に依存する点は共通していますが、絵よりも圧倒的に回転が速い。一本の重さが軽い分、次々と新しいタイトルを掴まなければならない自転車操業です。その中でもホラーゲームはさらに特殊で、短い、反応が取れる、切り抜きやすいという三拍子が揃っている。だから登竜門として人気がある。ですが、その実態は過酷です。常に最新作を擦り続け、既に擦られたネタは弱くなる。消費が早すぎて安定資産にはなり得ない。入口としては使えても、そこに依存すれば消耗するだけだ。自分は、絵師と実況が完全一致だと言いたいわけじゃない。ですが、構造として似通った、コンテンツ依存による損耗を抱えている事実は否定できないんです」
自分にとっては単なる比較分析であり、価値の上下ではない。だが、ジャンルへの帰属意識をアイデンティティにしている層からすれば、自分の居場所をロジックで解体される不快感は耐え難いものだったのだろう。低評価の数字が、じわじわと増えていく。
問題はその直後に起きた。
分析という内面的な潜行に没頭しすぎた自分は、配信という舞台の上にいる自覚を、日常の通話の延長のような感覚にまで引き下げてしまっていた。配信者として事故に慣れているわけでもない自分が、不用意に、テレビ通話でも終了させるような手つきで操作を誤る。
画面が切り替わった。
心血を注いで構築した、姉の雰囲気を纏う美少女モデルの虚構が剥がれ落ち、カメラが捉えた自分の顔が、世界に晒された。
「…っ」
時間にして、コンマ数秒。
自分は無言で配信を切断した。心臓が跳ねるよりも早く、脳がエラー処理を完遂させる。アーカイブは即座に、跡形もなく削除した。対応自体は最速だった。幸い、ネットの海に大量拡散されるような事態には至っていない。
だが、ゼロではない。拡散こそされずとも、それを宝物のように保存し、自分だけのフォルダに格納する収集家は必ずいる。今まで曖昧だった配信の中身に、明確な現実の楔が打ち込まれた事実は消えない。しかも最悪なことに、それは醜聞としての事故ではなく、思ったより整っている、噂とズレていないという、半端な現実味を与えてしまう事故だった。
事故の影響は、数日後の数字に現れた。
面白いことに、同接は激減しなかった。だが、質が変質していた。
まず、ガチファン層の沈黙だ。彼らは事故を茶化さない。嫌悪も示さない。ただ、黙り込んだ。今まで流布していた、このモデルの中身は外見がいいという噂、親戚説、あるいは初期のバ美肉公言を無視した妻説といった蓄積と、一瞬見えた自分の実像が、彼らの中で奇妙な整合性を持って結びついてしまったのだ。嫌悪や失望で言葉を失うのではなく、逆に、下手に否定も茶化しもできなくなる。消えもしないが、騒ぎもしない。そんな重い沈黙が、彼らをより深淵な執着へと変質させていた。
一方で、自分を一人のライバーとして、適切な理想距離で推していた層は百人単位で離脱した。実在が差し込まれたことで、今まで保っていた距離感が狂ったのだ。その欠落を埋めるように、女性視聴者の比率が上昇した。自分という人間が、実在の人物としての観察や興味の対象にシフトした証拠だった。
結局、あの事故は自分という個体を、特定の前提で見る層へと選別したに過ぎなかった。
この歪な状況下で、自分はさらに厄介な構造的問題を整理し直す。
あのアスリート四人との非対称な関係だ。野球の赤花芯ことミミヨン、フィギュアの虎尾一こと二一二。彼らはそれぞれスポーツで知名度を上げているが、その配信内容は競技そのものというより、技術や見せ方の解説、身体性といった周辺知識の提示に寄っている。
この構造は自分にとって圧倒的に不利だ。自分の強みは言語化と構造整理にある。自分の場に彼らを混ぜても、視聴者の欲しいものが噛み合わず、自分の本筋が濁るだけだ。ところが逆方向はそうではない。相手側から見れば、自分の整理した言葉や視点は、スポーツを理解させるための強力な補助として機能する。
相手は自分を補助として使える。自分は相手を混ぜると損耗する。視聴導線すら、自分の情報を探るために相手側を覗きに行くという逆流が発生している。自分だけが構造的に吸われ、損をする立場にある。この認識は嫉妬などではなく、冷徹な事実としての不利だった。
そして最後に露呈したのが、名前の問題だ。
自分はここまで、名前で認知される努力を怠ってきた。姉の雰囲気作りに執着し、キャラの空気を優先しすぎたせいで、視聴者が個体を識別するためのラベルを置いていなかった。認知はされていても、検索語として、呼称としての個体名が定着していない。
顔出し事故を経て実在が可視化され、ファン層が選別され、アスリートとの不利な関係が明確になった今、自分には自分を固定するための杭が必要だった。
見た目の柔らかさや、これまで寄せてきた姉の雰囲気とは完全一致しない。だが、記号として強く、読みやすく、海外勢の記憶にも残りやすいもの。
「スチーラット(SteelRat)」
鋼の論理を持つドブネズミ。
必要だから置く。それ以上の意味はない。だがその名前は、あやふやだった自分という個体を、この濁流の中に決定的に繋ぎ止めるための刻印となった。




