一つの事実、無数の真実
配信は完全に死んでいる。接続が断たれ、暗転したモニターの向こう側で数万人の視聴者が騒いでいようが、この体育館の床の上には、ただ互いを心底嫌い合っている親子が転がっているだけだ。
余計な台詞など要らない。斎太は親父の顔面に拳を叩き込み、親父は剥き出しの殺意で斎太の脇腹を蹴り上げる。綺麗なフォームも、格闘技の理屈もない。ただ相手の存在を消したいという衝動だけで、泥臭い暴力が繰り返されている。
背景では、斎太が連れてきたアスリートたちが、その凄惨な現場を無機質な目で見つめていた。
彼らはこれまで、親から徹底して情報をシャットアウトされ、「これ以外に道はない」と調教されてきた個体だ。だが、この異常な空間で、彼らは初めて自分たちの意志による「研究」と「意見の処理」を始めている。
彼らは絶望して辞めるのではない。むしろ、ひたすらコントロール下に置く親から離れて、自由に技術を極められる楽しさを知ってしまった。ライバー活動を発展させ、自ら計画を練り直し、トレーニングを継続する。彼らは今、かつてより何倍も強く、冷徹に、自らを「ピーク」へと仕上げるための工程を淡々とこなしている。自由を知ったアスリートは、もはや単なる駒ではなく、誰の手にも負えない「個」として完成されつつあった。
そして今は三人同士の組み合わせで放心してる一人と審判の一人を除いてぶら下がりバトルをしている所だ。
その横で、立ち上がれない大御所ライバーが、震える声で過去の亡霊をなぞる。
七年前からこの地獄を生き抜いてきた彼女たちにとって、それは一生消えない傷跡だ。
当時は「経験者採用」、つまり配信者として完成されていることが大前提の時代。七年前から第一線にいるということは、年齢を逆算すれば三十代……そこは触れないのが礼儀だが、彼女たちの美しさは、執念によって維持された凄絶なものだった。
彼女が、背景で殴り合う親子をよそに、断片的に真実を漏らす。
かつて、動画配信は実写コンテンツがメインだった。元々ファミリービデオの共有ツールとして産声を上げたものが、現在の最大手プラットフォームの正体だ。
そこにゲーム実況という概念が生まれたのは、少し後のこと。事務所が介入し、権利関係を強引にクリアしていく一方で、携帯ゲーム機の撮影は依然として技術的な壁が厚かった。直撮り、あるいは「偽トロキャプチャ」と呼ばれるポート改造。
だが、当時わずか七歳の少年は、別の手段を選んだ。
「金が無かったから」
それだけの理由で、彼はチートツールを組み上げ、ハードのカセットの暗号化通信を素通りするようにこじ開けた。そして無線でキャプチャを実行、三色端子よりも効率が良く動作した。
冷静沈着なプレイングと、純粋な好奇心に塗れた技術。
もし、彼がそのまま道を塞がれずに続けていたら、今の実況文化はもっと別の、より高度な次元へ発展していただろうとされるほどの特異点。
だが、テレビメディアはそれを「犯罪」として警戒し、著作権法違反として訴え、多くの技術とともに彼の芽を摘み取った。仮想通貨の提唱者、サトシ・ナカモトの正体ではないかとされるような天才たちがいたあの時代に、伊行もまた、その一角として存在していた。
起訴の謗りは、七歳の子供にはあまりに重すぎた。彼はその後、執念深い自己否定の連続に陥り、その才能を呪いとして封印した。知名度は、当時を知るごく一部の人間のみ。だが、現場にいた彼女にとっては、それは一生消えない「国の損失」の象徴だった。
親父は伊行の過去など一ミリも知らない。ただの駒として、息子を殴るための道具として持ってきただけだ。その無知な支配欲が、図らずも、かつてこの国が総出で葬った「始祖」の封印を解いてしまった。
斎太は親父の胸ぐらを掴み、コンクリートの壁に叩きつける。
アスリートたちはその数値を冷徹に処理し、大御所は過去の傷跡に震え、伊行は無音のモデルの中で沈黙し続けている。
配信が止まった暗闇の中で、嫌いな者同士の泥臭い暴力だけが、終わりなく続いていた。




