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第8話 住職、道楽院無念!暴走する!

「こっちだ」


コウタはほうきを肩に担ぎ、山門から本堂へ向かって歩き出した。


茶助とレンも、その後をついていく。


無心寺の境内は、奥多摩の深い山に囲まれていた。


木々の間から差し込む朝の光。


風に揺れる葉。


境内の中央には、小さな池まである。


「へえ……」


茶助が感心していると、突然、レンが足を止めた。


「……なんだ、あれ?」


池のほとりに、恐ろしい鬼の石像が立っていた。


鋭い牙。


大きな角。


今にも襲いかかってきそうな顔。


「怖っ!」


茶助が一歩下がる。


コウタは振り返った。


「煩悩鬼だよ」


「ぼんのうき?」


「人間が欲望を消そうとすると、現れて邪魔をする鬼」


「なんだそれ!」


「昔からこの寺にいるらしい」


「そんなの本当にいるのか?」


「さあ」


コウタはあっさり言った。


「俺は見たことない」


「ないのかよ!」


そんなやり取りをしながら、三人は本堂へ到着した。


小さな本堂だった。


中には本尊の阿弥陀如来像。


その前には、やけに立派な金の屏風が置かれている。


寺の理念は「煩悩ゼロ」。


なのに、屏風だけは成金趣味だった。


茶助が小声でつぶやく。


「……この寺、煩悩を消す前に、煩悩を飾ってないか?」


すると――。


屏風の奥から、女性の声が聞こえてきた。


「あら、和尚さま……お戯れを」


「良いではないか」


「あーれー」


「…………」


茶助とレンが固まった。


阿弥陀如来像も、心なしか目をそらしているように見えた。


「……ん?」


「女の人?」


その直後、屏風の裏から若い女性が姿を現した。


二十代後半くらいだろうか。


女性は二人を見ると、軽く会釈した。


「失礼します」


そして、そそくさと本堂を出ていく。


ただ、コウタの横を通り過ぎるときだけ、


「コウタくん、またね」


そう言って、軽く手を振った。


「うん! またね!」


コウタは満面の笑みで手を振り返した。


女性が去っていく。


茶助がコウタを見る。


「……誰?」


「隣の寺の美月さん。美月さんに失礼なことしたら絶対に許さないぞ!」


「お前……」


コウタはデレデレしていた。


レンが呆れた顔で言う。


「十歳とは思えないな」


「うるさい!」


茶助は金の屏風を指さした。


「で、あの人は何しに来てたんだ?」


「お茶を飲みに」


「屏風の裏で?」


「和尚さんと一緒に」


「それはもう、お茶会の配置じゃないだろ!」


そこへ、奥から低い声が響いた。


「コウタ」


「はい!」


「新しい二人を連れてきたのか」


「うん!」


本堂の奥から、一人の男が現れた。


年は70代後半くらいだろうか。


白い作務衣に身を包み、頭はつるつる。


穏やかな顔をしている。


ただし、作務衣の袖からは高級そうな腕時計がのぞいていた。


さらに足元には、寺には不釣り合いなブランド物の雪駄。


茶助は思わずレンの肩をつついた。


「なあ。あれ、煩悩の正装か?」


「黙ってろ」


「わしが、この無心寺の住職――」


男は胸を張った。


「道楽院無念じゃ」


「道楽院……無念?」


茶助が首をかしげる。


「名前からして、すでに煩悩ありそうだな」


「失礼な!」


無念は胸元を押さえた。


「わしは無欲じゃ!」


その瞬間、作務衣のポケットからスマートフォンが鳴った。


無念は素早く画面を確認する。


「おおっ、限定品の予約開始が――」


「無欲じゃないじゃん!」


「これは必要な情報収集じゃ!」


「何の?」


「人生を豊かにするための情報じゃ!」


「それを煩悩って言うんだよ!」


無念は咳払いをして、二人を見た。


「まあ、よい。今日は疲れただろう」


「はい」


「では、二人ともここで少し待っておれ」


そう言うと、無念は金の屏風の奥へ消えていった。


茶助とレンは顔を見合わせる。


「……何してんだ?」


「さあ」


「いや、絶対ろくなことしてないぞ」


気になった茶助が、そっと屏風の隙間から中を覗いた。


「…………」


そこには――。


パソコンが数台、ずらりと並んでいた。


複数のモニターには、株価チャートが表示されている。


その横には、高級菓子の箱。


さらに奥には、競馬新聞と宝くじの束まで積まれていた。


レンが絶句する。


「……煩悩の見本市だ」


無念和尚は真剣な顔で画面を見つめていた。


「……よし」


マウスを握る。


「買いだ」


カチッ。


茶助の口が開いた。


「和尚……何してんの?」


無念がゆっくり振り返る。


「修行じゃ」


「株ですよね?」


「株もまた、修行じゃ」


「競馬新聞も?」


「馬の走りから人生の無常を学んでおる」


「宝くじは?」


「運命との対話じゃ」


「高級菓子は?」


無念は一瞬、黙った。


「……糖分との対話じゃ」


「ただ食いたいだけだろ!」


レンも画面を覗き込む。


「これ……デイトレードですよね?」


無念和尚は腕を組み、悟ったような顔をした。


「欲に勝つには、まず欲を知らねばならん」


「いや、めちゃくちゃ欲まみれじゃん!」


「違う!」


無念は勢いよく立ち上がった。


「わしは欲に負けているのではない! 欲を観察しているのじゃ!」


「観察しながら買ってるじゃん!」


「観察料じゃ!」


そのとき、モニターから電子音が鳴った。


無念の顔色が変わる。


「な、なんじゃと……!」


「どうした?」


「株が下がった……!」


無念は頭を抱えた。


「煩悩鬼めぇぇぇぇっ!」


本堂の外にある鬼の石像が、朝日に照らされて不気味に輝いた。


茶助がつぶやく。


「和尚、煩悩と戦ってるんじゃなくて、煩悩に追いかけられてないか?」


レンが冷静に答えた。


「しかも自分から追いかけてる」


無念は震える手で、もう一度マウスを握った。


「……売りじゃ」


「まだやるのかよ!」


「ここで売れば損が確定する!」


「もう損してるだろ!」


「確定させなければ、まだ負けではない!」


「それ、煩悩の言い訳だろ!」


無心寺。


煩悩ゼロを掲げる寺の住職は――


誰よりも煩悩を語り、


誰よりも煩悩を研究し、


誰よりも煩悩に振り回されていた。


そして本人だけは、最後まで修行だと言い張っていた。


……たぶん。

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