第3話 紅花の武器
「あの子は、戦乱の世を終わらせる駒……そして政治の傀儡となるべく連れ去られてしまったの。私が……もっとしっかりしていれば」
静怡おばさんはそう言って涙ぐむ。
「おばさん……」
残念ながら私には学がない。
お母さんやおばさんのお陰で貧民街育ちにしてはそこそこ知識がある方だけれど、それもたかが知れている。
だからおばさんが話してくれた政治の事情も殆ど理解できていないと思う。
「皇帝ってお金持ちなんでしょう? すごい事だと思うけど」
「食べる事には困らないでしょうね」
静怡おばさんは私の言葉に首をゆっくりと横に振る。
「けれど何よりも争いを嫌っていたあの子にとっては、あまりに酷な運命となってしまった」
おばさんは俯き、弱々しく話す。
「世の中にはね、沢山の嘘つきと、力の為に手を上げられる欲張りな人達が沢山いるの。そんな人達に囲まれた上で民の期待に応えるような、正しい選択をしなければならないのが、皇帝という立場なのよ」
「嘘つきと、欲張り……」
「人の命が軽い宮の中、そして実権を狙う複数勢力からいつ命を狙われてもおかしくない中、生き続けなければならないの」
おばさんの話を私は何度も噛み砕き、何とか理解する。
皇帝はいつ命を狙われてもおかしくない上、嘘つきと欲張りに囲まれる立場にあるらしい。
そしてそれは確かに、浩然にとってはあまりにも酷な役目だと感じた。
――どうして戦いなんてするんだろうね。
そう言って、悲しそうに目を伏せたかつての浩然の姿が脳裏を過る。
おばさんの話が事実なら、きっと彼はこの七年間、苦しい日々を一人で耐えてきたのだろう。
誰が味方かも分からないような過酷な環境で。
(それは……いやだなぁ)
輿に座していた浩然の姿を私は思い出す。
にこりとも笑わない、無感動な顔だった。
かつて無邪気に笑いあった姿とは大きく異なる、大人の浩然。
それを思い出すと胸がキュッと締め付けられるような心地がした。
「おばさん」
私は少しだけ考えを巡らせてから意を決して手を握り締める。
そして目尻浮かんだ涙を拭うおばさんの肩に触れ、顔を覗き込む。
「じゃあ、私が浩然に会いに行くよ」
信じられる者が誰一人いない世界と、一人いる世界。
後者の方がずっとマシなのではないかと私は考えたのだった。
***
宮で働く女性の中でも下位の身分の者が宮女と呼ばれる。
そしてこの宮女、地方からの徴用の制度があるらしいものの、私の住んでいる地域や周辺では既に実施された後か、そもそも実施されないかのどちらか。
また私はせっかちで思い立ったらすぐに行動に移してしまう人間なので、浩然に会うと決めてから次の徴用の機まで大人しく待つという選択は出来そうにもなかった。
そんなこんなで私が選んだ方法は――コネを作る事。
普段は気にしない身なりを整え、少しいい服を着て街に出る。
静怡おばさんには本当に行くのかと再三確認され、何度も引き留められたが、それを振り切って私は首都へと向かった。
街に出て、行商人の馬車に乗せてもらい、有り金はそこで尽きた。
上手くいかなくて帰らなければならなくなったら、何とか稼ぎを見つけなければならない、後がない状況だ。
何とも行き当たりばったりな状態ではあるものの、私は持ち前の前向きな性格も相まって、あまり悲観はしていなかった。
(おばさん曰く、最近宮女の徴用が目立つという事は裏を返せば、宮女の間口? が広いって事だって言ってた。見や関係者を見つけ、容姿が悪くなくて相応の品性でも示せれば充分に狙えるって)
私に学はない。よって育ちの良さから来る品性なんてものも備えている訳ではない。
けれど、私には強みがあった。
(持ち合わせていないものを持っているように見せる事はできる……!)
私は首都の市場を見て回る。
宮から比較的近い場所では物資調達をする宦官に出会えることもあるらしい。
私が首都へやって来たのは、その宦官に自分を売り込み、宮女として採用される為であった。
(ええっと、宦官は宮で働く、去勢した男性のお役人さんなんだよね。官服の見た目も教えてもらったし、上手く見つかるといいんだけど)
市場を練り歩く事三十分。
私は店の前で店主と話している官服姿の人物を見つけた。
「……っ!」
思わず息を呑む。
心臓が高鳴った。
(……ついてる)
私は宦官の居場所を目に焼き付けると、道を逸れる。
そして荷物の中から古ぼけた化粧道具を取り出すと簡単に、手早くめかし込む。
数分が経ち、再び先の道へ戻った頃。
丁度目を付けていた宦官が店を離れるところだった。
(ええっと、確か宦官の呼び方は……)
「もし、そちらの公公様」
丁度私のいる方へ歩みを進めていた宦官の前に出る。
そして私は深く頭を下げると上目で相手を見やる。
驚いたように目を見開いた彼はほうと息を呑んだ。
芸を嗜む者として、己の見目を磨く技術も忘れてはならない。
化粧も私の特技の一つだ。必要があれば目の錯覚を利用して元の骨格と異なる顔を描くことも出来る。
母の教え、そしてこれまで培ってきた経験から最低限の化粧を顔に施した私は、異性の興味を引ける程度の容姿を繕うことが出来ていた。
「私に何か用か」
「はい。誠に不躾ながら、一つ、お話を聞いて頂きたく」
まじまじと見つめる宦官の顔に不快感は刻まれていない。
容姿を整えておくと相手の態度が好転する事があるが、この宦官もその類の人物だったらしい。
「聞いてやろう」
「感謝いたします」
声は少し上擦らせ、余裕を見せるようにゆったりとした言葉遣いで。
動作も緩やかに、そして弱腰にならず凛とした佇まいで。
これは芸を生業としてきた私が人を観察する上で盗んだ、育ちの良い女性としての特徴的な振る舞いだ。
(嘘を真と信じさせる。それが私の武器)
「私はしがない商家の出です」
私は宦官に対し、堂々と嘘を吐くのだった。




