第6話 茶助、山奥で捨てられる!
奥多摩の山中に、無欲山・無心寺という寺がある。
ここは、世俗に疲れたサラリーマンたちが、あらゆる煩悩から離れ、悟りを開くためにやってくる、現代の出家寺である。
物欲、性欲、金欲、出世欲、承認欲求。
現代人が抱えるあらゆる煩悩を抱えた男たちが、ここへ救いを求めてやってくる。
もっとも、彼らが煩悩を捨てに来たのか、煩悩に捨てられて来たのかは、本人たちにもよく分かっていない。
今日、この寺の門を叩こうとしている男たちがいる。
欲田茶助と、鳳凰院蓮司である。
二人はJR青梅線の終点、奥多摩駅に降り立った。
「……ここから、寺までどうやって行くんだ?」
茶助がスマートフォンを取り出す。
「駅からバスだ」
レンが答えた。
「よかった。歩いて行くんじゃないんだな」
そのときだった。
駅前に、一台の古びたバスが入ってきた。
車体には、
――雲取交通
と書かれている。
「……あれ?」
茶助が目を細める。
バスの後部から、白い煙が出ていた。
「なあ、レン」
「なんだ?」
「あれ、走って大丈夫なやつか?」
レンはバスをじっと見た。
「問題ない」
「何を根拠に?」
「まだ走っている」
「それだけ!?」
二人は恐る恐るバスに乗り込んだ。
車内には、誰もいなかった。
運転手が振り返る。
「無心寺か?」
「は、はい」
「……そうか」
それだけ言うと、運転手は前を向いた。
バスが動き出した。
ガタッ。
「うわっ!」
茶助の身体が跳ねた。
ガタガタッ。
「大丈夫か、このバス!?」
ガタン!
「今、車体が一回、人生を諦めた音したぞ!」
レンは窓の外を見ていた。
「景色を見ろ」
「景色?」
茶助も窓の外を見る。
最初は民家が並んでいた。
しかし、山道を進むにつれて、家は一軒、また一軒と消えていった。
やがて見えるのは、杉林ばかりになった。
道路脇には、古びた看板が立っている。
――この先、月影峠。
さらに進む。
次の看板。
――立入注意。
その先には、何の説明もなく、
――帰路はこちら
とだけ書かれた矢印があった。
茶助の顔が引きつる。
「……なあ」
「なんだ?」
「俺たち、行き先間違えてないよな?」
「無心寺へ向かっている」
「だったら、なんで途中に『帰路はこちら』って看板があるんだよ!」
「親切なんだろう」
「絶対違う!」
バスはさらに山奥へ入っていく。
スマートフォンを見ると、圏外になっていた。
「……圏外」
茶助の声が小さくなる。
レンは平然としている。
「余計な情報から解放されたな」
「俺は情報じゃなくて、連絡手段を失ったんだよ!」
そのとき、バスが急に止まった。
キキィィィッ!
「うわっ!」
茶助が前のめりになる。
運転手が無言で窓を開けた。
そこには、道路を塞ぐように一本の倒木が転がっていた。
「……降りろ」
「え?」
「道が塞がっている」
「バスは?」
「急遽ここが終点になった。」
「俺たちは?」
運転手は山の奥を指差した。
「徒歩だ」
「やっぱり!?」
二人はバスを降りた。
バスはそのまま、エンジンをかけたまま動かない。
「運転手さん、ここで待ってるんですよね?」
「客が乗らなきゃ引き返す。」
「じゃあ帰りは?」
「知らん」
「知らん!?」
バスは二人を残して、ゆっくりと山道を引き返していった。
茶助はその後ろ姿を見つめる。
「……俺たち、捨てられた?」
「出家とは、そういうことかもしれない」
「納得するな!」
二人は山道を歩き始めた。
しばらくすると、小さな石碑が見えてきた。
そこには、
――雲取町
と刻まれている。
「雲取町?」
茶助が首を傾げる。
「こんな町、地図にあったか?」
「ないな」
「じゃあ、ここは何なんだよ?」
レンは石碑の裏側を見る。
そこには小さく、
――人口三人
と書かれていた。
「三人!?」
茶助が叫ぶ。
「町なのに三人!?」
「静かでいいじゃないか」
「怖いよ!」
さらに進む。
道はどんどん細くなった。
木々が両側から覆いかぶさり、昼間なのに薄暗い。
風が吹くたび、木々がざわざわと揺れる。
やがて、二人の前に古びた木の案内板が現れた。
――無心寺 徒歩十五分
茶助はホッとした。
「やっと着く!」
しかし、その下に赤い文字で、
――途中で引き返さないでください。
と書かれていた。
「……レン」
「なんだ?」
「これ、普通は『お気をつけて』とか書くところじゃないか?」
「そうだな」
「なんで『引き返すな』なんだよ!」
「寺に行く覚悟を試しているんだろう」
「俺、今ものすごく帰りたいんだけど!」
二人は黙って歩き続けた。
十五分後。
木々の向こうに、巨大な建物が見えた。
茶助が立ち止まる。
「……あれか?」
「ああ」
二人の前に、巨大な山門が姿を現した。
門は古びていた。
しかし、その中央には新品同様の大きな看板が掲げられている。
――無欲山・無心寺
その下には、達筆な文字で、
――煩悩、ゼロへ。
と書かれていた。
茶助は山門を見上げた。
ここまで来る途中にあったものを思い出す。
圏外。
怪しいバス。
帰路を示す看板。
人口三人の雲取町。
そして、引き返すなという案内板。
茶助はゴクリと唾を飲み込んだ。
「……なあ、レン」
「なんだ?」
「俺たち、本当にここで修行するんだよな?」
「ああ」
「……まだ、門をくぐってないよな?」
「そうだ」
茶助は一歩、後ろへ下がった。
「じゃあ……今ならまだ帰れる」
レンが茶助を見る。
「逃げるのか?」
茶助は門を見上げた。
そして、ゆっくりと拳を握った。
「……いや」
「茶助?」
「ここまで来たんだ」
茶助は山門の前に立った。
「俺は、欲望だらけの自分を変える!」
レンも隣に並ぶ。
「俺は、茶助より先に悟りを開く!」
「なんでお前まで競争なんだよ!」
二人は顔を見合わせた。
そして――
無心寺の門を、くぐった。




